三竜
―――前提として、もしも奇襲を警戒する場合、狙われるのは私だ。
二十九層の安全領域にて、王は事前にリーネ達にそう告げていた。
―――無論、回避のために備える。防ぐことが出来たならそれに越したことはない。
―――だが、迷宮は竜の腹の中、アドバンテージは向こうにある。おそらく防げない。
―――そして回避できなかった場合、狙われるのは私だ。
―――故に、その前提で準備を進める。
すなわち、暗殺を防ぐ準備と、暗殺を防げなかったときの準備だ。
リーネからすれば勿論、この提案は屈辱の極みであったが、しかしその必要性には同意せざるを得なかった。アルノルド王が言っているように、迷宮は、言うなれば敵の領域であり、工房であり、城なのだ。どれだけその場所に完璧な守りを敷いたところで、抜け道を用意する手段はおそらく無数にある。その全てを、迷宮を下っていった先々で全てに備えられるかと言われれば、無理なのだ。天魔のグレーレであってもそれは無理だ。
「屈辱だよなあ、レイライン。その分の怒りの全てをたたき込もうではないか!」
「当然」
だから、備えた。
侵入を防ぐ為の守りだけで無く、王自身の命を守り、そして寸前で蘇生するためのあらゆる術を、王の身体にたたき込んだ。ちょっとアルノルド王が「防げないはちょっと言い過ぎた」と無表情で後悔するくらいにガッチガチに守りを固めた。
その成果、というべきだろうか。王は大罪竜に直接暗殺されるという危機に瀕しても尚、死ななかった。正確には、死の淵からよみがえった。
「ッガハ!?」
血を吐き、悶える王の姿にリーネはひとまず安堵した。少なくとも呼吸はしている。
「事前に仕込んでいた蘇生術が効いたなあ?!流石に殺した後もう一度殺す暇までは無かったわけだ!!」
「太陽の結界、消えてないと良いけど!!」
「揺らぐことはあるかもしれんが、なあに連帯責任というやつだ!!王に全て任せきりでもいかんだろう!カハハ!!」
冗談なのか本気なのか分からない言葉を吐きながら、グレーレは尚も治療を続ける。リーネは立ち上がった。これ以上の治療はグレーレに任せよう。自分も、やるべき事はやらなければならない。
「迷宮の変動、および、浸水……!?」
迷宮が変わり、周囲から建造物が消えて無くなった。野ざらしにされ、更に周囲から水の流れる音が聞こえてくる。水攻めだ。それがすぐに理解できた。先ほど聞こえてきた竜の声を考慮すると、無関係ではあるまい。
事前に検討されていたとおり、向こうは迷宮の地形をたっぷりと、十全に利用する気だ。その点も、他の大罪の竜達とは明らかに違う。
マジメで堅実。それ故に最も強く、最も性質の悪い最強の竜。だが、だからこそ
「こっちだって準備はしてきたわよ……!行くわよ皆」
「うん!【ミラルフィーネ!!】」
《まっかせろー!ディズ!いくでー!》
「了解、【赤錆の権能】」
「【銀糸よ、唄を届けよ】」
まずエシェルが鏡によって封じられてきた大量の“資材”を取り出す。その場に突然出現する山のような金属、魔銀やバベルの塔で研究された合金類の山だ。それがリーネの周囲に降り注ぐ。同時に、リーネは王の天幕の下部に用意されていた白王陣を稼働させる。
「迷宮は維持費の魔力が使い放題で助かるわね――――【開門・神樹創造・白王陣】」
「【劣化創造・魔金の合金】」
「【銀糸結界】」
取り出されたあらゆる資材、迷宮の大地、自在に変容するアカネに、その全てにまとわりついて調整を行う銀の糸。それら全てを白王陣が囲い、喰らい、渦巻いて形となる。野ざらしになった迷宮の中心に、巨大な要塞が突如として出現した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『あら、あら、あら』
そんな風に、ウル達の前で、大罪の竜グリードは驚きの声をあげていた。空中を揺らぐように浮遊するグリードの眼下に、巨大な要塞が出現していた。予定通り、リーネを中心にして、迷宮の中であっても「自分達の安全領域」を確保する事に成功したらしい事にウルは顔には出さずに安堵した。
『ご立派ですね。私の迷宮に、要塞を作り出すなんて勝手なヒト達――――あら、怖い』
「【天剣】」
「【混沌よ、導となれ】」
続けて言葉を投げかけるグリードに、ユーリは果敢にも攻める。ウルもそれを追うように魔眼による支援を続けた。王達の周囲の安全がひとまず確保できた以上、目の前の脅威に集中せざるを得ない。
おそらく、既に一番命の危機に瀕しているのは王では無くなった。この場で最も危険な状況下にあるのは、ユーリと自分だ。
『要塞に、逃げ込まなくても良いのですか?』
見た目の、どこか優雅さすら感じられるような振る舞いでありながら、強欲の竜の動きは恐ろしく素早かった。一切を問答無用で両断するユーリの剣戟を寸前で回避しながらも、平然と質問を更になげかける。
「――――貴方を斬り殺した後、そうしますよ」
ユーリが応じながら剣を振るう。刃のような指で、器用に天剣を弾き飛ばすと、グリードは軽やかに距離をとった。そして――――
『――――――ッハ』
おぞましい、竜の嗤い声が、あたりに響き渡った。鳴子として使った笛の音よりも遙かにおぞましく、何の魔術も込められていないはずなのに、空間を揺らした。ウルは冷や汗が吹き出るのが止められなかった。ユーリはそれを正面から受け止めているが、輝ける天剣を握る手に、力がこもっていた。
『――――たったの、二人で?』
それは、此方に対する侮りでは無かった。
むしろそれは、“此方の侮り”を咎める声だった。自らの存在に対して、未だ、戦いとして成立しているという気でいるユーリに対する、ハッキリとした嘲笑であり、自身の優位の確信だった。
そして、その確信は、正しい。ユーリもウルも理解している。自分達の役目は、時間稼ぎで、捨て駒だと。
『時間稼ぎ、出来ると良いですね?』
それすらも見抜くように、強欲の竜は嗤い、右手の甲を此方に差し向ける。昆虫のような硬質の皮膚が中央から割れ、ぎょろりとした竜の目が、そこから出現して、ウル達を睨み――――
「回避――――!!」
すさまじい爆発が空中で花開いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【一夜城】外周部
「酷い有様だ」
『すさまじい量じゃのう?』
ロックは天衣のジースターと共に、リーネが作り出した一夜城の外周を睨んでいた。
既に迷宮の様相は、最初に此処を訪ねたときとは全く変わっていた。リーネが作り出した要塞以外の周囲の地面は全て水に沈み込んでいる。巨大な湖の中心部に、ぽつんと建造物が一つだけ顔を出しているような有様だ。
『どんな竜が生み出しとるんじゃ?こんな水』
迷宮にいくら魔力が満ちていようと、完全にやりたい放題というわけでは無いはずだ。にもかかわらず、地形を完全に変貌させるほどの水を作り出すというのはやや道理に反していた。
最も、竜はそういうものだと言われればそうなのだが――――
「いや……違うな」
だが、ジースターは首を横に振り、天衣をつかみ、剣とした。ロックもそうする。要塞全体が激しく揺れ始める。ロックは最初、水の中から何かが出現するのかと身構えた。
だが、違う。この揺れは、“要塞を取り囲む、全ての水が引き起こしている”!
『AAAAAARRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!』
「この大量の水全てが、竜だ」
『ッカーーー!!?無茶苦茶じゃの!?』
莫大な質量を抱えた水竜が、一夜城をまるごと沈めんと襲いかかった。




