深層三十三階層
大罪迷宮グリード突入前、 【欲深き者の隠れ家】にて。
「大罪迷宮グリードで最も面倒くさかったことぉ?」
ウル達に大罪迷宮グリードの情報を教授していたグレンは、ウルとシズクのその質問に対して呆れたような顔になった。確認するまでもないような質問だったからだ。
「そりゃいうまでもねえわ。竜だよ」
無論、そういう回答が帰ってくるのは2人とも分かっていた。大罪迷宮において最も脅威となるのは竜そのものだ。が、しかし今回確認したいのはそう言う事ではない。
「それ以外ならば?」
竜以外の脅威を2人は知りたかった。これまでウル達が挑んだ迷宮の多くが特殊で、通常のそれとは異なる場合が殆どだったが、多種多様な”悪質さ”というものを持っていた。
魔物の種類。迷宮の形状。あるいはそれ以外か。竜のみに意識を集中していては大罪竜にたどり着くまでにすっころぶ事をわかっていた。
その意図を察してか、グレンは腕を組み、記憶を遡るようにして考え出した。そしてしばらくの後、コンと、テーブルを指で叩いた。
「魔物なら、一番面倒くさかったのは【悪魔】かね。賢しく、多様で、しぶとく、数も多い」
「悪魔、ですか……」
悪魔は、ウルもシズクも”陽喰らい”の戦いの時に目撃している。ただしその時は味方側にも大量の実力者と、なによりもスーアの存在があって、直接その脅威と対峙したわけではない。具体的にどう恐ろしいか、まだ実感は出来ていなかった。強靭、卓越した魔術、そういった情報はあるが、それだけだ。
そんな反応を察して、グレンは意地悪く笑った。
「小鬼がいるだろ。あれらが頭良くなって、筋力も上がって、魔術も滅茶苦茶上手くなると想像して見ろ」
「…………」
急激に、その脅威が明確になった。
小鬼は単体ではまるで脅威ではないが、小賢しく、悪辣で、数で襲いかかってくるのが恐ろしい。冒険者として生きていくなら必ず1度は対峙する羽目になる。どこであろうこのグリードの大罪迷宮で、ウル達も散々連中とは戦ってきた。
その小鬼の超強力版、となれば、なるほど確かに厄介極まる。
「対処法は?」
「一切相手にしないか、根こそぎかのどちらかだ」
実に、両極端な選択肢だった。グレンは続ける。
「完全に無視できるならそれはアリだ。相手にしてたってキリがねえ。」
これからウル達が挑む場所が大罪迷宮の深層であったとして、迷宮の性質が大きく変わるわけではない。倒した先から、迷宮が新たな魔物達を産みだす。幾ら倒したところで、暫くすれば敵は復活するのだ。確かに、半端に相手をしたところで意味なんて無かった。
故に、回避できるならした方が良い。だが――
「避けられないなら、半端はするな。一気に、一方的に、その階層まるごと破壊する勢いで消し飛ばす。賢しさなんてもんが発揮される前にな」
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大罪迷宮、三十三階層目
「カハハ!まるで土竜蛇だなあ、なんて様だ!」
「あまり大きい声ださないでくれ、天魔殿。此処だと響きすぎる」
ウルは同行者である天魔のグレーレの笑い声を苦々しい声で咎めた。
大罪迷宮グリード深層は広大で、異様だ。
一見すると巨大な都市国の形を模したような街並みを生み出すが、それは必ずしもヒトが住まうことを想定したような、真っ当な造りからはほど遠い。
三十二階層は巨大な滝から溢れる水が至る所に浸水した水上迷宮であった。一体どこから水が溢れ、そしてどこへ流れていくのかまったくの不明だった。全員が溺れる前に、ロックとアカネ、それとリーネの白王陣によって耐水性能を有したトンネルを建造するという荒技でもって、なんとかくぐり抜けることに成功した。
そして三十三階層である。
どのような場所かと言えば、一言で言うならば”蟻の巣”だ。幾つもの細く長い通路が縦横無尽に伸びて、その先に幾つもの小部屋が存在する。そしてそこには悪魔達が必ずたむろしていた。
ある意味、最も迷宮らしい迷宮の構造だった。ただしその規模は他階層と同じく、極めて広く、そして厄介だ。悪魔達は至る所に存在し、回避が難しい。
シズクの反響によるマッピングによって迷宮地形のおおよそを確認した一同は、対策を話し合い、結果、「少数による探索及び迷宮の破壊工作」という作戦に至った。
その実行係にウルとグレーレの2人が選ばれた。正確に言えば、グレーレ1人が実行係であり、ウルは彼が途中無駄に消耗しないようにするための護衛係である。
そして今、幾つかある通路の中でも殊更に狭く細い通風口のような通路をグレーレと2人で這いずりながら進んでいる。何故こんな道を通るかと言えば、此処が最も目的地に安全にたどり着けるルートだったからだ。
「声の大きさなど!消音の結界くらい張ってある。当然だろう?!」
「貴方の声が俺の頭に響く」
しかしこの狭い空間をこの胡散臭い男と共に進むのは結構な疲労感を伴った。
「おいおい、なんだその敬意の無さは?ん?もっと敬っても良いぞ?」
「エシェルから貴方の話は沢山聞いた」
「邪霊の愛し子か!俺の叡智と気遣いがいかに素晴らしかったという話か?」
「貴方のおかげで5回くらい死にかかったって話と怨嗟のうめき声をたっぷり」
時に匍匐前進もしなければならないような通路を進みながら、ウルはエシェルの泣きっ面を思い出す。ヒートアップしていく彼女の訴えをウルは山ほど聞いたので、グレーレへの警戒レベルは十分に高かった。
こいつの所にエクスタインが転がり込んで、挙げ句に一緒にエンヴィーまで討伐させられたと聞いているが、大丈夫だったんだろうか、酷い目に遭ってないだろうか。だとしたらざまあみろ。なんて事をウルは思った。
「カハハ、言っておくがあの女王については俺も大分慎重に扱ってるのだぞ?何せ希少な個体だからな!」
「精霊憑きだから?」
精霊憑きがいかに希少であるか、ディズから説明は受けている。精霊から分け与えられた力の加護ではなく、そのものを宿した者達。ヒトには到底不可能で、精霊には絶対に許されない力を、自由自在に振る舞うことができる怪物達。
ディズも重視しているのだ。グレーレもそうするのは自然に思えた。しかし彼は首を横に振る。
「その精霊憑きの中でもとびっきりの希少個体だ。お前の女王は」
「希少……?」
「ああ、知らぬのか。無理もないなあ」
言っていることが分からず、ウルは困惑すると、グレーレは更に楽しそうに笑う。周囲の探索をすすめ、這いずりながらも、彼は饒舌に語り始めた。
「精霊憑きが発見されると、その存在ごと抹消されることが多い。何故か分かるか?」
「憑いた精霊が、邪霊の類いであることが多いから、精霊がヒトと混じるなんて事実は許されないから」
これもディズや、もっと言えばザインから聞いた説明でもあった。そういった理由で忌避する者が多いと。実際これらの説明は納得できるところは多かったし、変に疑う理由もなかった。
しかしグレーレは、にたにたと楽しそうに笑った。
「正しいが、別の問題もある。憑かれる側の問題があるのだ」
そう言って、グレーレは振り返り、ウルを指さした。
「精霊憑きは、【名無し】にしか基本的には起こらん」
「……は?」
流石に、ウルもグレーレの言っている言葉の意味が理解できずに、困惑した。
ここまでさんざん、【名無し】は精霊との親和性は皆無であると言うことが教えられた。それが世間の常識でもあったし、なんならブラックからも改めて、決定的な情報を伝えられたからだ。
で、あれば、精霊と一体化する現象が、名無しにしか起こらないとはどういう意味か?
「そもそも、精霊、という存在を取り込むにはヒトの魂では容量が足りない」
その疑問へ答えるように、グレーレは更に朗々と、楽しそうに言葉を続けた。
「高位の神官でも足りぬ。到底納まりきらない。魔力を吸収して、魂を強化したとしても、容量そのものは変化しない。魂の容量増加は、とてつもなく困難なのだ」
「……」
「双方同意の上での魂そのものの“譲渡”、あるいは数百年規模の交配による品種改良くらいか?ヒトができる方法なんて不細工なものよ」
譲渡、という言葉に、ウルは彼女が思い浮かんだが、今は置いておいた。脇の洞穴に潜んでいた悪魔種を音も無く消し飛ばしながら、グレーレは問うてくる。
「それほど困難であるにもかかわらず、どうやって精霊憑きが起こるか、分かるか?あるいは、どのような手段で起こしているか」
分かるわけあるか。と、言いたかったが、グレーレの目は此方を試すようだった。少なくとも、絶対に出ない答えに悩む姿を見て嗤おうという風では無かった。
つまり、ウルの中に答えがある。コレまで経験した中に。最も身近な、アカネの姿を思い浮かべる。グレーレの言葉を信じるなら、例外なのはエシェルだ。つまりアカネは“真っ当な精霊憑き”なのだ。あの、到底ヒトからかけ離れた姿が、正常。
そして逆に、一見すれば何一つ特殊なところを持たないエシェルは真っ当ではない。例外だという。つまり――――
「…………精霊が、ヒトを変える?」
「正解だ」
ちゃんと頭の回るやつは好きだぞ、と、グレーレは心底楽しそうに笑った。




