各々の消化と選択④
今日もまた、ウーガの一日は終わる。
最低限の魔灯が点り、せわしなく働いていたウーガの労働者達も帰路につく。表情に疲労を滲ませて、表情に充実を満たしながら、あるいは失敗を思い出して沈むのを仲間達に慰められながら、自分たちの家に帰っていく。
そんな彼らを窓から眺めながら、結局今日はロクに外に出ることも無かったウルは一人、飲みさしの酒が残ったままのグラスを口にすることもなくだらだらとぶら下げながら、悩ましい表情を続けていた。
「………さて、どうすっかね」
答えは決めなければならない。
短期的であれ長期的であれ、新たなる目標地点を定めねばならない。
それは分かっているのだが――――
「いきなり世界と言われてもな……!」
ちょっと前まで、ただの凡人だった男にいきなり世界の救済だの破壊だの告げられても想像力を働かせるのが難しい。目の前の事。手の届く範囲だけでやってきた者に、いきなり為政者の視座を求めてくるなと言いたい。
言いたいが、最早是非もなしな状況なのは確かだった。さて、どうするか――――
「ん」
と、そう思っていると、家の扉からノックの音が聞こえてきた。時間帯を配慮してなのか、控えめなノック音で大体誰か察した。「どうぞ」と声をかけると、ゆっくりと扉が開く。
「ウル様」
シズクがやってきた。ちょうど良かった。と、声に出さずに思いながら、彼女を椅子に座るように促して、自分も傍に座った。
「よお、そっちはどうだった。ロックは兎も角アカネは」
「心配しておりました」
「まあ、あんな話聞いたらな」
「いえ、ウル様の事を。無茶をしてしまわないだろうかと」
「出来た妹だぁ……」
実に、良く出来た妹だった。今回の一件は、とんでもない災難だったが、アカネの無事が確定となる、その一点については唯一の喜ばしい要素だった。
もっとも、彼女は自由になった後は――――
と、まあ、それは置いておこう。今重要なのは目の前の女についてだ。
「シズクはもう既に協力関係だったんだよな」
今回の王との会議中、彼女はずっとおとなしかった。理由は分かる。
「はい、ウル様の救出作戦の折りに、協定を結びました。勝手に申し訳ありません」
自分自身が既に当事者だったからだ。その自分が口出しするのはダメだと思ったのだろう。変なところで義理堅い女だった。
「それは良い」
元より、【歩ム者】は軍隊のように統一された組織ではない。
各々が自分の目的のため互いを利用するような集団だった。奇跡的に、というべきか、全員の仲間意識や結びつきは強く感じるが、それでも本質的にはそういう集まりなのだ。目的のため、それぞれが独自行動を取ることを規制したりはしていない。
組織としては未成熟も良いところではあるが、こういうとき、無駄に争うことは無い。
「邪霊の復権、そこに関しては、俺が口出しできるところじゃない」
「はい。ですから、ウル様」
「ん?」
彼女は立ち上がり、自分の側に座り込んで、ウルの手を握った。
「ウル様、本当に、無理に戦う必要は無いのですよ?」
改めて、彼女はそう伝えてきた。
「私も大罪竜の脅威は知りました」
そう言って、ウルの手をつかみ、自分の胸元に触れさせる。その位置が何かは分かる。彼女の身体に合った大きな傷跡、ラストの騒動の時、負った傷跡だ。
同時に彼女はウルの身体に触れた。ラースの騒動の時、身体が真っ二つになりかけたほどの大きな裂傷の跡をなぞる。どちらも、命に関わる戦いの軌跡だった。
「付き添い、なんていう曖昧な姿勢で向かい合ったら、タダでは済みません」
どうやら彼女も、今のウルの状態の問題点は理解しているらしかった。故に不安なのだろう。優しげな表情の眼の奥に、不安が揺らいでいるのが見えた。
申し訳なく思うと同時に、その気遣いをありがたくも感じた。恐るべき驚異、世界救済という使命に対して、逃げたって構わないと真正面から言ってくれるのはありがたかった。
だが、だからこそ、確認しておかなければならない事がある。
「お前は今回ガチで戦うつもりなんだろ?」
逆にウルが問うた。シズクは、少し迷いながらも、頷いた。
「色欲の時と比べて、更に力はつきましたから。全力で支援させて頂こうとは思います。皆様が竜を討てねば、全てがおしまいですから」
その答えに、そうだろうなと納得した。彼女ならそうするだろうと想像出来た。
同時に、此処にいないエシェルやリーネの答えも、なんとなく想像がついた。今日までの濃密な日々が、強固な絆となっていた。王の提示した依頼に対して何を考え、どうしようとするのか、分かる。
遠からず、皆、死地へと赴くこととなる。
そして、その時、自分だけ安全圏にいるのか?そう思い、改めてシズクを見た。此方を見つめて、聖女の如く慈悲深く、一方で幼い子供のように不安な表情を抱えた少女が、死に瀕する地獄に赴くところを想像した。
――――我によって荒野を拓き、徳によって道を得よ。
「お前が死にかけてる時、安全な場所からそれを眺めるのは、楽しくないな」
カチリ、と何かがハマった。
「うん、そうだな。嫌だわ、俺が」
スッと、腑に落ちた。
嫌だ。
自分が嫌だ。
己が嫌だから行動する。
世界と向き合うあらゆる者達が、その責務から逃げずに戦う状況を見ぬ振りをするのも、
そこに仲間達が向かい、血反吐を吐きながら戦うのを安全圏から眺め続けるのも、
どちらも、お断りだ。
ならば、抗う。立ち向かう。拳を固めて振り上げる。
これから先、起こるのも「いつもの事」だ。そう認識できた。次の瞬間、ずっと残っていた座り心地の悪さが少し解消された。胸のつかえが僅かにとれた。
勿論、ソレで全て割り切って動けるほどウルは単純な性格はしていないが、この先、やらなければならないことは明確になった。
「よし、一つ解決。…………なんだ、その顔」
ウルは大きく息を吐いて、顔を上げると、何故かシズクは聖女面を崩して微妙な顔をしていた。いつもスラスラと美しい言葉を吐き出すくせに、何か言おうと口の中をもごもとさせているばかりで、らしくなかった。
「……ウル様は本当に、アレですね」
「アレとは」
問うが、返事はなく、かわりにウルの頬をむにむにと引っ張った。なにをする、と、抗議しようとしたが、その前にシズクは手を離して、顔を寄せて口づけた。
「――――どうか、死なないで」
「こちらこそ」
本当に弱々しく微笑む彼女に応じながら、ウルは一つ確信を得た。この、恐ろしくも美しく、強く弱々しい少女から目を離すべきではないという確信を。
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翌日、【歩ム者】達は再び集合し、昨日の情報の整理を行った。
もっとも、どのような方針で行くかについては既におおよそ、結論は出ていた。
結局の所、天賢王からの直接の依頼を断れる筈も無いのだから。
その後、グラドル含む各方面への連絡を行うと、どうやら既に王から通達があったらしく、スムーズに事は進んだ。ウーガが担っていた運搬業務を、他の都市国が有する移動要塞が代行する手続きまで済まされていた。
既に逃す気が無いのだという王からのプレッシャーをひしひしと感じながらも、移動要塞ウーガの進路は決定する。
大罪都市エンヴィーから南の方角、歩ム者というギルドが結成されるよりも更に前、ウルとシズクが手を組み、冒険者としての活動を始めた始まりの大罪都市、グリードへとウーガはその巨大な歩みを進めるのだった。




