魔王の密談
「んもう、意地悪だなあ、ウル坊は」
「こちとら疲れてんだよ。たたみ掛けんな」
その内、指輪を直接破壊しようと怪しげな闇をあふれ出し始めた魔王を見て、救援を呼ぶことを諦めたウルはぐったりとした顔になった。王の話だけでも大分キャパシティが一杯一杯だったのに、同規模にややこしい話を持ってこられたら頭がおかしくなる。
「嫌なことはまとめて済ませた方が良いぞ」
「自分で言うな自分で」
「ま、アルにボコボコにされたのは同情するがね」
ゲラゲラゲラと魔王は笑った。ウルは眉をひそめる。
「見てきたように言うな……」
「想像つくからな。お前らみたいな、至極真っ当な倫理観を持ってる奴らは、アルには勝てない。この世界に、アイツに“借り”が無い奴なんていない」
「……」
「そいつの嘆願を見て見ぬ振りできるのは、よほどの恥知らずだけさ」
それは、確かにその通りだった。
王の交渉はあまりにも不格好だった。最初から自分の手札を晒し、それだけならばまだしも、自分の弱点、弱味すらも明かしてしまった。交渉術としては落第点だ。しかし、歩ム者は誰も彼に太刀打ち出来なかった。シズクがおとなしかった、というのも抜きにして、誰一人立ち向かうことが出来なかった。王のもたらした情報の真偽がどうだとか、自分の利益がどうだとか、そういった下心は容赦なく叩き潰された。
ただただ、王の放つ「正しさ」に殴りつけられた。
彼の背負う重大なる責務に、自分たちが守られているという事実が、反撃の一切を許さなかった。あまりにも理不尽だった。ウルが疲れ果てた理由の一端はソレだ。
魔王の言っていることは分かる。が、しかし、
「その男を裏切れって提案してくる恥知らずがいるんだが」
「なにぃ!?どこだ!俺がとっちめてやる!!」
「鏡を見ろ」
「うーむ、とてつもなくダンディな男が映っているな」
「死ね」
適当な皮肉を言う気力もなく直球で罵倒すると、魔王はやはり笑った。本当にこやつ、こっちを揶揄って遊びにきただけなんじゃなかろうかとウルは思い始めた。
「おいおい言っておくが、俺の方も真面目な話だぜ?重要な話でもある」
「だったらさっさと言え」
しょうがないなあ、と、魔王は笑った。そして不意に巫山戯散らした雰囲気を消し去り、此方を見つめてくる。本番が始まったことを悟り、ウルは顔には出さず、気を引き締めた。
「そもそもだ。邪神を討った後、この世界はどうなると思う?」
「理想的な世界が待ってるんだろ?」
「本当にそうかね?」
問う。ウルは沈黙する。
王の語ったかつての理想の世界は、確かに素晴らしいものだと思う。迷宮が無い。魔物もいない。狭い都市国の内側に引きこもる必要もなくなる、今よりずっと良くなる世界。
しかし、それは絶対の幸福を約束するものでは無いと言うことを、ウルもそれは直感的に理解していた。
「魔物も迷宮も無くなれば、都市を区切る防壁も結界も無くなるだろう。大地にはヒトが溢れ、手が加えられる。精霊の力でもって瞬く間に開拓が進むだろう」
生産都市のように、狭い土地に技術の粋を結集する必要もなくなる。イスラリア大陸の広い大地、その全てに精霊の力が行き届くのだ。ウルはウーガで育てられているような畑が、大地一面に広がる光景を幻視した。
「だが、そんな完全なる理想郷が生まれた後、名無しの扱いはどうなるかね?」
「…………」
ブラックの問いに、ウルは沈黙する。答えが分からなかった訳ではない。むしろ分かりやすすぎて、沈黙せざるを得なかった。
「理想の世界で名無しの立場が向上すると思うか?名無しは、精霊の全盛期の世界においてまったくの役立たずだ。精霊を操ることも、神官達に力を捧げることもできやしない」
今の世界の形でも、名無しの存在理由はやや乏しい。迷宮を潜り、魔石を漁り、都市同士を移動することで擬似的な物流の血管としての役割を果たす。それでもって存在を許されている。だが、都市の檻が崩れ、迷宮も失われれば、その二つの役割も消失する。
「その先に起こるのは、役立たずの無能に対する暴虐と差別と支配だ」
「待て」
ウルは手を上げた。
「ウーガの審問の時、アンタ言ったよな。精霊信仰を抱えるのは危機に対する生存本能だと。理想郷世界に脅威が無いなら、精霊信仰の弱体化には繋がらないのか」
「そりゃ無理だね。イスラリア中の土地を確保できるなら、危機感という負の感情に依らずとも、それ以上の豊穣を約束できる。ビビらせる必要なんてなくなるのさ」
「…………そうなるか」
「まあ、慢性的な幸福はいずれ飽くが、それは大分遠い話だろうさ」
ブラックの反論に、口を挟む隙は無かった。ウルは少し苦い表情を浮かべて沈黙した。
「あまりショックを受けてねえって事は、想像ついてたか?」
「まあ、な」
王やディズの前では流石にその事を指摘するなどできなかったが、そうなる可能性は早い内に想像がついた。十何年間、名無しとして生きてきたのだ。自分たちの立場の弱さなんてものは、骨身に染みている。
「だが、すぐさまそうなるわけじゃあないだろ?」
「まあな。今の為政者の殆どはアル含めて理性的だ。邪な連中の大部分は天剣の嬢ちゃんと【銀の君】が排除した。草の根もかき分けて、徹底的にな」
ウルが居ない間に、シズクと天剣のユーリ、そして【陽喰らい】の戦士達の暗躍によって、イスラリア中の根深いところに巣くっていた暗部が一掃されたというのは話に聞いている。
必要なことだから、という話は聞いていたが、それはウルを救出する一端であると共に、【理想郷計画】を進めるための準備でもあったようだ。
「優秀な連中は、俺たちが考えるような問題にも勿論気づいている。弱者の排斥なんて望んじゃいまいよ。ありとあらゆる政策を考えるはずだ。多分お前が想像するよりは、名無しにも生きやすい世界にはなると思うぜ?“最初は”」
ウルには政治のことは分からない。理解が浅い。
だが、今のグラドルを統治するラクレツィアや、必死に仲間達と連携して、努力を続けているエシェルは見ているし、知っている。誰よりも重い責任を背負ったアルノルド王も。悪いことにはならない。ならないように努力してくれるだろうというのは分かる。理解できている。
だが、
「それでも“優劣”は、どうしようもないほどに、争いを生む。どれだけ優れた政治家でも抑えきれないほどのな」
一方で、名無しが能力として純粋に劣っているという事実もまた、どうしようもなく理解してしまっている。
「……“違い”は嫌いじゃ無いんだがな。俺」
「俺もだよ。面白い奴は見ていて飽きない。ウチの国もそうだったしな?だが、精霊との親和性はちっと露骨すぎるな?」
精霊との親和性が薄い、無い。というのはあまりにも大きい。故にこそ魔術という技術はあるし、精霊に追いつかんとする狂人は身内にいる。だが、そこまで到達できるのは極めて限られている。(まあ、彼女ならば、世界中の人類に白王陣を普及するくらいは言いかねないが)
「精霊との親和性の“優劣”は、“違い”という言葉で片付けるには重すぎる。明確なこの世界の失敗点だよ」
“違い”すらも、克服できないのが多い人類が、優劣を超えられる筈が無い。ブラックはそう言って嘲った。
「楽しそうだな」
「困らんからな。俺個人は」
「きっちりクソ野郎だこと」
この男の最悪性は、今更な話ではあった。詰めたところでなにもならない。
「さて、必然的に諍いは起こる。しかも"最悪な事に、これは一方的な形にはならない”。何せ、精霊よりは遙かに貧弱だが、魔物退治で磨かれた武器はあるんだからな」
まるで見てきたかのように、魔王は饒舌に語り続ける。アルノルド王の話を聞いた時と同じように鮮明に、ウルにはその情景がイメージできた。
魔物退治、竜退治に使っていた武器を、神官達に向けるイメージが、出来てしまった。
「そして、その争いに、間違いなくウーガは巻き込まれる。此処は目立ちすぎて、そして、有効すぎる。挙げ句の果てに、トップは名無しの英雄ときたもんだ」
「ちょい待て、為政者達の能力が限界を迎えて、完全に破綻するまでだろ?俺たち生きて――――」
「る、ぞ。何十年後か、何百年後か、そのときお前達はまだ生きている」
魔王は真顔で断言した。只人の平均寿命は50から長くとも80だ。過酷な環境を生きる名無し達は下手するともっと短い。そんなことは常識だ。だが、魔王は全く冗談を言ってるような表情は浮かべなかった。
「種族によってある程度寿命はバラつくが、そもそもお前達は魔力によって肉体の枠が大幅に強化された。生物としての枠組みから外れている。寿命は遠いぞ」
「アンタみたいに?」
穿孔王国スロウス成立の経緯を考えると、この男は既に相当な年齢であるはずなのに、その様子は全く見えない。通常の獣人としての人種の寿命を大幅に超過しているのは間違いなかった。
「お前もな、ウル。それにその右腕、もうどうしようも無いくらいに同化したみたいじゃないか」
指摘され、ウルは右手を握る。異形の右手は既に違和感無くウルの身に馴染んでいた。これがなくとも、現在のウルの身体能力は冒険者を始める前の頃と比べると圧倒的に向上している。数多くの修羅場をくぐり抜け、強敵を打ち倒す度にその魔力を吸収したウルの肉体は超人と言っても差し支えがないレベルまで成長した。
真っ当に死ねるか?と言われたら、自信は無かった。
「名無しとそれ以外の争いが激化したとき、事故でもなきゃお前達は存命だ。“幸福の飽き”のような遠い未来の話じゃ無くて、避けようのないくらい今の話さ」
「……」
「なあ、皆のリーダーくん。お前はちゃんとこの問題は考えておかなきゃならない。それを回避したいなら尚のことだ」
ウルはギルド長だ。柄でなくとも、多くの者達の“灯火”となる立場にある。そしてギルド長という立場にいるのなら、足下だけを見て、道があると安心して満足してはいられない。
正しく、先を見なければいけない。自分の後ろに続く仲間達を、奈落の底へと案内するなんて、長としては落第だ。
腹立たしいほどに、魔王の言葉はごもっともだった。
「折角の大団円のその後、遠くない未来、英雄ご一行は最悪な末路を迎えました。ってーのは、あんまりだと思わないか?なあ?」
「……だから、そうならないように王を裏切るって?」
ブラックは獰猛に笑った。
ウルは酒の注がれたグラスを呷ったが、酔いもしなければ味もしなかった。




