王の依頼③
「魔界……」
それは、【陽喰らい】と同様、あるいはそれ以上に秘匿化された情報なのだろうという事をリーネは理解した。全く耳になじみのない言葉だった。そしてそれらの情報を一つ一つ、聞き逃しがないよう注意を払った。
最終的にウルがどのような決断をとるかも不明だったが、この話を聞いた後、何もかも忘れて元の日常に戻るという選択肢は無いという事だけはハッキリとしていた。
天賢王が直接出向いて、これを説明している時点で、恐らく彼は此方を逃がす気が無い。このイスラリアという世界が彼の庇護下にある以上、ウル達には逃れる術も無いだろう。不可避の災害を前にするように、備え、身がまえる必要があった。
例え、王が紛れもない善性であっても、あるいは善性であるなら尚、我欲の悪党よりも遙かに鮮烈となりうる。善人は、時に守護すべき者達のために、躊躇しない。リーネが敬意を払っている勇者ディズのように。
備えなければならなかった。例え敬愛すべき王が相手であっても。
「魔界、邪神、ではそこにどのように向かい、そしてどう討つのですか?」
その為にも、情報は可能な限り集めよう。リーネは質問した。アルノルド王は彼女の問いに頷く。
「ここまで説明したが、まずは全ての大罪竜を討つ必要がある。器を破壊し、魂という鍵を取り込む。自らが竜の魂の器に代わり、魔界への鍵を得る」
「鍵は何処で使うのですか?魔界への道は?」
「【大罪迷宮】だ」
小さくざわめきが起こったが、リーネはあまり驚かなかった。此処までの話である程度推測できていた。
「魔界とイスラリア。二つの世界はつながっている。その結びつきこそが大罪迷宮だ。中小規模の迷宮はその派生でしかない」
「迷宮と魔をなくす。その繋がりを断つと」
「だが、普通に大罪迷宮の最深層に向かっても、魔界には行けない。門は閉じられている」
「その為の鍵が、竜の魂だと」
「そうだ」
未知の情報も多かったが、王の説明はそれほど複雑では無かった。七つの大罪竜を討ち倒し、大罪迷宮という名の通路をたどって、魔界へとたどり着く。そこにいる邪神を討つことで、その繋がりを断つ。
迷宮攻略及び、最深部の“主”の討伐依頼。
シンプルではある。複雑ではない。冒険者が良く受ける依頼と大差ないだろう。
問題は、その難易度が常軌を逸している事にあるが――――今はそれも良いだろう。可能かどうかといった点は問題ではない。王は今、出来るという前提で話を進めている。その点を今論じても意味が無い。
引き続き手当たり次第、探れるところを探ろう。リーネはそう決めた。
「……我々の同意にかかわらず、この計画は既に進行中なのですよね?」
「そうだ」
「進捗を伺っても?」
「スーア」
王の言葉に、スーアが頷いて、リーネへと向き直る。
スーアと面と向かって直接会話するのはリーネは今回が初めてだったが、見た目の印象は“ヒトの形をした美しいナニカだった”。美しさで言えばシズクもひけを取らないが、彼女の女性としての魅力を突き詰めたようなものとは、また次元が異なった。
職人が生み出した瑕疵一つ無い人形のような美しさ。
しかし、今は関係の無いことだ。スーアの説明にリーネは意識を戻した。
「先ほど、王も言っていましたが、既に先の陽喰らいでプラウディアの竜は墜ちています。スロウスは50年前に魔王が」
こんこん、と机が叩かれ、机の上の大罪竜の魔名が二つ消える。
「ラースはウル達が頑張りました」
「まあうん、頑張った」
ややゆるぅい表現と共に、ラースの魔名も消えた
「更に、大罪竜グラドルは、魔王が自国の滅亡と引き換えに滅ぼしました」
「うん、滅んだ」
「何してんじゃあ魔王。っつーかなんでグラドルの竜でスロウスが……」
大分アレな話を聞いた気がしたし、ウルは魔王を睨んだが、今はスルーした。大罪竜グラドルの魔名も机の上から消えた。
「そして大罪竜ラスト、こちらの討伐も成功しました。我ら七天と、そちらにいるシズクとロックの協力によって――――」
「――――ん?」
リーネは眉をひそめた。ウルも同様だ。流石にスルー出来なかった。全員の視線が自分に集まったのを理解したのか、ロックは肩をすくめてカタカタ笑った。シズクは口元を手で押さえて、控え目に笑った。
「まあ」
「まあじゃない」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『カカカ、ばれてもたのう?』
ロックはカタカタと骨を鳴らす。
彼女の使い魔であり、常に彼女と行動を共にしているロックは当然、彼女のこれまでの軌跡を知っていた。ウーガの守りをリーネとエシェルに託している間、外交としてイスラリア中を飛び回る最中、秘密裏にもう一つの依頼を受けていた。
「彼女の対竜術式の有用性は陽喰らいの儀で証明された。眷属竜相手にでも通用する力を遊ばせておく訳にはいかなかった。」
アルノルド王がシズクを見つめる。シズクは微笑んだ。
ユーリとの契約を通じて、シズクはスーアや天賢王と協定を結んでいた。ウルの一件で【歩ム者】達を秘密裏に、全面的にバックアップするのと引き換えに、七天達に協力する契約だ。
主であるシズクは今回の一件、ウルの待遇の一端に、エンヴィーやプラウディアの悪党達以外の意図――――つまり、王と魔王の意図が紛れ込んでいた事にも気がついていたが、その点は目をつむった上での協定だった。
――――つつくと、とてつもなくややこしい事になります。触れるのは止めましょう
シズクはそう言っていたので、ロックも追求せずに同意した。ロックとて、政治にはそこまで興味があるわけではないが、彼女が言わんとしていることは理解できていた。
ウルがいなかったあの時の状況で、【歩ム者】が王達と敵対して得るものは何一つとしてなかった。そもそも、全てが王たちの陰謀によって進んだわけではない。あらゆる意図が絡み合い、混じり合った結果、ウルの投獄という結果に導かれたのだ。その状況で「誰それの所為だ」という責任追及を始めると、確実に何一つ話が進まなくなる。
王たちにとってもそこは同意見だったのだろう。ウルを貶めた邪悪の所業を全て誘導したわけでも無いだろうし、その悪党達を排除しなければならないと考えているのも本心だった。ウルを救い出したいというのも。故に協定を結んだ。
前に話を進めるために、蓋をして、土をかぶせた。
――――ウル様には、全てが済んだ後、私の罪を告白して、裁いてもらいます
シズクはそう言っていたので、ロックから言うことは何も無かった。もっとも、あの友であれば――――と、思考がそれたので、こんこんと頭蓋を叩く。意識を目の前に戻した。
『ま、そんなわけで、ワシも主と一緒に竜討伐に行ったのう。まー言うて、ほぼほぼ七天達の影に隠れての支援作業に徹しておったがの?』
「な、何かとんでもないことをしてるのは知ってたけど、た、大罪竜討伐……!」
『カカカ!すまんすまん!!』
エシェルの驚愕と嘆きに、ロックはカタカタと笑う。
実際、こればかりは身内の彼女らにすらも、話すのは許されなかった。王たちの方も、この一件で完全に話が通じているのは七天達と、極めて一部の神官のみであるという。秘密主義も甚だしいが、まあ、こればかりは本当に仕方が無い。
『なにせまさに、世界をひっくり返すような話であったからの?』
軽々と口にして、どこからか漏れれば、それだけで確実に混沌をまき散らすのはロックでも分かった。世界を救うなんてのは、世界を滅ぼすのと影響度で言えば大差ない。情報の徹底した管理は必須だった。シズクはおろか、一応使い魔扱いのロックにすらも、厳重に【血の契約書】とやらを書かされたくらいだ。かなり慎重だった。
『いっちゃったなー』
「まあ、隠し続けられる話じゃ無いからね。此処にいる皆には」
同じく、情報を秘匿する側だったディズとアカネも肩をすくめた。
「まあ、二人とも知ってたか。いや、そりゃそうか」
「ごめんね?良い気分じゃあ無かったけど、こればかりはおいそれと口にできなかった」
《ごめんなー?》
「別に、責めたいわけじゃ無いし、構わないが――」
と、ウルは視線をシズクへと向ける。
「良く無事だった……訳じゃねえか。アレはアレか」
「アレです」
ウルは言葉を濁し、シズクもそれにならった。僅かにシズクが胸元をかばうように動いたので、ウルも“あの痕”を知ったのだと理解し、ロックもそれには何も言わなかった。リーネは兎も角、エシェルはめちゃくちゃ心配してしまうだろう。
「……まあ、死んでないだけ、良かったよ、マジで」
「ロック様も言ったとおり、私たちは背後で支援に回っていました。危険だったのは七天の皆様です」
「と言っているが?アカネ、ディズ」
「あら、信頼ありませんね?」
『ま、仕方ないの?主よ』
ウルは視線をアカネとディズへ向けた。ロックはカタカタと笑った。「適当言ってんじゃねえだろうなこの女」と、そういう確認だ。事、自身の安否についての信頼はシズクは全く無い。自業自得であるが。
そして、その質問にディズは頷いた。
「少なくとも彼女“は”間違いなく無事だったよ」
「は」
『無茶した男がおったからのう』
ディズは苦々しげだ。いつも超然とした表情をしている王もまた、その支配者としての態度を僅かに崩して、額にしわを寄せていた。
「この戦いで、【天拳】は大きな傷を負った。命は助かったが、最前線への復帰は難しいだろう」
七天の中でも最も安定度が高く、強靱な力を持つ男の損失を王は語った。




