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竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑫


 “彼”は仕事を続けた。


 エンヴィー衛星都市から既に移動し、ウーガはプラウディアを経由する形でラース領へと戻る航路を通っていた。移動中、ウーガはなんのトラブルも起こらなかった。魔物の襲撃は当然のことながら、魔術の力なのか揺れなども一切起こらない。周囲の景観も、ウーガ自身の甲羅で出来た防壁が塞いでいるためか、外の景色が見れるところは少なくて、本当に移動しているかもわからないくらいだった。


 防壁が在るためか、ウーガの日中はやや短い。

 だが、外と比べて少し狭くて丸い空から太陽神が光を注ぐ光景は、例えようのない不思議な美しさがあった。


「周りは変化が無く、揺れもしないのに、気がつけば別の都市です。凄いものです」

「ははは、皆そうおっしゃられますよ」


 仕事の最中、少し親しくなった高齢の小人が楽しそうにそう言った。

 ひとしきり雑談をした後、再び彼は仕事に戻った。


 彼はその日も恙なく仕事を終える。日が沈み、ウーガ内が魔灯で照らされるようになった辺りで同業者達から来客用の酒場へと誘われたが、明日朝は少し早い仕事が入っているからと申し訳なさそうに彼は断りを入れた。


 そして自身の部屋に戻ると、部屋を片付ける。元々持ち込まれた私物は異様なほど少なかったが、その小さな小物類を一つ一つ片付ける。あっという間に部屋は最初、彼が立ち入る前と変わりない状態に戻っていた。


 塵一つ、髪の毛一本、彼がいたことを示す痕跡は残っていなかった。


 丁寧な掃除を続けた結果、太陽神は既に隠れ、星空が顔を出す。すっかり夜も更けた。既に外もヒトの気配は少ない。それを確認すると彼は部屋の外に出た。


「やあ、夜の散歩かい?」

「ええ、もうすぐ都市に降りなければならないから、最後に一回りしようかなと」

「そうかい。気をつけてねえ」


 宿の番をしている老人に挨拶をして、彼は夜の街へ出た。


「…………」


 魔灯に照らされた夜の街並を眺めながら、彼は目を細める。


 彼の視界は、静かに街の詳細を捉えた。魔眼の類いでは無く、視力の高さと、彼自身の極めて高い注意深さが、ウーガの異常を暴いた。


 極めて繊細に、要所といえる場所に張り巡らされた【銀糸】を見つける。


 探査、感知系の魔術だろう。恐ろしくか細く、魔力量も殆ど無い。触れただけで何もかも見抜かれてしまうほどの強い力は持たない筈だ。住民達はこの糸に気づかずに生活しているが、彼らには糸が殆ど纏わり付いていない。1,2本身体に触れたところで何の意味も無い。

 だがもしも“一定の邪な目的”に沿ってウーガで動こうとすると、途端に糸は体中に絡みつく。そうなるように、糸は張り巡らされている。


 緻密に計算されて糸は編まれている。恐ろしい事だった。


 彼はそのまま歩き出す。宿の番にそう告げたように、散歩の足取りで歩き出す。次第に多くなる糸の密度を、彼は自然な動作で回避していった。魔術は使わなかった。使えば、放たれた魔力を感知して、銀の糸は一斉に主に知らせるだろう。周囲に気取られないようにか細い魔術を使ったとて、糸の方が魔力密度は弱い。糸よりも強い魔術の風に吹かれれば、やはりあっという間に音が鳴る。


 本当に、タチが悪いな。


 そう思いながらも、ひたすらに歩く。周囲を見渡しながらふらふらと、見物客のように歩きながら、次第に、ある民家にたどり着く。上手く隠されているが、此処がウーガで糸が最も多い場所だ。


 誘導、デコイの類いではない。

 竜吞女王や白王、このウーガの要人の居所でもない。

 上手く隠されているが、間違いなく此処は全ての糸の“起点”だ。


 彼は周囲にヒトがいないことを確認し、そのまま扉に手をかける。鍵は勿論かけられていたが、彼は瞬く間にそれを解錠して中に入った。他人の民家の中に入ると、彼はキッチンに足を踏み入れ、そこで使われていたナイフを手に取った。

 切れ味を確認し、満足するとそのまま階段を音も無く上がっていく。真新しい建物だからだろうか、軋むような音はなかったが、それでも彼の気配のなさは異様だった。


 3階の寝室の扉に手をかけ、中に入る。その間、やはり糸には一つも触れなかった。


「…………」

「…………」


 小さな魔灯で灯された部屋の中で、同じベッドで二人が寝ている。一人は灰色髪の少年で、一人は白銀の少女。少女は少年を抱きしめるように眠っていた。

 少年の方は【灰の英雄】だ。勿論彼は知っている。ウーガで過ごしている間、何度か見かけたこともある。軽く会釈したこともあった。【銀の君】と恋仲なのだろうか。


 と、そんなことを考えつつも、彼は歩みを止めない。まっすぐにベッドへと向かうと、一瞬の躊躇いも無く、彼らの持ち物であるナイフを少女の首に突き立て――――


「――――っ!!」


 ――――る、事は無かった。

 灰色の英雄は、ベッドの下に潜ませていた短剣で、“彼”の凶刃を弾いた。


「マジか……ぜんっぜん気配がねえ」

「気をつけてください、ウル様。彼は他の皆さんとは次元が違います」


 二人が即座に起き上がり、臨戦態勢に入った。

 困った。ばれていたらしい。しかし、情報を漏らしたつもりは無かった。そもそも完全にばれていたなら、もっと早い段階で、確実に自分は捕らえられていただろう。


 「自分か灰の英雄が狙われている」という“あたり”をつけて、待ち構えたのか。


 ならば、まだやりようはあるか。と、“彼”は即座に手に持ったナイフを投擲し、部屋の灯していた魔灯を破壊した。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「【混沌――――っ」


 魔灯を破壊された事で視界が潰れ、ウルは暗殺者を見失った。魔眼の発動を潰された。圧倒的に強力無比なウルの魔眼の唯一の弱点。全ての魔眼共通の性質、対象が視界に入らなければ発動不可能という急所を突かれた。

 対応の仕方が、異常に速い。


「彼は“格上殺し”に恐ろしくなれています。気をつけ――――ぐ」


 闇の中、眼が慣れるよりも速く、シズクの警告が途中でくぐもる。

 窓の外、僅かにだけこぼれる星光が部屋の中に差し込む。近くにいるシズクの白い首に、金属の鎖が纏わり付いているのがかすかに見えた。


「シズク!」

「…………ロ、ック、さま」

『カ!!!』


 すると、彼女の胸元から白い刃が刎ね、彼女の首元の鎖を断ち切る。小型の死霊兵が小さな剣を握り、彼女を守っていた。

 はじけた鎖がウルの手元に転がる。それは魔灯をつるしていた鎖だった。ウルは寒気を覚えた。先ほどのナイフも、この鎖も、特殊な道具でも何でも無い。ウルの家の、家具やら家財だ。

 何の特別製でもない代物で、闇の中恐ろしく手際よく、殺しにかかってくる。

 しかも、シズクとウルが背中合わせで周囲を見渡しているが、見当たらない。広いわけでもない部屋の中なのに、闇に紛れると言っても限度があるはずなのに、見つからない。音で周囲をサーチできるシズクすらも、まだ敵の位置を伝えてこないのだから、音自体を消している。

 これは、この敵は――――


「……ガチのマジの達人だな……」

「暗殺者の黄金級と思ってください」

「地獄かよ」


 超人的な身体能力は得た。

 怪物との戦いの経験も繰り返し、得た。

 並大抵の冒険者よりも遙かに高い実力は、間違いなく獲得した。

 だが、対人戦闘経験は浅い。それを埋めるだけの“年季”もウル達にはない。


 この敵は、それを極限まで研ぎ澄ましている敵だ。単純に相性が悪い。


 最悪、部屋全部破壊してでも、色欲の権能、無差別にぶっぱなすか?

 という、乱暴な解決策が頭をよぎる。

 だが、ウルがそれを決断するよりも速く、


『カカ、主よ』

「ええ、間に合いましたね」


 小さなロックがシズクに合図を送る。と、同時に部屋の窓をこんこんと叩く音が聞こえてきた。


「なん……使い魔?」


 部屋の窓を叩くのは四枚の翼を持った使い魔の類いだった。それは器用に窓を開くと、そのまままっすぐ、ベッドの上のシズクへと飛んできた。足首にくくられた手紙を彼女へと渡すと、あっという間に飛び去っていく。

 受け取った手紙をシズクは開くと、部屋の闇へと向かってそれを差し出した。


「どうぞ」


 すると、しばらくすると薄暗い闇から、ぬるりと、まるで先ほどまで存在していなかったかのように唐突に、侵入してきた暗殺者の姿が現れた。彼は、此方を襲ってくるでも無く、差し出されたシズクの手紙を受け取り、目を通すと、そのまま紙を握りしめて、灰のようにして消し去った。そして、


()()()()()()()

「はい」


 シズクの返事に頷くと、部屋の椅子に腰掛けて、足を組んだ。先ほどまでの痛いほどの沈黙と、温度を感じない殺意が満ち満ちていた部屋の雰囲気が、あっという間に霧散していく。目の前にいる男は、本当になんでもない、只人の男にしか見えなくなった。なんだったら、家の主であるウルよりもくつろいでいるようにすら見える。


 いや、それよりも、だ。


「どゆこと?」


 この急変をどう認識すれば良いのか分からず、シズクをみると、彼女は頷いた。


「彼に依頼したギルドと、彼を管理している上位ギルドを壊滅させて、私が彼の新しい依頼人になりました」

「わあ」

「皆様の協力あってですが、大変でした」

「でしょうね」


 絶対にさらっと言うことではない。というかそれは本当なのかと疑いたくなる。が、少なくとも当の暗殺者はそれを受け入れている。彼は冷静沈着な態度で、シズクに問いかけた。


「それで、新しい依頼の内容は?」

「え、暗殺依頼しなきゃならんの?」

「暗殺ギルドを名乗った覚えは無いな。ただの何でも屋だ」

「うっそお」


 お前のような何でも屋がいるか。と言いたかったが、彼は真面目な顔である。本気で何でも屋のつもりらしい。


「では、部屋の掃除をして頂けますか?」

「承った。箒はあるか」

『カカ、ぞうきんもあるぞ?』


 数分後、ウルは自分たちを殺しにかかってきた相手が真面目な顔で、箒とちりとりで散らばった魔灯のガラス片を清掃し、ぞうきんで埃を拭き取り、さっくりと帰る光景を目の当たりにすることとなった。

 途中で考えるのも面倒になり、ウルは寝た。そのうちシズクが抱きしめてきたが、もう何も気にすること無くそのまま寝入った。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 こうして、四つの闇ギルドがたった一日に襲撃をかけてくるという大騒動は、ウーガの住民の大多数が全く感知することもなく収束した。最終的に、ウーガと敵対した4つの闇ギルドは解体され、その形跡は跡形も無くなった。

 

 が、何もかも消えて無くなった訳では無かった。


 後日、ウーガの外部の、情報収集を専門とする“新規ギルド”との提携が生まれたり、

 リーネ率いるウーガ管理部門に、熟練の魔術師が新人として新たに配属されたり、

 ウーガの管理用の補助として、“強力無比な聖遺物”がいくつか加わったり、

 少しの期間、若い少年少女達がひいひいと泣き言を言いながらウーガを馬車馬の如く駆け回ったり、

 大罪都市グラドルに、凄腕の戦士がラクレツィアの護衛として配備されたり、


 そんなこんなで、様々な形の変化が生まれたのだが、その経緯の詳細を知る者はごく少数だった。












 明くる日、諸々の片付けが済んだ後、ウルの自宅にて


「――――つまるところ、これまでもこんな風に、ウーガを守ってくれていたわけだ」

「皆様の協力あってのことです」


 自室にて、ウルは向かいに座るシズクへと酒を注ぐと、彼女は微笑みを返した。 



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― 新着の感想 ―
[良い点] 座る(正座)
[一言] スマート過ぎてカッコよすぎる
[良い点] アナスタシアも最高のヒロインだったが、やはり正妻(黒幕)はシズクだなぁと思い知らされた [気になる点] 手紙一つでどうして黒羊さんは矛を納めたのだろうか 特定の符丁でもあったんかな ゴ…
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