竜吞ウーガの一番では無いけれど比較的長い一日⑥
竜吞ウーガ、機関部
「……凄い」
扉から中に入ったミクリナは、目の前に広がる光景を端的に評した。
ミクリナが最初にいた場所、ウーガの地表部は、文字通り表層部に過ぎないと言うことは分かっていたつもりだった。だが、実際それを目の当たりにすると、圧倒された。
機関部。ウーガという存在を維持するための臓器とも言えるその場所は、人工建造物で構築された巨大空間だった。ウーガ表層部の都市の一階層下に、もう一つ、地下に石と鋼で出来た都市が存在しているような光景だ。
地表では防壁の上から注いでいた太陽の光は無い。代わりに至る所に設置された魔灯の光と、魔導機の駆動光。それらがミクリナの歩く鋼格子の通路を照らし続けている。
地表部から入ってきた為か、今ミクリナがいる場所は地下空間でもかなりの高所だ。格子の穴から見える地表部は遠い。落ちれば悲惨だろう。
とはいえ、モタモタもしていられない
自分の侵入を察知され、騒がれている印象は今のところないが、いつそうなるかは分からない。自分の【消去体質】は自分の身体を透明にはしてくれない。肉眼で見られれば、不審者だとばれる。此処で働く作業員の服でも見つかれば良いが、贅沢も言ってはいられまい。
向かう先はウーガの核本体――――ではなく、その状態の観察を行う記録装置とその保管室。これほどの規模となれば、常時監視し、異常があればすぐに伝達するための場所が必ずあるはずだ。その情報を奪う。
ミクリナは奈落にかけられた橋のような通路を進む。時折通路の柵を飛び越え、別の通路に音も無く飛び乗りながら、迷いなく進んでいく。
ウーガの地下空間の情報は、ミクリナも有していない。此処は秘匿中の秘匿だ。管理は厳重にしているのだろう。外部に情報を漏らすことは無かった。が、しかし、ミクリナは今までの経験から、こういった管理施設のどの場所にどのような施設があるのか推測を立てることが出来る。
此処は迷宮ではないのだ。
ヒトが生きて、管理するために存在する空間だ。その場所をわざと複雑怪奇にする理由は無い。普段使いする者の利便性を考えると、“合理性”が必ず絡む。その“合理”を読み解けば、自ずと目的地は見えてくる。
ウーガの中にも確かに合理性はある。それでも相当に複雑であるのは間違いなかったが。
「……まるで生産都市の中ね」
ミクリナは生産都市の内部にも侵入したことがある。
選ばれし都市民や神官のみが立ち入る事を許された空間。現在の人類を支える要の一つであり、英知の集結点。それと同等か、それ以上の技術が此処で使われているように見える。ミクリナは気を引き締める。生産都市は彼女が侵入してきた場所の中でも最も警備が強固で、危険な場所だったからだ。
あそこだ
地下空間の中央付近まで進むと、地下空間を支える柱に敷設されるように建造された建物が見えた。建造物の形状、周囲の魔術術式、そして経験から導き出される勘が、目的地であることを示している。ミクリナは再び音も無く近づくと、窓から部屋の中の様子をのぞき見た。
――――誰も、いない?
部屋の中には、誰もいなかった。
部屋の様子を見る限り、監視室の類いであるのは間違いなかった。いくつかの遠見の水晶や、記録帳が立てかけられた本棚も見える。間違いなくその筈だ。
なのに、誰もいない。元から地下空間に人気は無かったが――――これは、
少しの間逡巡し、ミクリナは意を決して扉を開けた。鍵もかかっていない。セキュリティの魔術もかかっていない。そして人気もやはり無い。監視室は無人だった。
単なる不用心?それとも罠?
再び迷いが生まれそうになる思考を一度切る。この状況下で迷うのは、単なるロスだ。もし罠ならとっくに自分は手のひらの上なのだ。で、あれば考えても仕方が無い。やるべき事は素早く今の仕事を終わらせる事だ。
痕跡が残らぬよう、本棚の書籍の全てを速やかに引き出し、目を通す。自分にとって必要な情報を探す。ウーガの情報、それらの詳細を見つけ出せば、そこから逆算して、ウーガの構築術式を読み解ける。
「…………あった――――」
目的のページとおぼしき部分に指をかけ、開く。
そこに書かれていたのは、たったの一文だった。
〔貴方は誰ですか?〕
「――――!!」
総毛立つような恐怖と共に、ミクリナは手にしていた書類を即座に元に戻すと、1秒でも惜しむように外に飛び出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【竜吞ウーガ】機関部の一角
「っく……!!がは!!!」
影から抜け出した瞬間、【血の探求者】達は悍ましい感覚に身震いした。
音も光も無く、何一つとして自分を保証してくれるもののない闇の空間での移動は、心身を破壊する。一度使うだけでもこの有様だ。二回目の脱出の時以外の使用はもう出来なかった。
邪教徒の中にはコレを自在に操っている者もいたというが、並大抵の精神では無い。やはり奴らはイカれているのだと、影の魔術を一度使い、気が狂いかけた男が吐き捨てていた。
しかし、それだけのリスクを冒し、なんとかウーガの秘匿中の秘匿、機関部に潜り込むことが出来た。
ウーガという魔術要塞の内側に潜り込むことに成功した。
あらゆる魔物を寄せ付けぬ山のような巨体や、防壁のように周囲に伸びた甲羅、目の前の一切を焼き払う咆哮等は、表面上の脅威に過ぎない。魔術の深淵に触れられない者達が読み取れる、底の浅い情報だ。
目に見えぬ部分、魔術防衛という見地において、ウーガは難攻不落の要塞なのだ。
一見すれば、外部からの干渉は容易に見える。外部からウーガの魔術障壁に干渉し、本来の命令とは異なる命令を与え、操ることができるように、見える。しかしその手触りで「上手くいった」とより深く侵入した先で、罠が待っている。
干渉してきた者達を捕らえ、拷問し、その情報の全てを吐き出させ、ラインをたぐり寄せ遠く離れていたはずの干渉の元にまで反撃を行う、邪悪にして凶悪な守り。
それらの罠を決死の覚悟でくぐり抜けても、その先に待っているのはあの圧倒的に理不尽で、極まった【白王陣】の壁だ。
遠隔の魔術でウーガに干渉しようとした者達は誰一人として成功しなかった。
だからこそ、こうして直接乗り込むなどという暴挙を働く羽目になっている。
外部からは干渉は困難だ。だが、内側であれば、いくつかの困難な障壁をショートカット出来る。あのおぞましい白王の障壁も――――
「――――来たな」
だが、次の瞬間、ルキデウスが冷静な声で言った。他の血の探求者達はぎょっと身を固くさせる。見れば、彼の視線の先に、何か白く細い、煌めく細い糸のようなものが、機関部の通路から伸びてきていた。
「いくら何でも速すぎる……!?」
「まさか!?罠か!!」
「レイラインだ!!あの魔女が来る!!」
その名に、全員が恐怖に身を固くした。レイラインは怨敵であるが、一方で今日までことごとく、自分たちを迎撃してきた強敵だ。油断ならない相手。陣を構築する隙を与えてしまえば、途端に手がつけられなくなる驚異だった。
彼らの狙いは、暗殺だった。
真正面から対峙すれば手がつけられないともう既に散々思い知らされた。
だが、こちらが来ることを分かっていて、待ち構えていたとしたら。最悪を意味している。対処不能の怪物が、迫ってきているのと同じだ。
「俺が引きつけよう」
全員が硬直する中、ルキデウスが前に出た。
普段、まったく仲間内に馴染もうとしなかった彼の献身的な態度に、全員が驚きの視線を向けた。
「ルキデウス!出来るのか!?」
「さあな。だが、折角用意したソレを無駄にすることはあるまい?」
そう言って、彼は今回のリーダーとなる男に視線をやる。正確には、彼の懐に今も厳重にしまわれている【切り札】へと。
「竜吞女王封じの秘策、【竜血】。無為にしたくないなら、急ぐんだな」
レイラインと竜吞女王。
その内の女王に対する切り札。精霊の力を剥ぎ取るための竜血。邪霊に対してどこまで有効であるかの判別は不可能だったが、使う価値のあるものだった。少なくとも、苦労して手に入れたソレを、無為に散らすのはあまりにも馬鹿馬鹿しかった。
リーダーの男は頷き、言った。
「頼むぞ」
そういって、残る全員がレイラインの気配から遠ざかるようにして走って行った。
「邪魔者は去ったか」
ルキデウスは彼らが去って行くのを一瞥もしなかった。興味が無かった。彼の興味は一点、目の前の光景に向けられている。
徐々に徐々に、通路をひしめく糸の数は増殖していく。魔力で出来た繊細な糸。一つ一つが使い手の意思によって蠢く触手のような代物。膨大な数のそれがゆっくりと、確実にルキデウスを取り囲む。まるで一つの生物のように。
「美しい……」
ルキデウスは、自然と自分の口角がつり上がっていくのを感じた。
そして、本命が、やってくる。無数の白い触手の発生源。精緻で尚美しい白王の陣を背負い、目が焼けるような輝きを放ち続ける小人の少女。自らの秘奥を奪おうとする盗賊に無慈悲な殺意を向ける、竜吞ウーガの守護者。
「【我が英知を盗む不届き者は、貴方?】」
リーネ・ヌウ・レイラインがやってきた。
「そうだ」
その問いかけに、ルキデウスは頷き、そして、シンプルな魔導杖を構えると、狂笑した。
「その英知の一端に触れさせろ!!レイライン!!」
「【嫌よ、いやらしいわね】」
その叫びと共に、絶望的な魔術戦が開始した。




