穿孔王国スロウス―――最後の日②
穿孔王国の魔王城。
イスラリアのどのような場所で会っても、似たような建物を見ることはまず無いだろう。神殿の目的は神と精霊を崇め、奉ることにある。そこに住まう神官達を崇めるのは、目的が異なる。かつての歴史を引きずり続けていたグラドルすらも、最低限、神と精霊を崇める体裁は整えていた。
魔王城。王のための城。王を崇める城。
そんなものは、イスラリアでもここにしかありはしない。
「退避退避退避ぃ!!」
「壁に触るな!どこが竜になってるかわかんねえぞ!!?」
「地下に行くな!!もう粘魔でいっぱいだぁ!」
その魔王城が、滅びかけていた。魔王城に住まう住民達。恐ろしき、魔王の配下達、この土地、この場所でしか存在することも許されないような邪悪なる彼らは、阿鼻叫喚の有様で逃げ惑っていた。
その理由は一つだ。
「何やらかしてくれよんじゃあの超絶バカアホ魔王!!!」
魔王ブラックが、やらかしたのだ。
いつも通り、あるいはいつも以上に。
――ちょっと面白いことおもいついたからやってみようぜ?
という、最悪に軽いノリでめちゃくちゃをやらかし出すのは、いつもの魔王といえばそうではある。そのたびにスロウスは大騒ぎになるし、スロウスの住民も悪ノリが過ぎて、いつの間にか魔王ブラックの思いつき=危険なお祭り、なんていう思想が定着しつつあった。
しかし、今回のはとびっきりである。洒落になってない。
『GGGGGGGGGGGGGGGGGGG!!!』
魔王城の内側からあふれ出た黒い液体、暴食の竜の眷属である粘魔達の進行はすさまじかった。何せ処理がしづらい、というよりも不可能に近い。一見ただの粘魔と変わりないように見えて、その増殖スピードが桁違いだ。
完全に竜を焼き払った、と確信しても、ほんの一滴、竜の身体の一部が残っているだけで、それが周囲を無限に食い荒らし元の身体以上のサイズに豹変している。
しかも、その膨張に際限はない。
「いかん死ぬぅ!!?」
また一人、魔王城の住民が粘魔に吞まれようとしていた。
老いた小人だった。魔王城の研究者である白衣を泥まみれにさせながら彼はどたばたと走り回るが、まったく追いつけない。走っている地面も壁も何もかもが全て竜の泥に変貌していく、全てが、喰われていくのだ。
食らうというよりも、最早同化に近い。
魔王城でブラックが築き上げてきた何もかもが、不定形の怪物に変わっていく。そしてその男も――――
「【天剣・削鋸】」
だが、男の首に届くよりも早く、突然出現した光の“丸鋸”が、彼の周囲にあった黒い粘液を根こそぎに抉り、削った。
「おあああああああああ!!?」
「喧しいぞ、ゲイラー」
そう言いながら、男の首根っこをひっつかんで自分の後ろに下げさせる。ゲイラーと呼ばれた男は、自分を救った者の顔を見て、目を見開き、歓声を上げた。
「ジ、ジースター!!?助かった!!」
「助かってないぞ。下がれ」
男の賞賛を無視して、ジースターは目の前の状況の変化に舌打ちする。天剣で空間をまるごとそぎ落とし、粘魔を抉り、散らし続ける事で粘魔の浸食は収まって――――いなかった。
ゲイラーを今にも食らおうとした竜は、地面まるごと砕いたが、代わりに壁や天井に暴食の浸食は進行した。最早魔王城の一部は【暴食の竜】そのものとなっていた。あと数分もすれば、間違いなく城がまるごと竜になってしまう。
『GAGGGGGGGGGGGG!!!』
「早くも成体になりつつあるのか…………しかも」
ジースターは気づく。この粘魔の竜たちは、ただ、膨張し続けているだけではない。
得体の知れぬ、甘い匂いが、粘魔の竜から漂っている。その匂いは覚えがある。何故ならそれは、穿孔王国スロウスの至る所から漂っている匂いだからだ。
大罪竜スロウスの腐敗物の匂い。万物を腐らせる腐敗臭が、竜達から漂っている。
『GGGGGGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
「………あの大馬鹿、スロウスの腐敗資源、魔王城に保管してたな?」
それを、グラドルが食らったのだ。結果、スロウスの性質を獲得してしまっている。
無限に膨張し、無限に腐らせる。
考え得るだけで最悪のコンボである。プラウディアだって、そんな危険な合成竜は生み出そうとはしていなかった。絶対に手に負えなくなるとわかっていたからだろう。
それを生み出す環境をうかつにも放置している魔王の危機意識は竜以下だった。
「魔王の尻拭いとは、最悪の仕事だ」
そう、ため息をつきながらジースターは天衣を広げる。一見して外套のようなサイズだったものが、爆発的な速度で広がり続ける。使い手の意思と共に形を変える天衣は、魔王城を覆うような規模で展開し続けた。
そして、広がりきった天衣に自らの意思を乗せる。
「【疑似再現:無尽の魔力――音響きの石壁――66個】&【破邪天拳】」
天魔の魔力により【石壁】の魔術を再現し、そこに破邪天拳の音を重ねて反響させる。
大陸の大穴に生まれた穿孔王国スロウスに、美しい鐘の音が一気に響き渡る。味方や、弱者を害することも無く、ただ、悪意をもたらす者だけを誅する聖なる鐘は、悍ましき腐敗と膨張の竜の身体を一気に破壊する。
『GGG GGG G 』
膨張も腐敗も、超常的な魔力によって維持している。ならば、天拳はやはり有効だった。
やはり、使い勝手は最高だな。
グロンゾンが七天の筆頭である理由も分かろうというものだ。当人の圧倒的な戦闘力も合わせると、無双に近い強さとなる。敵は一方的に、魔力に由来するあらゆる攻撃が打ち消され、一方でグロンゾンは天拳の強化を受けて一方的な暴力をたたき込めるのだから、反則と言っても良い。
だからこそ、あんなことになってしまったのは惜しいのだが――――
「ふう!たすかった!うむ!流石七天だ!!いつもは忌々しいがこういうときは頼りに――――おおうふ!?」
なにやらヘラヘラと笑うゲイラーの首根っこをジースターは掴む。
「お前の賞賛はいらないな。それよりも、だ」
「な、なんだ?く、ぐるじいぞ!」
老人相手に乱暴な、とは思わない。このゲイラーという男、魔王ブラックの元で働く魔術師の一人で、有能な男ではあるのだが、当然こんな場所に居る時点でろくでなしの類いである。危険な実験を繰り返しどこにもいられなくなった結果、魔王に拾われてここの研究者をやっている。
つまり、あっぱらぱーの魔王の無茶振りにノリノリで応える筆頭である。配慮の必要性は皆無だ。
「あのバカ魔王はどこに居る。そして何をしたんだ」
「まて、落ち着け、魔王様を心配しているのは分かるが……」
「あの怪物が死ぬか。心配なのは大陸だ」
ジースターは粘魔の竜ごと吹っ飛んだ魔王城の大穴から城下のスロウスの町並みを見る。あちこちから炎が吹き上がり、未だに悲鳴が響き渡っている。先ほどのジースターの一撃で、荒れ狂っていた粘魔らはなんとか消し飛ばした。が、早くも再び、あの音が届かなかった場所から再び黒い液体が噴き出しつつあった。
ほんの一滴だけでも残せば、それが再び貪食を開始する。
きりが無い、なんて次元では無い。このままだと確実にスロウスは全滅する。そしてそれだけで済めば“まだマシ”だ。
「このままだと、スロウスが再び禁忌領域に成り下がるぞ。スロウスで済むかも怪しい」
無限腐敗と無限膨張だ。本当に、冗談でも何でも無く、スロウスを一瞬で食らいつくし、イスラリアをも浸食し、その果てを超えて全てを飲み込みかねない。とてつもなく不味い。一切の誇張抜きに世界崩壊の危機である。
本当に、魔王が何を考えているのかまったく理解できない。あるいはこれ自体が狙いの可能性もあるが――――いや、たぶんあまり考えずに行動しただけだ。絶対そうだ。急ぎあの男の顔面をしばき倒そう。
「で、何をした」
「う、うむ、うむうむ……」
「さっさと言え。どうせろくでもないこととは理解している」
もごもごと口を動かすゲイラーを揺する。どうせろくでもない答えが待っているのは分かりきっている。今更驚きも嘆きもするものか、と、ゲイラーの答えをまった。
そして、ゲイラーも覚悟を決めたのか、大きくため息をつくと、顔を上げた。そして、
「魔王様がの?「【暴食】そろそろ喰わなきゃいけねえんだけど、ごたついてるグラドルにいちいち許可とって大罪迷宮を上層から数十日かけて潜るのチョーめんどくせーよなー。深層までのショートカットつくって?」とおっしゃったのじゃ!!!」
――――家に帰りたい。
ジースターは心底そう思った
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
スロウスは名無し達の楽園だ。というのは嘘偽りだ。
しかし一方で、魔術研究者の楽園ではある。
ここには神官の目も、精霊達の目も無い。この世の禁忌を咎め、ルールを強いる者がいない。外の世界で白い目で見られるような研究だろうと、周囲が危険な禁忌に触れようと、咎める者はいない。
誰であろう。魔王ブラックが禁忌に触れまくるのだから、それはそうだ。
だから魔術師達の楽園で――――そして地獄でもある。
「ここでこそ自分の力を発揮できる!」と、喜び勇んできた者は、大抵はすぐに絶望する。禁忌とは、それがどのように質の悪いものであっても、“守ること”を目的としているのが普通だ。どれだけ利己的な理由で誕生したものであってもだ。
それが一切存在しない場所がどういうことなのかを、すぐに思い知る。
思い知る頃には、その命を落とすことも多いのだが。
今回もそのパターンだった。
「大罪迷宮の、最深層に、転移の通り道……なんだ、国まるごとの自殺か?これは」
「仕方在るまい!魔王様たっての頼みじゃ!!」
「いいように言うな。どう考えてもノリと勢いだろあの魔王」
ジースターは魔王城の研究所に足を踏み入れていた。
その広い研究室のど真ん中に、巨大な魔道機械が凄まじい光と熱を放ちながら起動している。異様な魔導機械だった。一部見覚えのある機構があるが、おそらく大罪都市エンヴィーの技術が組み込まれている。あそこから流れてくる研究者もここにはいる。
「……これを作った技師は?」
「起動時に竜に吞まれた」
「跡形も無いか…………制御できる者がいないなら今すぐ停止させろ」
「いかんぞ、魔王様がまだグラドル側にいるんじゃ!!」
「良い情報を聞いた。今すぐぶっ壊そう」
「やめんかあ!!」
ゲイラーにひっつかまれて、ジースターはため息をついた。
本当の本当に、正気の沙汰では無いのだ。
迷宮へのショートカット、転移通路の存在自体は確かにある。そうでなければ、ありとあらゆる迷宮が一番上から順々に降りていかなければならない。が、それは空間が安定した“スポット”が有った場合であり、何処にでも自由にいけるものでは無い。当然、繋げた先の安全も、魔物出現に対する何かしらの封印措置も、用意できなければ話にならない。
繋げた先の安全すら一切確保せず、大罪迷宮の最深層に繋げる。
凶行以外の何物でも無い。
繋げると言うことは、向こうからもやってこれるという事なのだから。
『GGGGGGGGGGGGGGGGG』
今のように。
「【破邪天拳】」
「素晴らしい!!ジースター!この調子で頼むぞ!!」
「いつまでこの見張りをすれば良いと?」
「約束の時間まであと10時間!」
「その間にスロウスを餌場に世界最大の脅威が誕生するな」
絶望である。本当に、やむなく機械を破壊する必要性はあるかもしれない。この状況で、魔王に離脱されるのは確かに痛手だが――――
「……む」
喋っていると、不意に転移装置がバチバチと鳴動を始めた。身構えるが、転移装置が正常起動したことによって起こる光らしい。そしてこちら側から転移先へと移動する者は居ない。つまりこれは、
「おお!魔王様!!信じておりましたぞ!!!」
ゲイラーや他の研究者達が歓声を上げる。そのなか、ジースターは静かに身構え、迫り来るものに備えた。そして、
『 G G 』
「ぎあああああああああああああああああああ!!!?」
黒い液体が、門からあふれかえった。それも、今までの比ではないほど大量だ。この広い研究室を即座に埋め尽くす量の粘魔だ。
ジースターは命の危機を直感した。
グラドルの竜は大半が不定型だ。故に、区別はつかない。だから脅威を見分けるなら“量”だ。どれほどの体積まで膨張しているかで、その竜の強さを見極める。そして、今なお門から流れ続けるこの粘魔の量は、どう考えても成体を超えている。
まさか、“大本”が来たか?
その場合、暴食などする必要も無く、こちらに来るだけでスロウスが粘魔で埋め尽くされる。ジースターは逃げ出したい衝動を堪えながらも、身構える。
天祈を通じてこの脅威はすでにプラウディアに伝わっているだろう。ならば時間稼ぎをしなければ――――
「【破邪――――」
だが、彼の覚悟は無駄に終わった。
「ぎゃぁあああああああああああ!!!…………あ?」
液体に完全に飲み込まれ、悲鳴を上げるゲイラーは、しかし自分がいつまでも粘魔の身体に溶かされて消えない事に気がついた。彼だけで無く、彼の同僚達も同じだ。ただただ、黒い液体に身体が飲み込まれて、服が汚れるだけだ。
当然、竜が手心を加えてくれるわけも無い。ならばこの竜は、
「――――死んでる」
竜の死体が流れ込んできているのだ。
無論、それでも膨大な量だ。放置すれば魔王城は沈没しかねない。しかしジースターは脱力しながらため息をついて、ぼやいた。
「なるほど、悪いものを食べたか」
「だぁぁぁああれが悪いものだってぇええ?!ジースタァ!!」
次の瞬間、液体の中央から声と共に何かが飛び出した。混乱を引き裂くような禍々しい声と、身体から噴き出す黒い光、粘魔の竜を“台無し”にする力を放ち続ける禍々しいその男の元気そうな姿に、ジースターはため息をついた。
「【天剣】」
そのまま転移の門を断ち切る。激しい火花が散ると共に門が閉じる。液体の流入は止まった。研究者の何人かは「ああ!」と嘆きの悲鳴をあげるが、竜の死体で溺れ死ぬなどという悍ましい最後を迎えるよりはずっとマシだろう。
「魔王様!!ご無事でしたか!!!」
そしてゲイラーはといえば、だれよりも素早く、帰還した自らの主の元へと近づいていった。
「転移装置は成功したのですかな!?」
「いーや大失敗。時空の狭間に飲まれて体感10年くらい迷子になって6回くらい死んだわ俺。しかも敵も使いたい放題。二度と作らない方が良いな!!」
そしてがっくりと膝をついた。
そんな彼を無視して、魔王はジースターへと近づき、そして楽しそうに笑った。
「よお、我等がスパイくん?遊びに来たのかい?」
「仕事だ。無事の帰還を残念に思うよ。魔王」
いつものやりとりをしながら、ジースターは楽しそうな魔王を冷めた目つきで睨んだ。




