とある主従の経緯
その日、勇者ディズは七天としての仕事ではなく、黄金不死鳥のギルド長代理としての仕事の為、事務作業を行っていた。黄金不死鳥が担当するエリア一帯に金銭の貸し出しを行っている顧客との取引状態の確認、その手続きを担当のギルド員がつつがなく行えているかどうか。間違いが起こっていないかの監査作業だ。
七天という大任の傍ら、金貸しギルドを兼業するなんていかがなものか、とほかの神官が咎めてくることもあるのだが、金貸しというのはなかなかどうして市井の情報を仕入れるのに役に立つ。
何せお金だ。この世界に生きるなら誰だって必要としているものだ。
この金の流れは、数字以上の情報をもたらしてくれる。
誰が金を必要としているか。誰が金に余裕があるのか。
どこから出て、どこに流れ、どこに集まっているのか。何に使われようとしているのか。
そういった情報は精霊の力を管理する神殿ではなかなか得がたい。
武具防具の収集という役割以外にも、黄金不死鳥が勇者ディズにもたらしてくれる恩恵は大きい。不穏な動きや、よどみがあれば、いち早く駆けつけることができるのだ。
だからこそ、彼女は黄金不死鳥の仕事をないがしろにはしない。
本日の彼女は朝からずっと真面目に、書類とのにらめっこに明け暮れていた。
その結果、
《ジェナーひーまー》
「アカネ様。ひなびた猫のようなお姿になっていますね」
精霊憑きの少女、アカネはディズの付き人であるジェナに悲しげな不満をこぼした。
「最近、ディズ様はデスクワークばかりですからね」
《うーにー、ひーまー》
アカネはディズと取引をしている。
自分が彼女にとって「おやくだち」なところをキチンと示すことができれば、兄であるウルとの取引とは別に、自分の“解体”を止めてくれるという取引だ。それは今現在も継続している。
であれば事務作業においても、何かできることがあれば、ディズにとっての「おやくだち」ポイントは稼げるのではないか。と、アカネも考えたことは一応あった。……あったのだが、残念ながらそう簡単にはいかなかった。
《わたしやれることなーい》
理由は単純で、どうしようもない。
ディズとジェナの仕事に、アカネが全くこれっぽっちもついてこれないのだ。
アカネだって文字の読み書きはできる。数字の足し引きはやや苦手であるが、時間をかければできないではない。学の浅い名無しの子供であることを考えると、むしろかなり知識のある方だといえる。ウルが最低限、そこら辺の手ほどきはしていたからだ。
が、しかし、その程度では、ディズとジェナの事務処理についてこれない。
アカネが一枚の書類を全部通して読み終えるまでの間に、2-30枚くらいの書類を彼女たちは完了させる。しかも、読み終えたからと言っても仕事が終わるわけでもなし、それをどうすればいいか、答えるのは結局二人になる。
もちろん、仕事を慣れるどころか覚えてもいない少女にそれを求めるのは無茶もいいとこだし、できないなら覚えればいいという話なのだが……そこまでの労力を割いてでもアカネが事務処理能力を身につけた方がいいかと言えばそうでもない。
――私だってこっちは本業じゃないし、君にそこまで求めないよ?
と、ディズはそう言って、アカネに無理に仕事を与える事はなかった。
結果、暇になった。ジェナはしょぼくれた猫のアカネの頭を撫でながら尋ねた。
「お外に出て遊びに行かれますか?」
《わたしディズのもんだしなー。かってにでるのはなー》
「妙なところで律儀なのは、お兄様似でしょうか」
幼い子供のように振る舞う一方で、彼女は律儀だ。ヒト扱いされず、売られたというのに、彼女は決してふてくされたような態度はとらなかった。
自分がどういう扱いを受けたのか理解できていないのかとも、最初出会ったとき思ったが、どうやら、彼女はそういうのとも違うらしい。幼い子供のようでいて――――いや、実際幼い子供ではあるのだが――――彼女は精神的に成熟している面がある。
彼女の事をディズからの手紙で知ったときは不憫な(ディズにとってもアカネにとってもという意味で)境遇だとは思ったが、悲劇の少女のような態度も取らず、自分にとっての加害者であるはずのディズとも仲良くするほどタフな彼女を、ジェナも好感を持っていた。
とはいえ、いま彼女の遊び相手をするのは少し難しい。
「私ももう少ししたら、また別件で仕事があるのです」
今はちょうど、仕事と仕事の間の隙間にアカネの相手をしてあげられるが、もう少ししたらまた、ジェナも仕事に出払わなければならない。今日は不死鳥のギルド員も少ない。遊び相手のいない彼女を放置するのはやや不憫だが――
《むーん……じゃあ、ジェナのおはなしして?》
「私のですか?」
アカネの要求に、ジェナは不思議そうな顔をした。
「私ごときに、面白い話は何もありませんよ?ディズ様に付き従う信奉者の影のメイドでしかありません」
《おもしろさのかたまりやで?》
塊らしい。
まあそれで、持て余している彼女のヒマが潰れるなら、それもいいだろう。自分の身の上話なら、次の仕事までの時間で事足りる。何よりアカネをディズは大事にしている。なら、自分も彼女のことを尊重するのが道理だ。
アカネはキラキラと興味深そうな表情でこちらを見つめてきた。
《なんでディズすきになったん?》
「彼女に救われました。」
《ゆうしゃのおしごと?》
「ええ」
《たすけられたん?》
「いいえ、逆です。私は彼女に捕まりました」
《あれま》
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ジェナはとある闇ギルドの一員だった。
といっても、別に彼女は望んで悪行に手を染めていたわけではない。
彼女は名無しで、両親に売られて、とある違法薬物を取り扱う闇ギルドの雑務をこなす奴隷だった。
彼女と同じ時期に買われた奴隷達は皆死んだ。
雑に扱われて、雑に死んだ。
生き残ったのは彼女だけだ。といっても、何か特別な理由があったというわけではない。彼女が比較的、容姿に優れていて、能力に優れていたから、うまく生き残ることができただけだ。
彼女は優秀だった。いかに犯罪者の集まりのギルドであろうとも、組織という体を保つためにはやらなければならない雑務は無数にある。それを彼女は次々と任されて、それを次々にこなしていくうちに、気がつけばギルドのボスからも重宝されるようになっていた。
ジェナにとって、それはどうでもいいことだった
彼女の周囲にはくだらない連中ばかりがいた。自分の環境を疎み、努力を嫌い、想像力に欠けていた。この国の闇を牛耳るだのなんだのと根拠のない自信に満ちあふれていて、その割に一向に行動には移さない。言い訳を繰り返す。
くだらない。くだらない。くだらない。
そして、そんな彼らに支配される自分も、くだらない。
ジェナは諦めていた。自分はきっと、このどうしようもない連中にずっと使われ続けるのだと。気まぐれに殺されないことを祈り続ける日々は、続くのだと。そうやさぐれて、思考することもやめて、薄汚れたドブ色の世界を見つめ続けていた。
「七天が一人、勇者。プラウディアに蔓延る悪徳の一端を断たせてもらう」
だから、そんな世界が突如、金色の閃きによって一切合切が焼かれたときの衝撃は、計り知れないものだった。
それは本当に突然で、何の前触れもなかった。
ギルドに現れたのはたった一人の少女だ。金色の髪をした美しい少女が、突如ギルドの正面から侵入してきた。あまりにも堂々とした姿に、その姿を見たギルド員は彼女のことを新しい奴隷か何かと勘違いしたほどだ。
しかし、次の瞬間に、彼女は嵐のようになって、次々とギルド員をなぎ払った。
一人切り伏せ、二人打ち倒し、5人を魔術で制圧する。偉大なる天賢王から派遣された戦士であると理解した頃には、もう何もかも手遅れで、ギルドは壊滅状態に陥った。
ギルドの多くを管理していたジェナには、この闇ギルドが砂上の楼閣であることは理解していた。が、しかし、だからといってここまであっけなく崩壊させられるとは思ってもみなかった。
それ故に、その嵐を連れてきた黄金の少女にジェナは魅入られていた。
「やあ、初めまして。君がこの組織のボスかな?」
少なくとも、その金色の少女に剣を突き立てられてもなお、見つめることをやめられない程度には、その姿に魅了されていた。
「ボス、ですか?」
「うん、状況的に、君しかいないんだけど、どうかな?」
彼女のその姿から目を離すまいとしながらも、投げられた質問を疑問に思った。ボス?ボスと彼女は言ったか?奴隷である自分に対して?
「私はただの雑務をこなす奴隷です」
「おや、君がこの組織を管理していると思ったんだけど?」
少女は不思議そうに首をかしげる。その所作も愛らしかったが、やはり勘違いだ。
「奴隷です。昔ここで買われてから、ずっとこき使われていました」
ふむ、と少女はジェナの首を見る。確かにそこには相手を従えさせる呪いの首輪がついていた。たしか悪名高き【焦牢】と同じ性質のものであるらしいと、彼女を従えている男が自慢げに語っていた。結局その力を見ることはジェナは一度もなかった為、本当かどうか定かではない。
そのまま少女はキョロキョロと周囲を見渡す。ここはジェナにあてがわれた執務室だった。私物も全くない書類の山だ。見回したところで面白いものなんて何もないと思うのだが――――
「人事管理は君が?」
「そうですね」
ジェナは頷いた。
「帳簿、お金の管理も君だよね」
「そうですね」
ジェナは頷いた。
「薬物取引も君の管轄だ。ついでに言えば、集めた資金運用も君」
「そうですね」
ジェナは頷いた。
「うん、やっぱり君がこの組織のボスだ」
「ボスならほかにいますよ」
「この下の階で、肥えた男の事?彼なら恨まれていたのか、私がたどり着くよりも早く、仲間達に惨殺されていたよ」
かわいそう。と、少女は悲しそうにそういった。
死んだ。と、彼女は言う。
長い間、ずっとジェナを支配して、道具のようにこき使ってきた男が死んだ。多少胸がすくかとも思ってみたが、しかしその情報を聞いても全くどうでもいいと自分が感じていることに気がついた。
本当に、どうでもいい。目の前の少女の事と比べれば、あんな塵芥の事など。
「言われたことを、ずっとし続けていただけです。拒否権はありませんでしたから」
「なるほど。指示されたことをこなし続けるだけで、組織にとっての最大の要となってしまったと。本当に優秀な人材らしいね、君は」
「過大評価です」
「ふむ?」
「ワタシはゴミですよ。あなたとは違う。あなたのように、輝かしくない」
ジェナの目には、そのヒトの輝きが見える。
その当人の立ち振る舞いを見れば、その者がどれほど優れているか、優れていないか。すぐにわかるのだ。人事を任せられるようになるのも道理だ。それがいわゆる【観の魔眼】と呼ばれるものらしい。
正直言えば、疎ましいと思ったことしかなかった。
底辺を生きてきた彼女の目には、醜い者ばかりが映っていた。自分のことばかり考えて、ただただ楽をしようと、ごまかそうとする者ばかり。見ているだけで、その汚れが自分に移るような気がして、吐き気がしたものだ。
だけど、今は違う。自分の眼に彼女は感謝していた。
これほどまでの美しさを、輝きを、目に焼き付けることができたのだから。
「さて、と」
不意に、少女は剣を振るう。ジェナの首に剣閃はとんだ。一瞬、首を落としてもらえるのかと思ったがそうではない。彼女の首にずっと纏わり付いていた忌々しい呪物が、彼女の剣に切り裂かれて、砕けたのだ。
落下した首輪を少女は拾い上げ、頷く。
「間違いなくこれは服従の呪具。だとすれば、君に責任はない。もちろん、一番このギルドの内情を知っているから、色々と聞かなければならないことはあるけど」
「はい」
「君は自由だ。その能力があればどこでだって仕事はできるだろう。何がしたい?必要ならどこかに紹介してあげてもいい」
問われる。
包み込むような優しさが半分、こちらに対する好奇心が半分。聖女と、純粋な子供が入り交じるような不思議な目線を真正面から受け、ジェナは決断した。
「貴方の奴隷になります」
「即答」
「貴方の輝きを間近で見せてください。それができないなら死にます」
「怖い」
仕えるべき主にドン引きされながらも、ジェナの就職先が決まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「このような流れでした。つまらないでしょう?」
《げきやばだったが?》
「あら」
アカネはドン引きしていた。本当にたいした話ではないはずなのだが、
「若気の至りです。自分のいた狭い世界しかものを知らなかったが為に、視野が狭くなって、自暴自棄になっていた。恥ずかしいことです」
自分と、自分の周囲の本当に狭い範囲の世界を見て、全てを知ったような気になってしまっていたのだ。しかも、自分の目で見える限りの、表面的な輝きに踊らされていたのだから、どうしようもなく未熟だった。
「今はもう、綺麗だから、汚いからと安易に見切りをつけることはやめました」
《おちついたん?》
「ディズ様もまばゆさの中に弱さや脆さもある。時として弱り、心くすませることもある。ですがそれもまた美しさなのだと気づくことができました」
《やべーほうにしかいがひろがっとる》
「表面上の美しさばかりにとらわれる幼い自分から成長できて、本当によかったです」
《のーこめーんと》
アカネはバッテンマークをつくり、会話を終了させた。
どうやら調子に乗りすぎてしまったらしい。反省である。主であるディズの話となると、なかなかに抑制が効かなくなってしまうのが困ったところだった。
《まー、あれな?いっしょにディズのおてつだい、がんばろっか?》
「ええ。一緒にディズ様の様々な表情を間近で観察できるように努力しましょう」
《それはしらん》
やはりドン引きされてしまった。
なので、アカネのおかげでディズ様の表情が多種多様に綻んだり晴れたり、喜んだり悲しんだりしているので心から感謝しています、と告げるのだけは、やめておくことにした。




