神官見習いたちの日常
神官見習達の朝は早い。
「さっさと起きなさい無駄飯食らいども!」
今日も今日とて、鬼教官であるカルカラの指導の下、ひいひいと悲鳴の声をあげながら神官見習達は起床する。カルカラ教官が彼らを鍛え始めてからそれなりの月日が経過したはずなのだが、未だに彼らが慣れる様子はなかった。
元々は、大罪都市グラドルの中でもとびっきりの落伍者達だ。骨の髄まで自堕落が染みついた彼らの性根は一朝一夕では直らない。今でも時折サボろうと画策する者まで出てくるのだから筋金入りだ。
しかし、そんな彼らの中でも、元気よくカルカラに従う者もいた。
「みんな、一緒に頑張りましょう」
風の少女。
不義の子、名前を奪われ、捨てられた哀れなる少女。
おそらくグラドルで捨てられた神官見習いの中でも、最も悲惨な境遇の彼女は、しかし彼らの中でも最も元気だった。情けない声でうめく大人達を引っ張るようにして、彼女は今日もカルカラの指導について行く。
カルカラも、彼女に対してはそれほどにスパルタな行いをすることはないのだが、彼女自身が望んで精霊の操り方を学んでいた。
四原の大精霊を操る彼女は、神官としても極めて優秀だ。
【風の精霊フィーネリアン】から力を授かった彼女は様々な力を使える。
自在に空を飛ぶこともできる。風の力を使って空気を浄化する。風を刃のようにして飛ばして、遠距離の物質を切り裂くことも、風で圧を作り、周囲を制圧することもできる。
つまり、風にまつわることであるなら、彼女はほとんど何でもできる。
これで、まだ加護を授かってから間もなくだというのだから驚きだった。紛れもない天賦の才能を持つ彼女は、それでも驕ることもせず、ほかの同僚達――――というにはいささか年が離れていたが――――を励ましていた。
「もう少し……ゆっくりいこう風の娘よ……」
「あの子は本当に元気だ……俺はまだ眠いよ」
「んもお……しょうがない」
神官見習達は不真面目でサボり魔だ。しかし、彼ら彼女らは風の少女に対しては一定の親愛を感じていた。相手が子供であるから、とか、そういうわけではない。
「アノータさん。頑張りましたね。風、必要ですか?」
「あ、ああ、…………ありがとう、風の娘」
「コラノルさん、最近少し、勇ましくなられましたね。筋肉がついてきましたか?」
「そ、そ、そうなんだ…………!!最近、ちょっと、身体が、丈夫になってきて」
彼女は、家族からも忌み嫌われていた神官見習い達を、決して落伍者を見るような目では見なかった。一人一人に声をかけて、励ましていった。
誰から見ても、神官見習い達は落伍者だ。
嘘をつく。不平不満を言う。誰に対しても悪態をつくし、傲慢だ。特権階級の立場すら失った彼らは、どれだけ精霊の力を手に入れたとしても、厄介者だった。彼ら自身も、それを自覚していたことだろう。それが余計に、彼らの心をこじらせていた。どうしたって、彼らは心を卑屈にさせていった。
だからこそ、彼女の純粋なコミュニケーションは、彼らの心に染み入ったのかもしれない。彼女をきっかけにして、全員が徐々に徐々に、心をほどいていった。
カルカラもまた、風の少女の振る舞いについては一切止めることはしなかった。
カルカラはエシェルの狂信者だが、彼女のためにとがむしゃらに神官見習達をいたぶることをよしとしているわけではない。飴も与えなければ壊れてしまう。さすがにそれはわきまえている(最初は思い切り荒療治を行ったが)
それを彼女が担ってくれるのはまさに渡りに船だった。
「風の子ちゃん……」
「はい、シャルガさん」
「私、私……どうしよう……」
「はい」
「手紙、送ったのに、精霊様の加護が使えるようになったって……」
「はい」
「家族みんな、全然……返事……」
「大丈夫です。あなたが頑張ってるって、私たち、知ってます」
遙かに年下の自分に泣きつく者がいても、風の少女は受け止めた。こうして、少しずつ、少しずつ、彼らを立ち上がらせていった。
いびつではあった。
真っ当に生きてきた者達からすれば、子供に大人がすがりつくなんて、と、眉をひそめるような光景かもしれない。
それでも、はぐれ者達のあつまりのウーガに、彼らのいびつさを咎めようとする者はいなかった。
「ひぃー………ひーぃー……」
そして、最も官位が高く、もっとも自堕落に生きてきたグルフィンもまた、なんとか立ち上がろうともがく者の一人だ(当人の意思に関わらず)。少なくとも、異常なまでに肥え太り、身動きが全くとれなくなった肉体をどうにか改善しようともがいていた。
だからこそカルカラは、彼には特に入念に肉体のトレーニングを課していた。のだが、
「……じぬ」
まあ当然、一朝一夕で長年祟った怠惰は改善しない。
今日もまた、彼は汗まみれの身体で地面に倒れ伏した。こひゅーこひゅーと汗をかく。ランニングの中で、彼は一番遅くて、いつも最下位だ。それでも風の少女は彼がランニングが終わるのをいつも待っていた。
「グルフィン様、お疲れ様です」
そういって、いつもそよ風を彼に与えるのだ。
グルフィンは、風を浴びてもひぃひぃと声を荒げ、息絶え絶えに小さく感謝の言葉を継げると、そのままうなりながらうめく。
「ワシは、頑張ったぞ!!」
「とてもすごいです」
「すごい頑張った!明日は休んでもいいだろう!?あるいは食事をもっと増やせ!」
「それはダメです」
「なぜだぁ!」
「衛星都市に立ち寄っての補給は来週です。来週まで我慢です」
「ぐぅ…………前回の時、もっと買い込んでおけばよいものを」
「我慢した分、来週はいっぱい食べましょう」
「…………むう」
風の少女はニコニコという。普通ならこの後、グルフィンはグチグチと文句を垂れ流し続けるのだが、最近、風の少女が微笑みを浮かべてそう励ますと、なかなか次の文句は出てこなくなっていた。
彼もまた、少しずつ落ちてきた体重とともに、心の面でも少しずつ変化が訪れていた。
「……おぬしも、文句を言ってもよいのだぞ?」
故にだろうか。その日は不意に、グルフィンは風の少女にそう尋ねた。
確かに彼女はここに来てから、ほとんど文句を言ったりはしなかった。ウーガ騒乱の時はさすがに不安を抱えていたが、それ以降は全くだ。
常に周りを気遣い、声をかける。慰めて、施す。
聖女のようだと誰かが言う。シズクのようだと誰かが言う。
だが、彼女の幼さで、聖女のように振る舞うのは、それはそれでいびつだ。それは皆わかっている。だからカルカラも、定期的に彼女には声をかけている。問題はないか。疲れてはいないか、と。
でも、グルフィンがそう言うのは初めてだった。
だから風の少女は少し驚いた顔をした後、顔をほころばせた。
「大丈夫です」
「だがのう……」
「私、幸せなんです」
「幸せだと!?こんな汗まみれになることがか?!」
グルフィンは叫ぶ。
彼の基準からすれば、これはとてもではないが幸せからはほど遠い。毎日したくない訓練をして、したくない仕事を押しつけられる。これのどこに幸せを感じる要素があるのかと、本気で彼女の頭を疑った。
しかし、彼女は首を横に振って、笑う。
「だって、皆、私とお話ししてくれます」
「……む?」
「私と話して、愚痴をこぼしたり、悩みを言ってくれたりします。名無しの、子供達とも仲良くなれました。私と、ちゃんと目を合わせてくれています」
「――――」
その言葉の意味を察せぬほど、グルフィンは愚かではなかったのだろう。彼は顔色を変えて、目を見開いて少女を見た。
「私、幸せです。私が、ここにいるってわかるから」
で、あれば、前、彼女がいたところでは、彼女は自分のことを誰からも認知されなかったのだろう。想像はつく。【名無しの呪い】なんていう術を施されて、名前を呼ぶことすら禁じられた少女。以前の彼女は、彼女の存在自体を認めなかった連中のいる場所で過ごしていたのだ。
だから、今幸せなのだと彼女は言う。だが、それは、そんなものは――――
「…………違うぞ!」
こらえきれぬ、というようにグルフィンは叫ぶ。
風の少女は目をぱちぱちとさせている間に、グルフィンは彼女を指さした。
「よいか!もっと幸せなことがあるのだぞ!!」
「そうなのですか?」
「自分の大好物を山ほど口にできる!煌びやかな音楽や演劇!!まだまだある!!」
「すごいです」
「こんなのは全然幸せではない!おぬしはもっと幸せを知るべきだ!」
「とても楽しみです」
地団駄を踏むようなグルフィンの叫びに、ぱちぱちと手をたたく風の少女の振る舞いは、大人と子供が逆転してしまったかのようだった。
しかし、それでもグルフィンは必死だった。彼自身も、なぜこんなに叫んでいるのか理解できなかったが、それでも叫ばずにはいられなかった。
「いずれカルカラの訓練も終わらせる!そうすればどれだけおぬしが世間知らずなのか教えてくれるからな!」
はい、と風の少女は本当にうれしそうにニコニコ笑う。そして、
「では、早くカルカラ様に満足していただけるよう、頑張りましょうね?」
そういった瞬間、グルフィンは先ほどまでの勇ましさどこへやら、がくりと膝を折ってうめいた。
「も、もおちょっと楽にならんかなあ……」
しかし、次の日からグルフィンは気持ち、頑張って手足を大きく動かして走るようになった。それを見て、風の少女はうれしそうに彼について行くのだった。




