良い日
大罪都市エンヴィーで激しく巻き起こった子供戦争はある日突然終わりを迎えた。
理由は単純で、中心となっていたウルの都市滞在期間が過ぎたからだ。
彼と妹は都市を出た。ルールを平然と跨いで通るような男に思えて、彼は規則に対しては従順だった。ルールの隙を突く様なことはしても、正面から破って踏み荒らすような事はしなかった。
酷く呆気なく、鮮烈な日々は終わった。
そしてその翌日から、大罪都市エンヴィーは彼がくる前と何ら変わらない日々に戻った。表面上は栄華を謳いながら、薄皮一枚下で陰惨で生臭い、閉鎖的な社会が続いた。大人も子供も、まるであの日々が無かったかのように振る舞った。
大人たちがそうするのは分かりやすかった。彼らにとってあの騒乱の日々は悪夢といって差し支えない。早いとこ忘れてしまいたい。元の日常に戻ろうと、何もなかったようにふるまうのは、大人たちの防衛本能だ。
子供たちも同じようにしたが、それは大人達のソレとは少し意味合いが違った。
勿論、嵐のような日々に恐怖した子供も居て、大人達と同じようにただそれを忘れるために無かったこととして振る舞っていた者も居た。しかし一方で、嵐のような日々を宝物のように思っている者も、いた。
彼らにとって、諍いの日々はまぎれもない青春だった。大事に胸の奥にしまい込む奇妙な宝物に等しかった。
汚すことは出来なかった。心の奥底にそっとしまい込んで、誰にも触れられまいとする心が、彼らを日常に戻した。
エクスタインにとってもそれは同じだった。
彼にとっても、あの嵐の日々は、鬱屈とした人生の中で唯一の輝きだった。
やがて時間が過ぎた。
エクスタインも年を重ねた。大人になった、というにはまだ若すぎたが、幼い日の幻想を冷めた目で見られるくらいの年にはなった。今もウル達と共にあった幼い頃の戦いは色鮮やかに思い出せる。だけど、成長した今は、その心地よさに水を差すような声が自分の内から湧き上がってくる。
どれだけその過去が美しくても、エンヴィーを取り巻く世界は変わらなかった、と。
大罪都市エンヴィーの彼の周りの世界は相も変わらず最悪だった。何一つ変わりはなかった。空気は淀み続け、腐敗していた。そしてその空気に、いつの間にか自分も染まっていた。父親と同じ、色褪せた目をするようになっていた。
自分は特別じゃなかった。この世界は変わらない。
そんな寂しい悟りを得ながら、彼は騎士団に入った。父親と同じ中央工房に入らなかったのはせめてもの抵抗だった。
騎士団の中でも一番自由度が高い遊撃部隊に入って、それでもエンヴィーという国からの影響は大きくて、彼方此方にこき使われながら毎日を過ごしていた。若くして副長に出世したが、遊撃部隊を影響下に収めたいヘイルダーの意向であって自分の実力で無いことを彼は知っていた。自分の能力に見切りを付け、エンヴィーという社会に組み込まれて出られない自分を諦めた。
「――――、――」
「――――――――」
「――――、――――――」
街の喧騒が五月蠅い。
変わらぬ日常だ。それを悪いとも良いともエクスタインは思わない。本当に、ただただ興味が薄かった。何一つとして変わらぬ、その光景に感情が動くことはもう――
「なあ、聞いたかあの噂」
「噂って、まーた冒険者の話かよ。名無し達の話好きだねおまえも」
「いや、聞けよすっげえ冒険者が出たんだって!」
「前も言ってたじゃんおまえそれ」
「今回は違うんだって!すげえんだよ!ウルって冒険者がさあ――――っ!?」
次の瞬間、エクスタインは友人達と楽しげに噂話をしている都市民達の前に立っていた。都市民達からすれば、突如、騎士が目の前に詰め寄ってくるのは恐怖だろう。しかしそんな彼らのおびえを無視するように、エクスタインは噂話に興じていた男に手を伸ばした。
「き、騎士さん、ど、どうしたんで!?」
「今、なんて?」
「ぐ、ちょ、ちょっと!?」
「ウルといった?」
鍛えられた体で、思い切り掴んだものだから、都市民は痛みにもだえる。慌てて周りの友人達がエクスを揺するので、手を離した。しかし、エクスタインの目は未だに噂話好きの都市民に注がれ続けている。
「ウルが、なんだって?」
「……い、いや。だから、そのウルって冒険者が、最近、すげえって」
「すごい」
「そ、そうなんすよ。なんか、賞金首めっちゃ倒して、めっちゃ出世してる……って……」
説明しているうちに、都市民達が顔を引きつらせ始める。得体の知れないものを見るような顔でエクスを見てくる。何事だろうと思っていると、自分の顔がゆがんでいることに気がついた。
両目からはボタボタと涙がこぼれ、口はゆがみきり、笑みに変わって、痙攣している。あまりに不気味な有様に、都市民達はおびえ、背を向けて、逃げ出した。
だが、エクスタインはもはや彼らの事なんてどうでもよかった。
ウル。
ウルが再び姿を現した。
それも、かつてよりも遙かに鮮烈に目映く。
エクスタインは震えて、哄笑した。周囲の民達がぎょっと驚き、距離を取り始めるが何一つ気にならない。
間違いではなかった。
あの輝かしい日々は、嘘ではなかったのだ。
今なお彼は、黄金のごとく、まばゆいのだ。
その事実に彼は震えて、泣きながら、笑った。
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螺旋図書館、グレーレの工房にて。
「まあ、彼の名を再び聞いたのはこんな経緯でしたね。面白かったですか?グレーレ」
「それなりに、だなあ?だが、今はお前の方が面白いぞ?どうした優男」
天魔のグレーレは自身の部下にして協力者であるエクスタインを眺めながら、嗤う。転移の術でグレーレの下へと逃げ込んできた彼の格好はなかなかに悲惨だ。ボコボコに殴られた跡と、潰れた鼻。ついでに、阿呆のような厚化粧で顔が落書きされている。
凜々しい騎士様として評判の面構えが全くの台無しである。エクスタインは肩をすくめる。
「主にアカネから罰を。殺されないだけ、温情も温情ですがね」
「カハハ!殺されても良いと思ってる狂信者を殺しても罰にはなるまい?話を聞く限り、その妹御は学がないだけで賢いのだろう?」
「ええ、僕よりもよっぽど」
ウルの代わりに殴ったのも、そこら辺を見越してだろう。
本当に、賢い少女だった。彼女のそういう所はエクスタインも好いている。そう考えると彼女からの罰も、エクスタインには罰にならないのだが、流石にそれは言わないでおいた。
「それで、僕の動機の続きでしたか?説明します?」
「いや、結構。大体理解した――――お前は根っからの狂信者だ」
グレーレは目の前のグラスを煽る。アルコールでは無く、ただの水だ。彼は味のついた飲み物が嫌いだった。そのまま彼は楽しそうにこちらを見つめる。
「最初は、お前がウルを贄に、故郷を焼き払う事を目的にしたのだと思っていたがな」
「まさか」
グレーレの言葉に、エクスタインは笑う。まさしく冗談のような話だった。
「確かに、僕にとってエンヴィーは彼との一時以外、ろくな思い出の無い場所です。が、全てに絶望的になるほどじゃなかった。僕は能力に恵まれていた」
いくらエクスタインの環境が鬱屈としていたとはいえ、それで国全体を恨み呪い、破滅を願う程、彼は自暴自棄になってはいなかった。
幸いにして、彼自身は容姿に恵まれ、ついで能力もある程度優秀だった。歪なツテがあったとはいえ、それでも騎士団の一部隊の副官を務め続ける事ができる位には、彼には能力があった。
絶望し、心折れるには、彼は恵まれていた。
「何もかも見えなくなって、全てを巻き込んで破滅するほどではなかったですよ――――ただ」
「ただ?」
エクスタインは感情の無い声で、小さく呟いた。
「ウルの邪魔をするというなら、滅ぼすのも止むなしですが」
その言葉を聞いた瞬間、グレーレは破顔した。
「カハハハハハハ!度しがたいな!!邪教徒でもなかなかみないわ!ここまで振り切れているのは!」
そう、ウルに害をなそうという動きがあるのなら話は別だ。
ウーガという前代未聞の移動要塞を手にしたウルという冒険者。巨大な利益を生むウーガを得る上で邪魔者となる彼を排除しようという動きが中央工房にあると察知するや否や、エクスタインは密やかに行動を開始した。
彼にとって、生ぬるい地獄を与えるエンヴィーと、ウルとで、どちらを優先するかなど、天秤にかけるのも馬鹿馬鹿しいほどに自明だった。
エクスタインは一切の躊躇無く、自分の故郷を火にくべた。
「そのきっかけの為に、あの哀れなる英雄が活躍できる地獄に突き落としたと?流石に、黒炎を払うと確信するのは盲信が過ぎないか?」
「払ったでしょう?」
「確かに!冗談のような話だ!!」
「最も、彼が出られなかったとしても、エンヴィーと中央工房は壊しましたがね」
火をつけるのは、酷く容易だった。中央工房の酷い勘違いを利用すれば。
「現在は疎か、この先500年魔術を研究したとて、魔術が精霊に追いつくことはない。貴方の言葉を真摯に受け止められる者が少なかった」
「偉大にして愚かな創造主に追いつくのは厄介だ――――お前以外にそれを説明しても理解を拒んだがな」
「僕には都合良かったですが」
グレーレの力によって、エンヴィー中央工房は飛躍した。
結果、工房のみならず、都市民たち全体が浮き足だった。精霊の力から脱却する時は近いのではないかと。しかし、その未来はそこまで近くはない。誰であろう、グレーレ本人が、精霊の力とそれに依存するシステムの脱却にはほど遠いと見抜いていたし、公言すらしていた。
その言葉を見て見ぬふりした時点で、中央工房の破綻は必然だった。
エクスタインの所業は、それを早めたに過ぎない。
「これで中央工房の権威は失墜。責任の所在をぶつけるためにぐだぐだの大喧嘩、まあ、鎮火したところで、二度とウーガに手は出せないだろうな。気が済んだか?」
「安心しましたよ。とはいえ、貴方の協力も不可欠でしたが、グレーレ」
「意図しなかったとはいえ、自分が膨れ上がらせたものを自分で崩すというのはなかなか面白かったな!グローリアには貧乏くじを引かせたのは悪かったがな!」
「悪いと思ってないでしょうに……まあ、彼女も嫌だとは思ってはいないでしょうが。貴方の指示なら」
今回の一件、国中に火をつけて、中央工房を失墜させるという所業は、何もエクスタイン単独で行ったのでは無い。協力者がいた。
目の前の男、天魔のグレーレ。中央工房が肥大化した最大の原因である男だ。
「貴方なら、もっと直接的に中央工房を壊せそうなものですけどね」
「いかんぞ?そんな事をすれば、いくら勝手気ままな俺の所業といったところで、七天という権威の失墜はまぬがれん。自滅してもらわねばならんのだ」
「厄介ですね、この世界は」
「そう出来ている。だが、これで、エンヴィーの支配は統一された上で弱体化した。プラウディアの意向は素通りだろう」
これで、大罪迷宮エンヴィーを自分がため込んだ膨大なリソースを消費してでも攻略するという意向も通るだろう。と、グレーレは笑った。
「精霊の神聖を汚す天魔が、今回の騒動の失態の罰として、自身のリソースの全てを使って、大罪迷宮を攻略する。神殿は喜ぶでしょうね?しかし貴方は良いのですか?」
「何がだ?」
「神殿に対して弱みを見せることになりますよ?方々から後ろ指指されるでしょうし」
そういうと、「なんだくだらん」と、グレーレは鼻で笑った。
「勘違いしているようだが、俺は神殿側だぞ?俺の主は天賢王だ」
無論、自分の欲望のためだがな?
と、精霊信仰をコケにする言動を繰り返し、あらゆる神殿の神官から嫌われているグレーレは、真顔でそういった。
「俺より、お前の方は良いのか?俺の研究成果を使うだけとはいえ、下手しなくとも死ぬ修羅場だぞ?」
「彼を地獄に突き落としたのに、我が身かわいさで尻込みするなんて、許されないでしょう?」
「カハハ!!無用な心配だったな狂信者!!ではゆくか!」
グレーレが指を鳴らす。部屋が輝きを放ち始める。転移の術式だ。エクスタインは光に身を委ねながらも、遠くの友を思った。
「じゃあね。ウル、アカネ。運が悪ければまた会おう――――うん、また会えそうだね?」
次の瞬間、部屋の主と従者は姿を消した。
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「こいつ死んだ?死んだっすか?」
「いや生きてるよ……なんでこいつあんな狂乱してたのに爽やかな顔になってんだ?」
「知りませんよ。それより息の根を止めときませんか?二度とエシェル様の害になれぬよう」
「落ち着け狂信者」
司令室はドタバタとしていた。完全に気を失い倒れたヘイルダーを保護、拘束して一件落着とはいかない。外で鎮座するガルーダ含めて、エンヴィーと連絡を取り、対応すべく、ジャイン達やカルカラは忙しなく動いていた。
そして、それを尻目に、竜吞ウーガ、司令塔 バルコニーにて。
「……で、帰ってきたわけだが……」
ウルは、ウーガで最も高い建造物である司令塔の上から眺められる景観を一望していた。約半年ぶりともなる景観で有り、一応カタチとしては現在のウルの拠点としている都市の景色である。
感慨深く思ってしかるべき光景である筈なのだが、彼の表情は優れない。というのも
「エシェル。エシェルさん。重いんだが」
「…………う゛ー……」
「やべえな何言ってるのかわかんねえ」
エシェルが抱きついてきて離れない。
女性に抱きつかれて嫌な気分になるのも無礼な話だが、彼女の抱きつき方は女性のそれでは無い。瞬発力と行動力がありあまった幼児のそれである。両腕両足を使って全力でウルをホールドしている。色気もへったくれも無い。
「ずっと貴方のこと心配してたのよ。しかもアレに襲われた直後。感情が整理しきれないんでしょ」
と、そう補足するのはリーネだ。彼女ともまともに顔を合わすのは半年ぶりだ。
が、しかし、彼女の様子も少し、というか大分おかしい。具体的に言うと、バルコニーのベンチの上で、彼女はぶっ倒れている。
「リーネは何してんだよ」
「ちょっと、自分で実験したら、魔力枯渇しただけよ」
「さいで」
「ああ、でも悪くなかったわ。後もう少し、継続時間を向上できれば、ふ、ふふ、フハハハハハハハ」
「こっわ」
顔色真っ青でぶっ倒れたまま、高笑いする女の姿は普通に怖かった。
「で、エシェルさんはどうにかならんのか」
「貴方がここに寄らずプラウディアに直行したって聞いたとき大荒れしたんだから、少しくらい我慢しなさいな」
「う゛-!!!」
「そうだそうだって言ってるわね」
「いつの間に翻訳技術を……?」
驚愕しながらも、なんとか彼女を少しだけ引き剥がして、よっこらしょと寝転がるリーネの隣に座り込み、息をつく。僅かな風が吹いて、ウルの頬を撫でた。黒炎砂漠の乾いた風でも無く、プラウディアの人々の熱気の混じったものとも違う。
ウーガの防壁の内側で、風の精霊が巡るようにして吹かせる、特有の風だった。そこに懐かしさを覚えた。
「で、懐かしい我が家への帰還。想うところでもあるのかしら?」
「ぶっちゃけ牢獄入れられてからの日々の方が長くてあっちにも愛着できちまってだな」
「う゛-!!!!」
「う゛ーですって」
「翻訳機能が死んでる」
ウルは呆れながら、ボタボタ涙を流すエシェルの頭をなでる。
「大変だったんだな。悪かった」
「……でんでん…………だいへんじゃ、ながっだあ!!」
「そうおっしゃってますが、翻訳係殿」
「あなたの方が大変だったのに、大変だったって言いたくないんですって」
「愛いやつだこと」
ウルはぐしゃぐしゃとエシェルの頭をなでた。
バルコニーの柵にもたれて空を見上げる。良い天気だった。本当に、死ぬほど慌ただしい一日だったが、しかしこれを告げるには良い日だとウルは納得した。
「二人ともただいま」
その言葉に、仲間達は笑顔で返した。
というわけで、黒炎砂漠編完結でございますー!ここまでお読みいただきまことに感謝いたします!
今回の章は特に超ハイカロリーな代物になってしまったので、全部読んでいただけて本当にうれしいです!ムチャクチャ大変だった!!
さて、では早速次の章へ……と、言いたいのですが、流石にちょっと作者も胃もたれを起こすレベルの展開を書ききったので……
息抜き&日常回を書きます!(時系列曖昧) 一週間くらい!
文体もいつも以上に崩したり、短かったりしますがご了承くださいませ!




