【最悪の遺物】戦③ 迫る終わり
黒炎鬼の活動範囲は広く、しかし狭い。
矛盾をしているようだがこの表現で間違っていない。黒炎鬼達は手近に、新たなる薪、もとい獲物が見つからない場合は徘徊状態になる。のろのろとゆっくりとした動作で動き回る。しかしその方角の進んだ先には必ず新たなる薪がある。
焦牢の周囲に絶えず黒炎鬼がやって来ていた理由はそれだ。遙か離れた場所であっても、黒炎鬼はゆっくりと、絶えず歩みを止めることなく、ラース領で唯一ヒトの営みの気配が残る焦牢を狙い続けるのだ。
感知能力は高い。
が、獲物を見定め、活発化するのは距離を詰めてからの事だ。
だから、誘導するときはその距離感を決して誤らないことが重要になる。
「……ベイト、ゲイツ、ローブの黒炎鬼がそっちを感知した。移動して」
《了解した。北の通りを進む》
「急ぎすぎないで。影にも気をつけて」
高所から灰都ラースを眺めるレイは、仲間達に指示を出す。旧神殿で遭遇した真っ黒なローブの黒炎鬼、クウ曰く七天の黒炎鬼の一体。それはゆらりとした足取りで近付いてきていた。
通常の黒炎鬼と同じように、身体の彼方此方が黒い炎で燃え、顔の隠れたローブから角が覗いている。身体はローブで被い、その一部が炎に焼け千切れている。そして右手には魔術の杖だ。
「……あれが七天なら、【天魔】かしら」
魔術を扱う黒炎鬼、というのは想像がしづらい。
そもそも魔力を薪にして黒い炎は燃えていると言われているのだ。実際、魔術を扱う黒炎鬼なんてのは不死鳥くらいしか居なかったし、あの不死鳥は例外だ。
黒炎鬼は魔術を使えないはずだ。体内の魔力は全て黒い炎として燃えるからだ。10年間戦ってきて、生前の模倣として武器を振り回す者はいても、魔術を扱う者はいなかったからコレは確定でいい。
しかしアレは周囲を爆発させた。体内に魔力が無いのに。
魔力が枯渇した状態でも扱える魔術は存在している。大気中の魔力を取り込むことなく操る術があるのだ。世界一の魔術師と言っても過言でない七天ならばそれくらいの芸当は可能か――――?
「………っ」
レイは思考の最中、背中の痛みで中断を余儀なくされた。
痛みは激しさを増している。黒炎の呪いが恐ろしい勢いで広がっているのが感じられた。
「ああ……全く」
なんでこんな事をしているのだろう。という疑問が不意に頭を過る。
家族に捨てられて、国に捨てられて、自分も聖女を見捨てて、10年も前にとっくになにもかも諦めて、そして今呪いで命の危機に瀕しながらもそれでも戦ってる。
半年前の自分に現状を伝えたら、さぞ困惑する事だろう。
「でも、それでも……」
レイは足下で倒れる仲間達と、その中で寝転がるガザを見る。
――コイツを手伝った方が良いと思うんだ 俺たちのために
四層目の番兵を倒すとき、彼が言った言葉を思い出す。あの言葉を切っ掛けに、レイはウルの戦いに手を貸すことになっていった。あの時は、なんで彼のそんな言葉に乗せられてしまったのか、自分でも分からなかった。
でも、今ならその答えが分かる。
なんでこんなことをしているのか?
本当は、ずっとこうしたかったからだ。
きっと、他の皆もそうだろうと思う。自分たちは諦めていた。過酷で、困難な運命に対して拳を振りかぶる前から下ろしていた。無理だから、仕方ないんだと。
だけど、諦めるなんて、普通は嫌なものだ。苦々しい未練を、自分は大人で冷静だからと、そんな言い訳を繰り返して無理矢理飲み下して、見なかったことにするのは苦痛だ。
でも、そうするしかなかった。悪辣な者達の悪意を前に蹲るしかなかった。
それをウルはしなかった。微塵も諦めなかった。地下牢という閉鎖された空間で虎視眈々と牙を研いで、周りを全部巻き込んで、今も尚戦っている。
断言できる。彼は愚かだ。死にたがりな上、それで周りをも巻き込んでいる。既に死んでいる者もいる。これからも死ぬ。自分も死ぬだろう。愚行に相応しい結末だ。
でも、こうしたかったのだ。
負け犬になるならせめて、戦って負けたかったのだ。何もしないうちに、何も出来ないまま負け犬にだけはなりたくなどなかった。利口になどなりたくなかった。自分を捨てた家族に、聖女を利用した悪党どもに、唾を吐きかけて拳を叩きつけてやりたかったのだ。
自分はこんなに辛かったのだと、苦しんだのだと、思い知らせてやりたかったのだ。
諦めて諦めてこんな所に流れ着いて、死ぬ最後まで諦めるなんて、ご免だ。
「…………ふ…ぅ」
レイは目を開く。どうやら一瞬眠っていたらしい。
呪いが強くなっている。魂をも蝕む眠りが濃く、容赦なく肉体を襲う。次第に悪夢と共に眠り続け、最後には黒炎に魂まで焼かれる顛末をレイは知っている。
でも、今のは悪い夢ではなかった。不思議と気分が良くなった。携帯していたウル製のお茶をぐいと飲み干す。凄まじい苦みと共に意識がハッキリとした。
まだ、やれる。
《レイ!大丈夫かレイ!》
「平気」
通信魔具の仲間達の声に応じて、再びレイは七天の観察に移る。その動作を少しでも見落とさないように集中する。
「ボルドー隊長を刺した黒炎鬼は見当たらない。気をつけて」
指示を出しながら、彼女はチラリと、傍らで寝るガザを見て、通信魔具で聞こえないような小さな声で呟く。
「貴方だって、諦めるのは嫌なら、はやく起きて」
彼女の言葉にガザは未だ応じず、意識を失ったままだった。
だが意識を失っても離さなかった両断された大盾の取っ手を握る手が、強くなった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「次の通りを右に、その後直進して、建物を、飛び越えて」
「了解」
ウルとアナスタシアは灰都ラースを直進していた。灰都ラースの中心地から神殿まではそれほど離れていたわけではなかったが、かなり遠回りをして進んでいた。七天の黒炎鬼の警戒のためか、あるいは別の危機があるのか、それを指示するアナスタシア自身にもわからなかったが、それにウルは素直に従った。
間もなくして、再び大罪竜ラースが見える地点までたどり着いた。
「…………あれは」
そこでウルは、出来るなら見たくなかった者を確認する。宙で丸まるようにして浮かぶ大罪竜ラースの遺骸。つい先程までウル達が戦っていたその場所の近く、その下で動く影があった。
真っ黒な鎧を身に纏った影、巨大な大剣を引きずるようにして徘徊するそれは、間違いなく、ガザを一刀で切り伏せた黒炎鬼だ。恐らくは【天剣】である。
「……一番引きたくない奴を引いたな」
七天の黒炎鬼達は恐ろしい戦闘能力を有しているが、同時に、生前と比べ幾つもの制限がかかっているのは間違いなかった。
魔力の有無もそうだし、彼らが今している装備にしたって、遠目にも明らかに古い。クウは彼らを丸ごと影の中に保管する事は出来ても、装備の更新などはしてやることは出来なかったのだろう。
つまり武具防具の更新はない。道具は使えば消耗する。
しかし天剣は、恐らくだが、あの巨大な剣を振り回すばかりで、消耗品などは使わないだろう。魔術も使わない。純粋な身体能力のみで戦うなら、さすがに【神の加護】はなかろうが、黒炎鬼化したことによる劣化部分は少ない。
恐らく、一番厄介な相手だ。それが、ラースの前に陣どっている。
「……遠くからぶん投げるか……?」
ウルは【二式】をチラリと見る。
ウルは自身の身体能力を把握している。全力で投げれば、恐らく黒炎鬼が感知するよりも遠くからラースへと届かせることは出来る。だがその提案に対してアナスタシアは首を横に振った。
「無理か」
「失敗、する。絶対に」
「まあ、なんとなくそんな気はしていた」
竜殺しが凶悪な力を秘めていることは間違いないが、先端をぷすりとさせばそれであの巨大な竜の遺骸が破壊させられる事が出来る、と考えるのはあまりにも都合が良すぎる。
一見して数十メートルはあろうかと言うほどの巨大な黒い竜だ。生きて、動いている様子がないだけで、これほどの巨大な形を容易く壊せるとは思えない。そして破壊できる可能性のある唯一の武器をロストするリスクは避けたい。
加えて、恐らくクウもこの状況を観察している。
「……というか、クウが姿をみせてねえな。俺たちにチャチャ入れる暇はあったのに」
「多分、あれが、原因だと、思う」
アナスタシアが不意に空を指さす。ウルも其方に視線をやると、空に真っ黒な炎を纏った不死鳥が旋回していた。ウルは念のためアナスタシアと共に、身を伏せて観察を続けていると、不死鳥はしばらくそうして空を舞い、そして一気に落下した。
『AAAAAAAAAAAAAA!!!』
その向かう先は、やはりラースの近くを徘徊する黒炎鬼だ。天剣だった残骸は、空から落下してくる不死鳥を感知したのか、大剣を構え、そして一気に動いた。
『aaa』
『AAAAAAAAAAAAA!!!!』
黒炎を纏う者同士の戦いが始まる。やはりというべきか、戦闘力は天剣の方が上だったが、先に一撃で両断された記憶が不死鳥には残っているのだろう。空を常に滑空し、時折地上に落下するようにして攻撃を繰り返す。天剣は攻めあぐねているようだった。
不死鳥の傷はそれでも見る間に多くなっていくが、しかし死んだとしても不死鳥はまた蘇る。天剣は天剣で不死鳥の黒炎ではダメージを負わない。
決着のつきようのない戦いだった。
「あの戦いが続いてる所為で、クウが干渉できないって訳か」
「……あるいは、既に、中にいるかも、しれない」
「だとしたら最悪だな。時間がない」
アナスタシアは宙に浮かぶラースを見る。
巨大な黒い竜、ラースは何も語らない。遺骸でしかないのだから当然だ。だが遠目にも見えるその大きさは、下手な建造物よりも更に大きい。中にクウが潜み、悪巧みをしている可能性は確かに考えられる。
「どのみち長引けば、ガザやレイ達がもたない」
黒炎に焼かれた仲間達の状態を、ウルは甘く見積もってはいない。ウルの側に居るアナスタシアと同じか、それ以上に焼かれた者達もいた。その状態でも尚、囮として動いてくれているが、何時まで持つか不明だ。丸一日などとても持たない。
別働隊が全滅すれば、彼らが引きつけている七天はこちらに向かうだろう。ウルが狙われれば、正直太刀打ち出来ない。別働隊の仲間達より上手く誘導することも出来ない。
「……行くしかないか」
不死鳥と天剣の戦いの隙を突いて、ラースに近付き、その遺骸を破壊する事で黒炎を消し去る。そうすれば、黒炎払いやアナスタシアの呪いも消える。現在窮地に陥っている地下牢の連中も助かる、可能性がある。
随分と都合の良い話だ。そう簡単にはならないという予感はしている。
しかし、行くしかない。
「アナは此処で隠れてろ。悪いが背負ってたら邪魔だ」
「はい……」
「……もう少し、安全な場所を探したかったが」
「もう、そんなところない。だから、大丈夫」
ウルは一瞬は顔をしかめた後、アナスタシアをゆっくりと地面に下ろす。アナスタシアはグッタリとしていた。顔色も殆ど真っ白で、血の気はない。ただでさえ弱った身体で迷宮を突っ切る強行軍だ。もう限界だというのが目に見えて分かった。
だが、顔色が悪い理由はそれだけではない。
「ウル、くん」
「分かってる」
ウルを見つめる、彼女のあまりに心配そうな表情からおおよそ、彼女の感じ取っている運命がどのようなものなのか想像はつく。そしてその回避を彼女が口にしないのは、回避方法が見当たらないからだ。
彼女の力が選択の善し悪しを見定める力を持っていたとしても、どの選択肢でも結果が同じなら意味は無い。恐らくはそういうことだ。
だが、それなら尚のこと、何もせずに終わるつもりはない。
「やれるだけのことはやってやる。こういう状況は慣れてるからな」
「気を付けて……それと」
「ん?」
アナスタシアは微笑みを浮かべた。此処まで無理をして、疲れ果てた表情で、それでも尚、美しい笑みだった。
「貴方の炎は、私達を、救ってくれた。本当に、ありがとう」
「……」
ウルは、上手くは答えられなかった。
感謝されるような謂われはない。彼女たちを死地へと導いたのは自分だ。あの時、ウルの所為だと叫んだ仲間達の言葉は間違ってなどいない。この地獄の有様を作っておいて、感謝を告げられても、うまく応じられなかった。
アナスタシアは、そんなウルの姿が面白かったのか、小さく微笑んだ。そして、
「行ってきて」
「……わかった。ラースを壊したら、とっとと地下牢に戻るとするか」
「そうしたら、パーティでも、しましょうね」
「牢獄でパーティか。そりゃ良いな」
ウルは笑った。そしてそのまま飛び出した。彼女へと振り返ることはせず真っ直ぐに、自らが戦うべき困難へと進んでいった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……頑張ってね。ウル君」
アナスタシアは小さく呟いた。ウルにはその言葉は聞こえなかった。
アナスタシアの目に、ウルの運命が見える。彼の運命は、苛烈だった。まさしく激しい炎のように渦巻いて、燃え上がり、唸りを上げて蠢く。全容すらも掴めない混沌に、ウルは自ら飛び込んでいくのだ。
でも、良かった。彼を巻き込まずに、済んだ。
ウルは勘違いをしていた。自分が死ぬと彼は覚悟していたようだったが、明確な死の運命をまだ彼は纏っていない。真っ黒な死の気配は確かに彼の側にあるが、それ以外にも様々な運命の炎が彼の周りを渦巻いて均衡を生んでいる。どうなるかはアナスタシアにも掴みきれない状態だった。
明確だったのは、自分の死だ。
そしてそれは逃れることのできないほどハッキリしたものだった。それにウルを僅かでも巻き込みたくはなかったから、彼には伝えなかった。きっと知れば、ウルは自分のためにこの場に留まっていただろうから。
『aaa……aa……』
黒い死が、近付いてくる。
強い疲労と、呪いの末期症状で意識が朦朧とする中、ゆっくりと、確実に近付いてくるその死は、見覚えのある姿をしていた。古い黒炎払いの鎧、全身に巻かれた黒睡帯は焼き爛れて地面を引きずっている。胸元から真っ黒な炎を吐き出し、頭部から禍々しい角が伸びていた。
『aaaあああ………聖、じょ、よ』
惨たらしい姿をした、黒炎払いの隊長、ボルドーがそこにいた。
「嗚呼……」
自分に、これほど相応しい最後はないだろう。アナスタシアは微笑みを浮かべた。
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