彼女が聖女だったころ
地下牢、消灯の時間、魔灯の輝きが減り薄暗くなったその場所で、ウルはダヴィネから購入したランプを一つつける。照らされた部屋で、アナスタシアは小さく俯いて、座り続けていた。
「【運命の聖眼】は、相手を良き方へと導く力でした」
「良き、方?」
「幾つもの、選択肢が、あったとき、最善の道が、視覚で分かるのです」
誤った方に向かおうとする者は黒く淀み、正しければ白く輝く。
なるほど、それは確かに分かりやすく強力だとウルは納得する。
人生に案内板なんて存在しない。自分の人生にあれこれと指示を出す者は居たとしても、その者が正しい保証なんて無い。選ぶにしろ、委ねるにしろ、諦めるにしろ、自分が決めなければならない。そして選んだ先でしか自分の選択の成否は分からない。その取り返しは決して付かないだろう。
だが、彼女のそれは、確実な成功が約束される案内板だ。それを望む者がいるのも分かる。ウルだって、彼女の事情を知らずその話を聞いたら、求めようとしたかもしれない。
なにせつい先日、判断を誤ってこんな所に放り込まれたばかりなのだから。
「………だが、そうなると少し、解せない事がある」
「はい……”どうして、私が、此処にいるか、ですよね”」
アナスタシアが頷く。そしてそのまま頭を下げ続けた。
「……こっちから掘り返して悪かったが、古い傷をわざわざ俺に明かす必要無いんだぞ」
彼女の過去を聞いた。そう言ったウルに対して、彼女は自分の口からその全てを明らかにすることを望んだ。だが、ウルの目から見ても彼女にはその行為、明らかに負担であるように見えた。
今の彼女の顔色は普段よりも更に悪い。
元より彼女は酷く弱っている。不必要に負担を増やすのは避けたかった。
「いいえ」
だが、アナスタシアからはハッキリとした否定の声が聞こえた。彼女は顔を上げる。表情は重く苦しそうであるが、しかし鬼気迫るような意思があった。
「どうか、聞いて下さい」
「…………なら、続けてくれ」
ウルは促す。彼女は過去を告白する。罪を告解する罪人のように。
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プラウディア領内 西南部【衛星都市セイン】 神殿内にて
「この人達は……?」
運命の聖女アナスタシア。
彼女が何時ものように運命の施しを望む者達に与え、幸福への導きを終えた後のことだ。「最後にもう一組、貴方の導きが必要な者達がいます」といって連れてこられた者達を前に、アナスタシアは問うた。
従者の中で、最も古くから彼女に仕え、そして支えてきたドローナが前に出て、彼女の問いに答えた。
「彼等は今度、【黒炎砂漠】、【灰都ラース】の解放に向かう戦士達です」
「ラース……」
聖女としての道を歩んでから、彼女は多くの歴史を学んだ。大罪都市ラースの滅亡と、その後の顛末も彼女は知っていた。罪人達を使い黒炎を払おうとして、未だにそれが成し遂げることが叶っていないことを彼女は知っていた。
「ラースの解放は、近しい場所にあるセインにとって他人事ではありません。黒炎を打ち払うための特別部隊が編成されたのです」
「私は聞いていません」
「申し訳ありません。アナスタシア様。現在のラースは一種の禁忌、聖女である貴方の耳に入れるわけにはいきませんでしたので」
ドローナは頭を下げる。だが、彼女の謝罪もアナスタシアの目には入らなかった。先程から彼女の視線は、目の前の”特別部隊”とやらに向けられていた。どうしたって目を離すことが出来なかった。
だって、彼等の運命は、一人残らず真っ黒だ。
あそこまでのどす黒い運命を彼女は見たことがない。運命眼で見てしまうと、一人一人の顔すらも判別がつかないくらいの”真っ黒な運命”に覆われている。見ているだけで気持ちが悪くなってしまうくらいだった。
「彼等の運命が見えましたか?」
ドローナが囁く。アナスタシアは頷いた。
「ドローナ、遠征を中止してください。彼等は失敗してしまいます」
戦士達に聞こえぬように、小さく囁いた。確信を持って言った。彼等は失敗する。考え得る限り最悪の形で、彼等は全滅することがハッキリとしていた。聖女として、導き手として、それを見過ごすわけには行かなかった。
だが、ドローナは首を横に振る。
「それはできません」
「何故!?」
「このために多くの金と物資が集められました。アナスタシア様の一存だけでそれを中断することが困難なくらいに」
「金のために彼等に死ねと!?」
「彼等自身、その為に集っているのです。彼等の事情は様々ですが、火急大金を必要とする者達は多く居ます。解放遠征が中断となれば、破滅する者も」
「…………!」
アナスタシアは息を飲んだ。
彼女は運命を読む。彼等の運命を読み解き、なんとか別の道を説こうとした。だが、驚くほどに今の彼等に他に続く道が見えなかった。か細く、なんとかその先を辿ろうにもすぐに立ち消えてしまう。こんなことは初めてだった。
彼等は死ぬしかないという事実は、彼女の心を深く傷つけた。
聖女であれと望まれた彼女が、救えない相手が居るという事実は彼女の築かれた自尊心を傷つける。どうにか出来ないのかと俯いた。
「アナスタシア様。お願いがあるのです」
「……なんですか」
「どうか、彼等と共にラースに向かい、彼等を導いてはいただけませんでしょうか」
「それは――――」
返答に屈したアナスタシアに、ドローナは跪き、そして涙を流し叫んだ。
「分かっているのです!彼等の先がいかに困難であるか!あなた様の目ならばより克明にそれを感じ取ったことでしょう!ですが彼等をただただ殺してしまうのは、あまりにも……!!」
「ドローナ……」
「ですが貴方と共にあればきっと彼等は最悪の運命から逃れることが出来る!!あの忌まわしき黒の炎を打ち払う事が出来る!!聖女アナスタシア!運命のアナスタシア!貴方ならば!!」
繰り返し叫ぶ彼女の言葉は、アナスタシアの使命感を呼び起こすには十分だった。
自信もあった。黒炎を払う。数百年出来なかったラースの解放を自らが成す。それができるだけの力があるのだという確信は彼女の中に深く根付いていた。
この力は、誰もが成し得ない困難を払う為にある。
そう教え込まれていた彼女にとって、【灰都ラース】はあまりにもうってつけだった。自分の力はその為にあったのだと、そう考えるとあまりにもしっくりときた。
それが、あまりにも”誰かにとって”都合が良い話だと。そう思うにはあまりにも彼女の経験値は不足していた。鳥籠の聖女は、静かに頷く。
「時間をください。ですが、彼等をむざむざと殺させるような事はしないと約束します」
「おお、聖女様…!!」
ドローナ含め、従者達は彼女の前に跪き、感涙し、笑みを浮かべる。
その笑みに嘲笑が混じっていたなどと、その時の彼女が気付くことは無かった。
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「逆、だったんです」
「逆?」
地下牢の一室にて、アナスタシアの告解をウルは聞いた。彼女の言葉はゆっくりとしていたが、ウルは辛抱強く彼女の言葉を聞き続けた。
「彼等が、ラースへと向かうから、私は彼等に、同行しました。でも違った。私がラースに行くことは、決まってて、彼等はそれに、同行した」
「……それは」
「棄てられたのは、私だった」
アナスタシアは笑う。引きつった、痛々しい笑みは、彼女の心の傷を顕していた。
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