天魔裁判
このイスラリア大陸において、多国間会議というのが頻繁には起こらない。
正確には必要としていない。
国全体が物理的に断絶しており、その多くは不干渉に成らざるを得ないからだ。
ほぼ全ての国が大連盟に所属している以上、国家間の繋がりはあるものの、物理的な障害が大きい以上、干渉も、問題も中々起こらない。衛星都市国同士、あるいは主星と衛星都市国が争うことならあるが、結局それも身内間の問題と言えるだろう。
故に大連盟の繋がりも、定期の通信魔術による定例会議と、年一に盟主国のプラウディアに集うことで行われる大会議で、事済んでしまう。
国同士の議論は、政治的に熟達した者であっても不慣れな事が多い。
「ウーガという存在がもたらした混乱、そして唯一神ゼウラディアと交信する神聖なる場を穢して尚、悪びれないその態度はいかがなものでしょうか?」
「全ては邪教徒の謀りが原因と申したはずです。邪教徒どもの目論見の全てを事前に抑えられないことが罪であるなら、この世に罪人がどれほど蔓延ることでしょう?」
「グラドル側が邪教と手を組んだという噂がありますが?」
「根拠も無い決めつけで貶めるのはやめていただきたいですね。程度が知れますよ?」
結果、議論は白熱する。地獄のように。
……想像したよりずっときついな、コレ
ウルは黙って思った。
【天魔裁判】開始後、始まったラクレツィアとグローリアの論戦は、言葉を交わすごとに熱量も加速していった。ギリギリ、声を荒らげるまではいかないものの、開始から数時間休み無く殺意にも近い視線と言葉がバチバチに飛び交う空間は、座ってるだけでもかなり辛かった。
実際に死なないなら問題ないだろう。
という、冒険者特有の議論に対する侮りをウルは早々に捨てるはめになった。これは強烈だ。そして、恐らく森人として長らくこの戦いをやり慣れていたであろうグローリアと真正面からやりあっているラクレツィアが凄まじかった。
《……あの人、凄くタフなんだ。グラドルがカーラーレイ一族に完全に支配される前は、対抗派の代表だったヒトだ》
《で、疎まれて閑職に追いやられて、今復活したと》
机の下、手に触れることで行う直通通信魔術でのエシェルの解説に、ウルは納得する。実際かなりのやり手なのだろう。立場的には彼女が味方であるのはありがたかった。が、
「全滅したカーラーレイ一族が邪教徒と一切関わりが無かった、と主張するのは無理がありませんか?ねえ、エシェル様?貴方なら何かご存じでなくって?」
「え!いや、そ」
「彼女は若くして数年前天陽騎士として家を出て家名も変えています。以降絶縁状態で、最近のカーラーレイ一族についての情報は殆ど持ち合わせていません。そうですよねエシェルさん」
「あ!はいそ」
「絶縁状態なら、何故カーラーレイ一族は彼女にウーガの管理を任せたのかしら?エシェル様?自分の選出理由くらいはわかるのでなくって?」
「う、それ」
「前シンラ、カーラーレイ一族の方針で衛星都市新造計画が重なり、神官の不足が高まったと伝えていましたでしょう?で、あれば、精霊との繋がりが深い元々はシンラの家の出の彼女に役目が回るのは自然な事よ。そうでしょ?エシェルさん」
「は」
「私はあなたにではなく、エシェル様に質問したつもりなのですが?」
「私でも解答可能な質問を答えただけのこと。身内を全て失った彼女の心労を考慮してあげて下さらないかしら?」
それはそれとしてエシェルの存在もガンガンに討論に組み込まれているので、楽は全くさせてはもらえなかった。
エシェルは既に死にそうな顔をしている。そろそろ休ませなければ不味いか。
「皆様、そろそろお茶などいかがでしょうか?」
際限なく白熱する討論、その隙間を突く形で、女の声が響いた。一人はシズク、そして ジェナが静かに微笑む。
「グラドルの生産都市で採れたコフィの豆を煎れさせていただきました。コフィが苦手な方はセンの葉を煎じたお茶もありますよ」
結果、ラクレツィアとグローリアの戦いは一時的に中断となった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どうぞ、ラクレツィア様」
「ええ、ありがとう。ジェナさん。シズクさんも」
コフィを受け取ったグラドルのラクレツィアは、グローリアを相手取って鬼気迫っていた表情を解いて、優しい笑みで、手早く客人一人一人に茶を出していく二人に礼を告げる。白熱しているように見えて、実のところまだ冷静であるらしかった。
「どうぞ、グローリア様」
「……ええ、どうも」
対して、エンヴィーのグローリアはまだ、表情の険しさを解いてはいなかった。森人であるから見た目の若々しさよりも年齢は重ねているはずで、なによりこの手の交渉経験は恐らくこの会議内でもっとも豊富な筈であるのだが、あまり余裕があるようには見えない。
「エシェル様はお茶の方がよろしかったですね」
「あ、ありがとう」
エシェルはかなり消耗している。
その議論の多くはラクレツィアが前に出て戦っている分、エシェルが矢面に立つ数は少ないが、最も重要なポジションの一人だ。精神的な消耗は大きいだろう。
特に、前シンラ、カーラーレイ一族の話になると彼女は明らかに動揺する。事前のシズクのアドバイスで、感情の変化を表に出さないようにだけはしているが、長くは持たないだろう。
「ブラック様はいかがですか?」
「ああ、コフィでいいよ。可愛らしいお嬢ちゃん」
そして、会議中も一切干渉せずにいるブラックからは、何も読み取れない。
そもそもが見物に徹している。干渉もしないのなら疲労もしないだろう。彼は机の端で、楽しげに会議が紛糾する様子を眺めるばかりだ。本当に遊びに来たのでは無いか?という推測が信憑性を増している。
《と、このような印象でした》
《エシェル、もう少ししたら下がらせるか?》
《カーラーレイ一族の生き残りである彼女の存在をラクレツィア様はまだ利用しています》
《もう少し頑張ってもらうしかないか……》
ウルは表情を動かさず、シズクからの情報を聞きながら額を掻いた。
ディズの方にはジェナが報告に向かっている。この手の情報収集において彼女たちは本当に頼りになった。
《今のところ、議論は膠着していますが、ややグラドル側の方が余裕がありますね》
《と、いうか、思ったよりもエンヴィー側が苦戦してるな》
急な割り込み、そして来た当初の余裕と比べると、思ったよりもエンヴィー側に余裕が無いように思える。無論、一国のシンラと、他国の騎士団の部隊長がやり合うという時点で脅威ではあるが――
《そりゃあもう、私とラクレツィアが頑張って準備進めたからねえ》
《――っディズか》
シズクとウルの直通の通信魔術に、ディズの声が割り込んできた。
そっと右手を見ると、細い紅色の糸が指先に絡まっている。アカネが直接ウルに触れて、ディズと繋げたらしい。糸の先端がピコピコと動いて、合図を送っている。
《ディズ様。コフィ、おかわりは大丈夫ですか?》
《気づいたジェナが行ってくれてるから大丈夫》
《まあ、それでは手伝わなければいけませんね》
そう言ってシズクはさっと席を外す。ウルは、指先のアカネに触れながら、ディズに抗議の念を送った。
《ビックリするから先に合図してくれ》
《顔に出さないだけ偉いよ。ウル》
《えらいえらーい》
アカネは楽しそうにしている。アカネのことを撫でてやりたいが、今のところその余裕がないので、ディズの言葉に集中した。
《エンヴィー騎士団としては、グラドルと邪教徒の繋がりを突けば、交渉は優位に進むと思ったんだろうね。正当性さえあれば【天秤】はすぐにエンヴィー側に傾く》
ディズは視線を皆が席に着く円卓の中央へと視線を向ける。
円卓の中央、自ら輝きを放つ巨大な天秤が浮かんでいる。【審判の精霊・フィアー】の顕現だ。エンヴィーの用意した神官の力だ。
会議の開始と共に、双方の同意の下決められた論題の下、正しきに傾き、過ちを誅する。天秤が完全に傾けば、その者に精霊の加護としての執行力を与え、与えられなかった者にはそれに従う制約を与える。
言わば、ウルとディズがアカネの件で最初に交わした【血の契約書】の精霊版だ。
《今回の議題は、〈大罪都市グラドルの【竜吞ウーガ】保持の正当性について〉だ。そう話を進めるだろうと予想できていたから、事前に言い逃れ方は十分対策できたよ》
いかに、現行のグラドルと、カーラーレイ一族が無関係であり、自分たちが被害者であるか。という、以前までのグラドルの在り方、カーラーレイ一族の暴走を放置していた事を考えると、正直かなり厚顔な態度を取る必要があったが、ラクレツィアはそれを平然とやってのけていた。
そしてラクレツィアのその厚く塗りたくられた化けの皮を、グローリアは剥ぎ取れずにいる。主張する正当性と被害者面を崩せていない。
《エンヴィーがこっちに来ると連絡があってから準備したのか?》
《そだよ。三日間ぶっ通しで、大変だったね。私は兎も角、ラクレツィアとかあの年で缶詰して今やりあってるんだから、本当に尊敬するね》
ラクレツィアは今現在も元気よくグローリアとバトルを続けている。ディズが手放しに称賛するのだから相当だろう。
《後、【七天】の私がグラドル側にいるのも大きいね。元々、エンヴィー遊撃部隊は【天魔のグレーレ】の名代であるってだけで、【天秤】が傾きやすいんだよ。》
《ひでえ話だな!》
天秤が傾く規準は【審判の精霊・フィアー】の判断による。
そしてその判断は、世界中で神と精霊達に祈りを捧ぐ人類の、無意識下の審判によるものであるらしい。そしてその人類の無意識下の中で、【七天】の名が持つ力は酷く重い。
エンヴィー騎士団がフィアーの神官を持ち出したときは、悪名高き【強奪部隊】と聞いていた割に正々堂々たる手段をとるものだなと思ったが、とんだ詐欺である。
《でも、今回は私がいるから、天秤の動きは鈍い。世界への干渉量という点で【天魔】と比べたら、小さいけど、ゼロじゃあない》
《結果、いつもと違って議論が拮抗して、向こうが焦ると……》
こうしてウルと通信魔術で言葉を交わしている間も、時折ディズはラクレツィアの言葉に援助している。様々な言い回しで、生き残った今のグラドルに非は無いと語っている。
《改めて確認しそびれていたんだが、ディズはグラドル側で良いんだよな?》
勿論、今の彼女の立場、ラクレツィアを補助している所を見ると明らかではあるが、彼女は別にグラドルの味方ではないはずだ。世界全体の秩序を重んじ、場合によっては少数の犠牲を強いるやり方も辞さない。で、なければ彼女はアカネをすぐさま手放していただろう。
そう考えると、グラドルの損益を目的とするラクレツィアにつく今の彼女は本来の在り方からやや外れているようにも思えるが、ディズはウルの問いにほんの小さく頷いてみせた。
《【天魔のグレーレ】の叡智と、それが人類にもたらす恩恵は計り知れないけど、あのヒトは基本好奇心が第一だから、必ずしも恩恵として還ってくるとは限らないんだ》
《今回は還ってくる見込みが少ない?》
《恐らくね。それなら今のままグラドルに置いた方が、ウーガ騒動の後混沌するグラドル一帯の安定に繋がるというのが私の考え。納得した?》
《わかった》
ウル達も一応はグラドル側の味方である以上、彼女の存在はやはり心強い。エンヴィー騎士団にも天魔がついているのだから、コッチにだって就いてくれていないと卑怯というものだ。
「――グラドル側が、邪教徒の被害者であるという点は、確かに理解しました」
と、その間にも議論は進んでいたらしい。
ラクレツィアの主張に対して同意するグローリアの不機嫌そうな表情を見るに、その点においてはグラドル側が押し通したらしい。
「ですが、ウーガそのものが持つ危険性、そしてそれを管理する能力が、果たしてグラドルにありますか?」
そして、第二ラウンド開始のゴングが鳴ったことを悟った。
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