赤猫の休日⑦ 少年冒険団の場合
都市国の外にでてはならない。
偉大なる我らが唯一の神、太陽神の護りの手から、離れてはならない。
都市国の、【太陽の結界】の外に一歩でも出れば、禍々しき魔性達の住処なのだから。
こういう話を都市民の子供達は幾度となく聞かされる。
――もう聞き飽きた。しつこいったらない!
と、子供がどれだけ言っても、親達は必死になんども口にする。
勿論それは、親心故である。大人達は既に知っている。知識で、あるいは経験で、国外にでるということがどれほど恐ろしく、危険で、危ういのかということを。しかし勿論、彼等が子供だった頃そうだったように、子供からすればそんなのは知ったことではなかった。
複数の衛星都市国を束ねる主星国、大罪都市国ラストは決して狭くはない。
しかし、ともすれば一生、この国から外に出ることはないという事実は、子供達に閉塞感を与えてくる。外に出てみたいという好奇心が沸いてくる。国の外に出て、様々な冒険の旅に出ている冒険者達の英雄譚を聞けば尚のことだ。
――オレたち、おとなになったらボウケンシャになろうぜ!
いつも遊んでいるグループのリーダーはいつもそう言った。
友達もいつも彼に同意している。みんな目をキラキラさせていた。
だけど、彼は臆病だった。皆と一緒に遊びたいからボウケンシャごっこをするけど、できれば家の中で本をよんでいたいような大人しいタイプだった。
――オレ、すっげーのみつけたんだ!
しかし、ある日、仲間の一人が都市国の外周、国を追おう防壁に小さな穴を発見したことで、話は大きく動いた。動いてしまった。
その穴は、とても上手く隠されていた。騎士達の巡回の範囲にも届かない日陰、何時からそこに積み上げられていたかも分からない木箱の影に隠れた、ヒト一人が通れるかどうかというくらいの穴が、防壁の下を潜るように作られていた。
どう考えても、自然のものではない。
恐らくは何かしら、“やましい事”のために作られた穴だ。
しかし、そのやましさが、妖しさが、子供達の心をくすぐった。
――ちょっとだけさ、ほんのちょっとだけ、こっから外に出てみようぜ?
誰かが言った。
最初は一人だったが、それは徐々に連鎖していく。
――やってみよう。やってやろう――――冒険だ!
都市国の中では滅多にない未知の発見、その興奮で、皆おかしくなっていた。
――や、やめようよ。あぶないよ……!
そんな興奮の中、少年だけはそれに反対した。単純に怖かったというのもある。だけどそれ以上に、皆の浮かれ方が怖かった。それがよくない前兆だと本能的に理解していた。
だから、なんとか皆を止めようとしたが――
「ど、ど、どどど、どうしよう」
結果、少年以外の皆、冒険に出てしまった。
時間は夜にさしかかった頃、大人達に見つからぬよう子供達は集まり、飛びだしてしまった。少年は最後まで嫌がったが「だったら見張りだ!」と言われてしまい、彼はここにいる。
「お父さんとお母さん呼ばなきゃ……でも……うう……!」
大人を呼んだら、きっと皆怒るだろう。裏切り者だと言われるかもしれない。少年に派それが恐ろしい。親しい友達との友情が、彼にとって世界のすべてに等しかった。
でも、やっぱり……! と、彼が迷っているとと
《にゃあ》
ふと、足下に猫が現れた。真っ赤な毛並みの珍しい猫だ。いつもだったら喜んで猫を撫でるが、今の少年にはそんな余裕もなく、焦るように話しかけた。
「ね、猫さん、皆、皆、行っちゃった」
《にゃあ……?》
「この穴から、皆外に出ちゃったんだ……!」
《にゃあ……!?》
マジで? といった風に猫は声をあげた。
会話がなぜか成立したような気がして少しだけほっとして、しかし次の瞬間、少年の耳に、小さな悲鳴のような声が聞こえてきて、それも吹っ飛んでしまった。
あれは友人達の悲鳴だ。
気のせいだと思いたいが、耳に小さな悲鳴の残響がへばり付いて離れない。
そもそも外に出るのは少しの間だけ、と言っていたのに、全然戻ってくる気配がない。
なにかあったのだ。その確信と共に彼は立ち上がり――
「ぼ、ぼ、ぼぼぼぼぼ」
《にゃあ?》
「ぼく、助けに行く!!」
《にゃあ!?》
果たして、どのような混乱の末にそんな結論になってしまったのかわからないが、少年は少々ガン決まった顔で決意を固めていた。《ちょっとまてい!》と言いたげな赤色の猫の反応も無視して、少年は友人達を追うように穴へと飛び込んだ。
「猫さん! 助けを呼んできて!」
《にゃあ!!??》
そして、彼は防壁を越え外へ――【太陽の結界】という護りのない、危険極まる都市国の外へと飛びだしてしまった。
そして助けを呼んできて、という無茶な要求をされた赤い猫はというと、
《んもー! しょうがないわねー!》
そんな風に言いながら、同じく穴へと飛び込むのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――都市国の外は本当に危ない。絶対に出てはいけないよ。
子供達は母から、あるいは父から、幾度も幾度もそのような事を聞かされていた。
しかし繰り返し繰り返し聞かされた事で、子供達は慣れてしまった。
折角の警句に飽いてしまうのは悲しいが、よくある事でもあった。熱心に伝えようとすればするほどに、目的から離れていってしまう。教えとは難しいものだ。
だが、それでも親達が必死なのは、本当に危険だからだ。
そしてその脅威から、親達は守ってやることができないからだ。
「ひ、ひ、ひ……!?」
『g、rrrrrrrrrrrrrrrr……!』
その事を、無数の魔物達に囲まれた事で、理解した。
少しだけ外に出てみる。
という子供達の冒険は、当然穴から防壁の外に出て、それで済む訳がなかった。できる限り探して、あわよくば、魔物退治もしてみようと鼻息を荒くする者もいた。
皆、刺激に飢えていた。
その為に武器や、小さな魔灯まで用意した者までいた。準備は万端だった――子供の考える、精一杯の準備にして。
だが、それは所詮子供の浅知恵だ。
影犬、と呼ばれる魔物達、階級で言えば最下級、冒険者見習達が相手にするような弱い魔物であるが、それでも、子供の肉を食い千切るだけの力をもった魔物と遭遇した瞬間、子供達の中で湧き上がっていた熱は一気に吹き消えた。
後悔した時には、無数の影犬たちに囲まれていた。
「こっちくんな!」
『gaaaaaaaaaa!!』
手に持った武器や炎を振りかざしても影犬たちは全く怯まない。つかず離れず雄叫びを上げながら、少年達をビビらせながら、少しずつ距離を詰めてくる。
ゆっくりと、確実に、それは間違いなく、美味しそうなエモノを前にした獣の動きだった。そしてあと一歩、距離を詰めた瞬間一気に襲いかかってくる。そんなところまで包囲が狭まった、その時だった。
「み、みみ、皆から離れろ!」
声がした。見張りを命じて置いてけぼりにした仲間の一人が石を抱えながら、影犬たちにそれを放り投げたのだ。子供達は彼の姿に驚き、そして一瞬喜んだ。
しかし、それがなにになるわけでもなかった。
『gaa!!』
「うわあ!?」
影犬たちは、まるで動じもしなかった。狙いやすい獲物がもう一人、増えただけだったからだ。包囲していた影犬達の内、何匹かが少年の方を向く。そして武器を振りかざしている子供達よりも狙いやすいことに気付いた影犬は、ヨダレをまき散らしながら、孤立した少年へと一気に飛びかかり――
《にゃあ!!》
『gyan!?』
――だが直前、飛びだしていた焰を纏う赤猫を前に影犬たちは動きを止めた。
「へ!?」
「ね、猫……? どこから」
「なんか、燃えてる……!?」
子供達がざわめく中、影犬たちの意識は完全に突如として現れた謎の猫に集中していた。
見た目は、小さい。どう考えたって、自分達の方が大きくて強い。そう見える。しかし、なぜか不思議と、影犬たちは襲いかかることができなかった。
それは、歪なる生命体である魔物の彼等に僅かに残された、生物としての本能の警告だった。
《ギリギリセーフね?》
「しゃべった!?」
対して赤色の猫は悠然とたたずみながら、輝きを増す。仰天する子供達を無視して跳び上がると、その輝きを更に強くさせた。
《へーんしん!》
次の瞬間、紅の猫の場所が居た場所に現れたのは、大人の女のヒトだった。
緋色の髪に、緋色の肌、薄手のドレスを纏った輝ける女、闇夜の中に立つ彼女の姿は、どこか扇情的に感じさせるまでに美しく、炎の如く揺らめいて
そしてその片手には、彼女と同じくらいに美しい、目映い炎の剣が握られていた。
《おらー! あっちいけー!》
『gyan!?』
それを彼女が振るった瞬間、炎が犬たちへと向かい、放たれた。影犬たちはその炎に驚き、悲鳴を上げながら逃げていく。到底自分達では太刀打ちできぬ聖なるの炎を前に、魔物としての使命よりも、生物としての本能が勝ったのだ。
そして、残されたのは美しい緋色の女と、子供達だけだ。
どこか呆然と、恍惚とした表情で自分を見つめる子供達に対して、緋色の女はニッコリ微笑み、
《――はやく! もどるのよ! おバカ!!》
思いっきり、叱るのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから、都市国の中に戻った子供達は、抜け穴の周りにいつの間にか集まっていた騎士達に保護され、そして親たちのこの上なくこっぴどく叱られる事になった。
そして、子供達が侵入したという穴を前に、騎士達は苦々しい顔で唸った。
「このところの治安悪化の原因はこれかあ……!」
最近、入国記録のない名無し達が犯罪を犯す事件が頻発し、騎士団はその原因の特定に躍起になっていた。何かしらの方法で不法侵入しているのは推測も立っていたのだが……まさかここまで単純な抜け道が作られているとは思ってもみなかった。
魔術の大国故、魔術方面の警戒ばかり向いていたが故の落とし穴といえた。
「うっそだろ……? どこまで下掘り抜いたんだ……?」
「どっかに脆くなってるところがあるのか……? 魔術感知の妨害まであるのか?」
「こりゃ、ここだけとは限らんぞ。外周全部見て回らなきゃならんなあ」
「うへえ……きっつ……休みなくなったなあこりゃ…」
「ぼやくな。子供たちが死んでたら、休日返上じゃ到底済まなかったぞ」
「こええ…」
苦々しい顔をする部下達を鼓舞しながら、騎士隊長は尋ねた。
「それで、子供達は?」
「無事っす……ただ」
「ただ?」
子供からの聴取を終えた騎士は、なにやら説明しづらそうな顔になりながら、言った。
「赤色の燃えるしゃべる猫がすっごい美人の女に変身して助けてくれた、と」
「なんて?」
しかし幾ら探しても女の姿も、猫の姿も見当たらなかった。
結果、精霊達の気まぐれか、あるいはこの国ではよくある、とびっきりに頭がよくて、頭がおかしい魔術師達の生み出した使い魔か人工生命の類いか、あるいはその当人なのだろうなのだろう、ということで決着した。
その後しばらくして、親が目を離している間に子供たちを守ってくれるお守りとして、赤い猫が彫られた首飾りが流行るのだが……騎士団の中でも「自分たちの給料を守ってくれた守り猫」として流行ることになるのは別の話である
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