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赤猫の休日③ 不良少女の場合


 自分は器用な方だと思っていた。

 都市民の家庭の中でも、比較的貧しい家庭の出身だったが故に、幼い頃からイヤな事が多かった。服はボロだったし、食事も慎ましい。他の子供達が持ってるオモチャなんて一つも買ってはもらえない。


 ――名無しのヒト達よりはずっと恵まれてるのよ?


 愚痴を言うと、こんな事を母から説教臭く言われたから、それ以降何か言うのは止めた。

 それでも、友人と見比べた自分の感情は、例えようがないほど惨めなものだった。


 ――真面目に、正しく生きていれば、きっと太陽神様(ゼウラディア)は見てくださる。


 日々、忙しく働き、それでもずっと貧しい父の不器用な生き方が嫌いだった。

 言ってることは美しいが、結局、生き方がヘタクソなだけじゃないか。そう思う。あんな風になりたくはないと、心から思った。自分は絶対に、人生を成功させてやるのだと。

 両親も両親で、自分の嫌悪を感じ取ったのか、妹たちに意識を向けるようになって、ゆっくりと疎遠になっていった。


 人生を成功させる為には、足がかりがいる。

 幸い、自分には魔術の才能があったらしい。

 大陸一の魔術学園、ラウターラへの進学という権利を自分はつかみ取った。 


 ラウターラに入学し、まずは周囲をじっくりと観察した。

 魔術の才能を有していたが、思い上がったりはしていなかった。多分、自分の才能はそこまでではない。この大陸一の魔術学園という魔境を何の対策もなしに生き残れる程の天才ではない。


 だから、寄る辺がいる。

 自分の人生を成功させてくれる、強いヒトが必要なのだ。


 結果、彼女は早い内にとある神官の息子の側に潜り込むことに成功した。

 その男の性格はまあ、どうしようもなかったが。持っていた権力も魔術の腕も間違いなく本物だった。彼についていきさえすれば、どのようなことも自由にできると確信があった。

 暴君めいた彼の所業に加担することもあったが、躊躇わなかった。

 全ては“上手に生きる”ためだ。

 人生を成功させるためには、他人の不幸なんてしったことか。

 自分は、両親とは違うんだと、そう思い、迷わず突き進んだ。


 ――それでは仕方ありませんね。口封じをしませんと


 あの白銀が来るまでは。



               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 大罪都市国ラスト、大広間にて、


「…………はあ」


 ラウターラ魔術学園の生徒、メーミンは静かにため息を吐く。

 今日は授業があったが、サボった。

 サボること事態は珍しくない。自分が従う神官の息子、メダルの我が儘に付き合って、授業を抜けることはよくあったからだ。しかし、自分の意思でサボったのは初めてだった。


 ――もう二度と、このようなことをしてはいけませんよ?


「……っ」 


 ぶるりと背筋が寒くなって、メーミンは周囲を見渡した。

 誰の姿もない。その事実に安堵しながらも、拭いきれぬ恐怖に冷や汗が流れた。


 いつものように“役立たずの白”を虐めようとした日、白銀の少女シズクによって受けた仕打ちの内容について、メーミンはよく思い出せない。


 本当に、記憶がぼやけている。怪我の一つもしていないから加害されたわけでもないのだろう。だけど、それでも、とてつもなく恐ろしい目にあった事だけは覚えている。もう二度と、彼女に近づきたいと思わないくらいに。もう二度と、悪いことしようとは思えないほどに。


 だけどそれはつまり、メダルからの寵愛を諦めるということでもある。


 それでも、彼女にはもうあの“怪物”に立ち向かう勇気など、沸かなかった。


「……はあ」


 それはそうだろう。だって自分は、そういう真っ向勝負を避けるために、メダルに付き従っていたのだ。彼から渡される気まぐれのおこぼれで、楽に生きようとしてきたのだ。

 それなのに今更、真正面から戦おうという気力なんて、沸くはずもない。


「……はあ」


 そうして、彼女は現在一人きりで、広間に座り込んでいる。

 座り込んでいるが、目的なんてない。落ち込んですらいない。ただただ呆然としていただけだ。


「これからどうしよう……?」


 自分で問いかけても、なにも思いつかなかった。

 ラウターラにいる以上、魔術師になることこそが目標だ。

 しかしメダル頼りで勉強もやや疎かになっていた為か、魔術師としても遅れている。

 今更、その遅れを取り戻すだけの力もツテもない。誰かに頼ろうにもメダルが居なければ自分はただの諍いを起こす問題児で、生徒からも教師からも忌み嫌われている。

 魔術師の道に、先があるようには思えない。

 じゃあ学園を止めて実家に? あんな風に見下して、向こうからも敬遠された両親の所に?


「……どうしたら、いいんだろう」


 なにもかも、自業自得だ。それ故に、メーミンには逃げ道がなかった。

 どうすることもできずに、ただただ呆然とするしかなかった。


《にゃあ》


 だがふと、なにかの声がして、メーミンは力なく足下をみる。猫がいた。不可思議な赤色の毛をした猫が、こちらに向かって鳴いていた。


「……なんなのよ、あっち行ってなさいよ」

《にゃあ》


 エサでも求めて甘えてきているのかもしれないが、そんなものはない。メーミンは冷たくあしらおうとしたが、赤い猫はなぜか自分の座るベンチの隣に飛び乗った。


「なんなのよ、エサなんてもってないわよ」

《にゃあ》

「じゃあ何の用なのよ……私についてったって、なんにも良いことなんてないわよ」

《にゃあ》


 しっしと手で払おうとしても、赤い猫はちっともその場から離れなかった。暢気に自分の毛を舐めて、どっかりと座り込んでしまった。

 なんて生意気な猫だろう! と思う一方で、メーミンはどこかありがたくも感じた。どうすればいいかもわからない、誰にも頼れない状況で、気まぐれでも側にいてくれる存在は、優しかった。


「…………私の愚痴でも聞いてくれる?」

《にゃあ》


 いいよー、と返事をした気がした。

 ならば、とメーミンは話し始める。猫相手に恥もなにもなかった。


「私、自分は出来る奴だって思ってたのよ……」

《にゃあ》

「頭も良いし、立ち回りも上手いって」

《にゃあ》

「父さんも母さんも、器用じゃなくって、いっつも貧乏でさ。バカみたいに思えて」

《にゃあ》

「私は違うって思ったの。ラウターラでも上手くやって、お金持ちになろうって決めてたの」

《にゃあ》

「でも、違ったの」

《にゃあ》

「頭が良いんじゃなくて、小賢しいだけだった」

《にゃあ》

「立ち回りが上手いんじゃなくて、卑怯なだけ」

《にゃあ》

「あの学園は、さ。バケモノの巣窟なのよ」

《にゃあ》

「本当に、本当の本当の本当に、とんでもない怪物しかいない」

《にゃあ》

「だから、強いヒトに取り入ろうといたの」

《にゃあ》

「そのヒトに取り入るために、色々やったわ。媚びて、甘えて、尻を振ってさ」

《にゃあ》

「命じられるままに、誰かに暴力振って、傷つけて、イジメてさ」

《にゃあ》

「でも、結局、最後に、もっととんでもなくバケモノが全部掻っ攫っていっちゃった」

《にゃあ》

「残ったのは、ただ勉強サボって、暴力を振って問題児になった、大間抜けだけ」

《にゃあ》

「どうしよう」

《にゃあ》

「どうしたらいいんだろう……もうわからないよ」

《にゃあ》

「……全部自業自得だって、わかってるけどさあ」


 思ったことを全部吐き出しながら、膝を抱え込んで、沈み込む。泣く権利は自分にはもうないけれど、涙が零れそうになっていた。

 すると、のしりと、頭に何かが乗った。いつの間にか赤い猫が自分の頭の上に器用に乗りかかっている。メーミンは猫の腹の暖かさを感じながらも、顔をしかめた。


「なによ……」

《まー、なんとかなるわよ》


 赤い猫が言った。


「簡単にいわないでよぉ……」

《だってあなた、しんでないもの》

「死んでないって……そりゃそうだけどさあ……」

《やっちゃいけないことをしたら、あやまったらいいのよ》

「謝ったって、赦されないわよ……私、酷かったもの」

《それでもやるのよ。いっこいっこ、ちゃんとするの》

「……やってどうするのよ」

《やりなおすのよ》

「やりなおして、なんになるのよ。もう何も無いわよ。私」

《じゃあ、ゼロからはじめるのよ》

「ゼロから……」

《しんでなくて、いきていて、やりなおしたいっておもったなら、だいじょうぶよ》

「そうなのかなあ……」

《しっぱいしても、まちがっても、おこられても、しんでないなら、だいじょーぶよ》

「そうなのかなあ……」

《そうよ》

「…………そうかなあ」


 ふりふりと揺れる尻尾が背中を撫でる。

 そしてそのままひょいと猫は自分の方から飛び降りる。そのままスタスタと何事もなかったかのように去っていく。だが、その前に一度だけこちらを振り返り《にゃあ》と鳴いた。

 がんばれよ、といってる気がして、メーミンは力なく笑った。


「…………まあ、やってみるわよ。別に、失敗したって死なないものね」


 そう言うと、猫はもう一度にゃあと返事をする。律儀な猫だった。



               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 それから、貯めていた自分の小遣いを全部だして、アクセサリーやらなにやらを全てうっぱらって、“彼”に命じられるまま、虐めていた“彼女”に「今まで破損させてきた全ての弁償代」として渡そうとしたが、“彼女”はそもそも自分が誰なのか認識すらしていなかった。お金も拒否されて、そのまま彼女は学園を去っていった。


 結局、赦されることも、糾弾されることもなかった。


 その後、暫くして、今度は“彼”まで学園からいなくなった。


 学園に残った自分は一人になった。周囲の生徒からは問題児として腫れ物の扱いを受け、徒党を組んでいた連中はバラバラになって、関わらなくなった。

 腫れ物扱いのボッチが一人、学園に取り残されただけ――ああ、でも、


 ――だいじょうぶよ。しんでないもの。


 両親と疎遠でも

 勉強が遅れた劣等生でも、

 イジメをやらかした前科モノでも、

 友達が誰もいないボッチになっても、


 まあ、生きている。死んでない。


「……そうだね、別に、死んでないもんね」


 なら、大丈夫。開き直りだと侮蔑されるかもしれないけれど、そう思うことにした。


 支払い損ねた弁償代は、冒険者ギルドの側に放置されていた「引退者支援募金」なるところに全部突っ込んだ。それが、あの冒険者になることをきめた彼女の助けになるかは正直分からなかったが、そうした。

 遅れを取り戻すべく、勉強は再開した。分からないところは教師に頭を下げて教えを請うた。最初は鬱陶しがられたが、何度も頭を下げると教えてもらえるようになった。

 ずっと疎遠だった両親に、手紙を書くことにした。あまり、書けることは多くないけど。

 なにもかも、すんなりはいかなかった。

 それでも、自分ができるところから一つ一つやろう。

 ちゃんとするのだ。

 メーミンは赤い猫と話したことを思い出しながら、そう決意し、

 

「――…………そういえば、あの赤い猫、喋ってなかった???」


 本当に今更、そんなことを思ったのだった。




このライトノベルがすごい!2026 投票期間中 ヨロシクお願いします!

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次回9/11 20:00 予定

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