毒花怪鳥戦④
逃げる。逃げる。逃げる。
翼の羽ばたき、巨大な怪鳥の禍々しい爪が地を蹴る擦過音。それらを振り切るように【ロックンロール号】は迷宮を駆け抜けていく。時に急な坂を越え、岩を乗り越え、更に一瞬だが宙を駆けながら、追い回してくる怪鳥達から逃げ回る。
「まだかリーネ……!」
「【…………!!】」
ウルは背後で術式構築を続けるリーネに縋るように声をかける。彼女は未だ集中を解かない。術式構築を続けていた。
ウルは焦れていた。現状、怪鳥との距離の維持はなんとか続けることが出来ていた。だが、確実にコチラの消耗は進んでいた。シズクの魔力消費は特に激しい。既に下級魔術を十数回、中級魔術を一回発動している。これでも彼女がまだ戦えているのは間違いなく学園での学習の成果だが、限度がある。
ロックの魔石消費の貯蔵も既に半分を切っている。大分余裕をもって用意したはずだが、急発進急停車、更に骨身の変化による魔物への攻撃等々、全力消費は思った以上に魔力を消耗しているらしい。
ウルは、まだ余裕がある。だが身体の自由が利かない。そもそも【白王陣】完成時消費する魔力を保持しておかなければならないことを考えると消費は出来ないので余裕がないのと同じだ。消耗を抑えるために用意した魔封球(三十個超)も、既に片手で数えられるくらいになった。
消費が非常に激しい。限界が間もなく迫っているのをウルはひしひしと感じていた。
「じ、かんは……」
吊り下げている時計を確認する。既に怪鳥との遭遇から更に半刻経過している。リーネが定めた“最短完成時間”は既に経過している。だが、完成したなら彼女は言うはずだ。それを言わない、まだ【白王陣】の術式構築を続けているということは、完成が遅れているということに他ならない。
無理もない。現在の状況は最初想定していた状況――遠方に怪鳥を捉えつつ、戦闘を一切行わないよう移動しながら術を完成させる――からあまりにもほど遠い。揺れて、跳ねて、跳んで、攻撃されまくる。マトモに術式の完成を行える環境か相当怪しい。
遅れるのは無理はない、が、問題はどの程度遅れるかだ。本人に確認しようにもリーネは【集中】を続けていて言葉を発することすら出来ない。つまり、耐えるしかない。
『MOKEEE!!!』
「右から来ます!」
シズクの声にロックが戦車を左に切る。しかし怪鳥は構わずそのまま突っ込んできた。右側から激しい衝撃が来る。巨体から凄まじい力で圧迫され、走行中の戦車の重心が左に傾いていく。
「横転する!もっと左へ!!」
「ウル様!ですがそちらは――」
『どのみち倒れたら終わりじゃぞ!!主!!』
シズクが何かの警告を発しようとした、が、それ以前に怪鳥の猛攻の激しさに、ロックはやむなく更に左へと車輪を切った。その判断自体は適切だった。完全に戦闘中の現状、横転した際立て直す時間は無い。
が、結果、更に状況は悪くなった。
どぷうん、という、耳障りな音と共に。
「……どぷうん?」
「……すみません、ウル様、此処は沼地です」
覗き穴からウルは状況を確認する。沼地、【毒茸の沼地】、見覚えがある。無いわけがない。此処は怪鳥どもの根城だ。つまり敵の本拠地である。
誘導された。
此処に来てウルは相手の知性の高さを再認した。だが気付くのは遅すぎたが。
『いかんの、こら動けん』
車輪が沼地の中を空転している。いや、それでも特殊加工した車輪だ。少しずつだが進んでいる。が、怪鳥達との距離を維持するには到底足りるものではない。
『MOKEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!』
『『『KUKEEEEEEEEE!!』』』
怪鳥の奇妙な鳴き声と、毒爪鳥たちの鳴き声が合唱になっておしよせる。まるで勝ち誇るかのようだった。先ほどまでの猛攻から打って変わって、悠然と、決して逃がさぬようにと鳥たちは沼地にはまった間抜けな戦車を囲い、じりじりと距離を詰めていく。
「…………だぁ……もう」
「済みません、ウル様。早めの警告をすべきでした」
「一人の責任じゃない……んで」
ウルは背中のリーネの状況を見る。未だ彼女は術式の完成に至る気配はない。まだ時間が掛かる。どの程度かは分からない。が、少なくとも彼女の術の完成よりも早く、怪鳥達は襲いかかってくるだろう。
「ロック、余力は」
『馬力全部使い切って全力で走りゃ、沼地から出てなんとか逃げられるってとこじゃ』
「その後は?」
『継戦力は尽きるの。撤退しかない』
一度撤退すれば、今回の戦闘で消費した魔道具や魔石、戦車の修理をまかなう資金は無い。ディズの予定も考えると怪鳥の討伐は諦めるほか無い。そうなればリーネが冒険者として都市外に出ることも許可されなくなる。
眼前の窮地、いつ完成するとも分からないリーネの術式、撤退した場合の結果、幾つかを頭の中で巡らせて、ウルは目をつむり、振り絞るように息を吐いた。
“最悪の場合の切り札はある”
出来れば使いたくはないが、それさえあれば最悪、脱出は可能なはずだ。目を開ける。上部座席に座るシズクと目が合った。白銀の瞳に迷いは僅かとて無かった。ウルはロックへと声をかけた。
「……“城壁モード”を頼む」
『【骨芯変化】』
直後、戦車の骨鎧が更に変化する。大盾のように形を変えた骨が幾つも作られ、そして地面に突き立つ。戦車の車輪や、可動部にまで回されていたロックの身体の全てが防壁に回された。
「シズク。結界」
「【風よ、我と共に唄い奏でよ。邪悪を寄せつけぬ堅牢なる盾で我らを包め】」
シズクは結界魔術を発動する。再び中級魔術。魔力の全てを注ぐ覚悟で彼女は魔術を完成させる。
『MOKEEEEEEEE!!!!』
機動力を完全に捨て、防御の姿勢に入った戦車を前に怪鳥は雄叫びをあげる。呼応するように毒爪鳥は一斉に飛び出し、そして戦車に突撃を開始した。
「しのぐぞ!!」
ウルは竜牙槍を構え、己の心を鼓舞するように、怪鳥らの奇妙な鳴き声をかき消すように叫ぶのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
研ぎ澄まされる意識の中、ひたすらウルの背に術式の構築を続けていたリーネは、僅かに残った意識の余白に、ウル達の奮闘をずっと捉え続けていた。
ウル達は戦っている。戦い続けている。激しい揺れの中、否応なく【白王陣】の構築が遅れている自分のツケを肩代わりして、戦い続けている。
その事がリーネにとってはこの上なく嬉しかった。
彼らが戦う理由が“己の魔術を利用するため”だと分かるから。
同情からではなく、戯れからでもなく、ただ必要であるからと魔術の行使を頼まれたのは初めてだ。自分だけではない、長くこの【白王陣】を継いできて、真に必要に迫られて発動する事など久しくなかったことだろう。
それほど、白の魔女から継いだレイラインの術式は、随分とこの世界から必要ではなくなっていた。不便で、融通が利かない。その形態を大きく変化させざるを得なかった。
原型が無くなるほどまでに、慎ましく。
適応である。と誰かが言った。それは正しいとリーネも思う。
時代に合わせ、適応し、形を変える。それができないモノは滅ぶのが世の理、流れだ。精霊信仰においても諸行無常の理は教えられる。【白王陣】は流れに逆らっている。良き方へ、悪しき方へ、自然と流れ、砕けて、形を変え、流転する世界の流れの中で地面に根を張って踏ん張り続けている。世代を幾つも乗り越えて尚。
なんのために?決まっている。
残すためだ。刻むためだ。世界に、歴史に、かの思いを、願いを、絆を。そのために己は不変となる。変わらず、弛まず、揺らがず、かつてをかつてのまま、極め続ける。それをレイラインは続けてきた。ずっと、ずっと、ずっと。
でもその努力は孤独で、不毛で、嗤われて、小馬鹿にされ続けた。
時が経つほどに、時代の需要から離れるほどにそれは強くなっていった。
冒険者が仕事になり、魔物狩りが金稼ぎに変わり、迷宮が資源鉱山に変貌し、いよいよレイラインが当初の目的からズレ始め、祖母と同じ絶望がリーネを包んでいたそのとき、彼らは、ウル達は現れた。
同情でも慰みでもなく、ただ、自分が必要だと言ってくれるヒトが。
それがどれだけ彼女にとって救いだったことか、ウル達は知るよしも無いだろう。リーネもそれを口にするつもりはない。
だが、だからこそ その期待には応える。結果を出す。なんとしても。レイラインの願いよりも、今この時だけは、彼らへの感謝を込めて、リーネは術式を描き込み続けた。
「【……!!】」
激しい揺れ、横転するともわからない魔物達の猛攻、細かく、正確な術式構築が必須の【白王陣】にはかなり厳しい環境だった。だが、それでも一切手は休めない。恐らくこれまでで最も強い【集中】でもって、その全てを強化魔術へと注ぎきる。
振動の最中、身体の彼方此方を打撲し、指先から血が噴き出ても、術の構築は決して緩めない。
そして、精魂尽き果て、集中の限界の果てに、それは至った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ロックの身体で出来た防壁が崩れ始めた。
元よりロックの身体の総体積はそれほど多くはない。あの狂乱の死霊術士が残したロックの器は魔力さえあれば無限に再生する恐るべき代物であるが、それ故に総量は限られる。シズクはその総量を増加するために学園でも学習を続けていたが、しかしてそれはやはり、まだまだ時間のかかる課題だった。
『ぬ、う……!!』
故に、そう、長くはもたない。もとより再生力があるだけで、耐久性自体は高くないのだ。再生を繰り返せば魔力の消費も激しくなる。【城壁モード】は最終手段だった。魔石を使い切れば、動けなくなる。魔物が満ちる迷宮の中で。
『ウル!もうすぐ動けんくなるぞ!!』
「分かってる!!【顎解放!!!】」
ウルは竜牙槍を再び捻る。これが最後の咆吼になる。ウルはその竜牙槍を射出口から外に放り投げた。
「受け取れ!!」
『【輪転咆吼!!】』
ロックがそれを伸ばした“手”で受け取る。同時に“咆吼”を射出する竜牙槍を振り回す。射出された熱光は円を描くように縦横無尽に空間を焼き払い、毒爪鳥たちを焼き焦がす。だが当然、想定されていないむちゃくちゃな使い方だ。持ち手すらもその炎は伝達し焼く。
『っ!すまん落としたぞ!』
何かが砕ける音と、ぼどん、と沼に竜牙槍が落ちる音。毒沼の焼ける嫌なにおいが充満した。やむを得ない。
「シズク、魔力補充は!!」
「最後の魔力補充液を使いました!残り中級2回!」
「……!まだ使うな!!」
ウルは魔封玉を握る。どちらも煙幕弾。だが、身じろぎとれない現状目を眩ます事になんの意味も無い。こちらもとうとう余力が尽きた。
『MOKEEEEEEEEEEEEE!!!!』
怪鳥の咆吼に合わせ、幾つもの毒爪鳥の鳴き声が重なる。敵の数は未だ無数。
間に合わなかったか?判断を誤ったか?
ウルは悪寒と共に歯を食いしばった。これ以上、時間を引き延ばす手段はな――
「で、きた!!!」
その声は、迷宮に入ってから初めて聞こえてきた少女のもの。
それはウル達に勝利をもたらす福音でもあった。
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