【番外編⑨(最終話)】兄の人生も、わりと波乱に満ちている
「は!? 何!? どういう事!?」
情報量が多すぎて処理できず、目を白黒させたアイルトン。イアンがこちらも眉を下げて言う。
「アイル、俺の名誉の為に言っておくが、俺は最初ちゃんとサムに反対したんだからな。愛人の噂を利用するのは卑怯だぞって」
その後彼が優しく噛み砕いて何度でも説明を繰り返してくれたので、アイルトンは漸く事態を呑み込めた。
「……つまり、閣下はずっと前からアマリアに好意を持っていたと」
「ああ」
「けれども、上司が部下を下手に口説けばセクハラになりかねないから、徐々に外堀を埋めるつもりだったと?」
「そうだ」
「それで愛人の噂を利用して妹の虫よけにしていたら、その噂を真に受けた男に襲われそうになって……妹が投げ飛ばした、と」
「ああ。あれは素晴らしい背負い投げだった」
「はあ……」
アイルトンはもう少しで腰掛けていた椅子の背にずるずるともたれるところだった。横に居るイアンを見ると、どうも半信半疑なのか、疑問を込めた視線をこちらに投げかけている。仕方なく口を開いた。
「……それは俺が護身術を教えたんです。妹は夜会がトラウマになって一時期外に出られなかった。だから万が一危険な目に遭っても大丈夫だと自信を持てるように」
「そうか、ありがとう」
「え?」
自分でもアマリアに護身術を教えたのは少々失敗だった思っていたのにまさか宰相から礼を言われるとは。きょとんとしたアイルトンを見て、宰相は微笑んだ。……完璧な美形の微笑みに、アイルトンは「すっげー。キラキラしてやがる」と思わず言いそうになったがぐっと口を結ぶ。
「勿論、俺はあの場ですぐに不埒な男を止める気だった。だが他人から助けられたのと自分で対処できるのでは気の持ちようが全く違う。護身術がなければセーブルズの心の傷がもっと深くなっていただろう。君に感謝する」
「はあ、そうですか……」
「ただ、城内にそんな輩がいるのは由々しき事態だ。必ず数日以内には男の身元を抑え、対処する。それまでは彼女を守って欲しい」
「それは当然です。今日は妹と一緒に帰ります」
「協力、誠に感謝する」
サミュエル・ドーム公爵閣下は今一度頭を下げる。いくら宰相職を引き継いで数年の若手で年が近いとは言え、これ程身分の高い人間が一介の騎士ごときに二度も頭を下げるというのはなかなか機会がないだろう。アイルトンはたじたじとなった。
「あ、はい、どうも」
「では失礼する。突然押し掛けてすまなかった」
颯爽と席を立つサミュエル。先ほどまで情けない顔を見せていたとは思えぬキリリと美しい姿だった。それはそれとしてアイルトンは拍子抜けする。
「え? あの、依頼ってそれだけですか?」
「? そうだが?」
「アマリアとの仲を取り持つとか、そういう話は?」
「えっ、いや、それは……ほら、愛人の噂をまずはきっちり消してからにしようかと」
氷の貴公子がまた少し融けてしまった。アイルトンは若き公爵の意外な面に大変驚いたが、それと同時に呆れた。エミュナを口説くのにかなりの時間をかけた彼が他人の事を言えないが、それにしてもこれは度が過ぎた奥手ぶりである。
「それにセーブルズは男嫌いだから多分俺に振り向くことはないと思う。だから面と向かって告白すれば、もう俺の下では働けなくなるだろう」
「まあ、それはそうですね」
「だから顔の見えない別人の声に恋をしたことにしている」
「へ!?」
極めて真面目な顔でどう考えてもおかしな事を言い出すサミュエル。目を丸くしたアイルトン。二人の間に居る双方の友人のイアンは……口元を隠して震えているが、目が笑っている。
「サムは『えーい、どっせい!』という力強い声を聞いて、その声だけで恋をした。相手の姿は知らない……とセーブルズさんに説明したんだ」
「馬鹿な! そんなもの信じる人が」
「セーブルズさんは信じたみたいだぞ」
「……」
呆然とするアイルトンを置いて、「では宜しく頼む」と宰相は去っていった。イアン・キューテックはその背を追いつつもアイルトンに声をかける。
「アイル、サムは俺にとっては良い友人だからこう言うのはなんだけど……もしお前がサムをセーブルズさんに近づけたくないと思うなら、ハッキリ言ってくれて構わない」
「あ、うん、まだビックリしていて、ちょっと状況がわからないから……考えさせてくれ」
「わかった。ありがとう」
二人が出ていった後、しばしアイルトンは考えた。
サミュエル・ドーム公爵は身分も立場も申し分ない。加えて素晴らしい美男子だ。あのエドガーよりも更に輪をかけての美形だった。
だが奥手を通り越していささか情けないのは頂けない。男らしくない男に大事な妹を預けるのは問題だ。事実、彼女はそのせいで今日危険な目に遭っている。
「でもなあ……」
彼は独り言ちた。
男らしいというのは裏を返せば押しが強いと言うことだ。かつての婚約者、エドガーは腕にものを言わすのとは違う、人の心に入り込む押しの強さがあった。若い頃のアマリアは見た目だけではなく、あの男の手練手管に心を絡め取られたのだと思う。
一方、宰相は「どっせい」の声に惚れたなんて馬鹿な事を言ってまでアマリアに無理に迫ろうとはしていない。それを自信のなさと取るか、彼女の意思を優先している優しさや誠実さと取るかは人それぞれだろう。
それに愛人の噂のせいで妹を危険な目に遭わせたことをサミュエル自身が何より深く反省しているのが伝わってきた。
「うーん……まあ、とりあえず様子見でいいか」
アイルトンは彼の遠回りな求愛は後者、つまり優しさだと受け止めた。
それは今まで彼を助けてきた野生の勘の為でもある。例の胸焼けにも似た嫌な感じをサミュエルには感じなかったから。
◇
その日の夕刻。仕事を終えて妹を迎えに行ったアイルトンは帰りがけに不審な男を見かける。変な目でアマリアを見ていたその人物は、彼女と目が合うとそそくさと逃げ出した。
アイルトンは筋力だけではなく目の良さも自慢である。男の特徴だけではなく、ついでに一緒にいた同僚の特徴も覚えておいた。翌日密かにイアンにその事を伝えると、翌々日には犯人を無事抑えたそうだ。男は罪を認め、王城勤めも辞める事になったらしい。また、同時進行で愛人の噂も否定して周っているとのこと。
ちょうどその日のアイルトンはエミュナのウェディングドレスが仕上がらないトラブルに巻き込まれたので、妹をあまり気に掛けることができなかったため、後からそれを聞いてほっとした。
◇
翌月の始め。妹と婚約者が王子妃直筆の招待状を貰ったため、アイルトンは一緒に園遊会に参加した。
正直なところ第三王子殿下と王子妃の威厳は結構なもので、彼はとても緊張した為、エミュナが大好物の菓子のテーブルに早々に向かってくれたのはありがたかった。
「んーっ、美味しい! アイルもほら、食べて!」
ニコニコ顔で菓子を満喫するエミュナに、彼の顔もほころぶ。ところが甘く平和な時間は長くは続かなかった。
庭の中央が騒がしくなり、大勢の人が集まりだしたのだ。エミュナは基本的にゴシップには嗅覚が敏感である。何事かとアイルトンを引っ張って様子を見に行った。
人垣の中央ではミシェル妃殿下に宰相閣下、少し後ろにアマリアとイアンが控えている。そしてミシェル妃殿下がアマリアを褒め称えた後、反対側にいた小太りの男と、その娘らしき派手な姿の令嬢の断罪劇が始まった。
どうやら、小太りの男はリバワーム伯爵で、昔支給された洪水の支援金を私的利用した罪を公衆の面前で暴露されたらしい。アイルトンも洪水の被害には胸を痛めていたので、この断罪劇にはちょっとスカッとした。
騒ぎがおさまった後、エミュナが不思議そうに首を傾げる。
「ミシェル様はともかく、宰相閣下がアマリア達が私財を売り払ったことを知ってたなんて不思議ね?」
「ああ、知ってるだろうさ。もうその頃には……」
そこまでつい口をついて出てしまい、アイルトンはハッとしたがもう遅い。こちらを見上げてくるエミュナの目が、好奇心でキラキラどころかギラギラしている。
「その頃には!? 閣下はアマリアを知ってたってこと?」
「ちょ、待て」
「アイル、貴方何を知ってるの!? ていうかミシェル様もグルでしょ? 普段あんなに閣下を嫌ってたのに協力してるもの!」
「声がでかい! ここではマズイって!」
園遊会の招待客たちの目がこちらに集まっている。アイルトンは慌てて婚約者の口を塞いだが、彼女は諦めなかった。
その日の帰り、彼は婚約者と二人きりで延々質問責めにされ、全てを喋らされたのである。
「エミュナ、これは秘密だから絶対に言うなよ!」
「わかってるわよ! 私が何年アマリアの親友をやってると思ってるの? 絶対にあの子にはバレないように仲を取り持ってあげる」
「いや、仲を取り持つとかは頼まれてないから!」
アイルトンは再三、彼女に釘を差したのだが……どうもその釘は全く刺さっていなかったようである。それから暫くして「宰相閣下は庭で美しい声を聞いて、その声の持ち主を探している」という噂を聞いたのだから。
彼は一生涯、自分がこんな台詞を言う立場になるとは思っていなかったのだが、これは流石に言わざるを得なかった。
「エミュナ、お前にはガッカリしたよ……」
結局、なし崩しに彼とエミュナは宰相と妹の仲を深める手伝いをすることになってしまったのだった。
◇◆◇
とは言え、現在のアイルトンは幸せである。
宰相から熱烈な求愛を受けたアマリアは、実は以前から彼にときめいていたと告白し、無事二人は婚約した。
そしてアイルトン自身の結婚式と特別休暇は目前なのだ。今日はその前の最後の休暇で、彼はエミュナとドレスメーカーの店を訪れて打ち合わせを追えた後、街をぶらぶらと歩いて独身最後のデートを楽しんでいた。
「わ、綺麗……」
いつだったか、メリーが赤い宝石をねだった宝飾店。そこを通りかかるとショーウインドウの中の宝石を見たエミュナがポツリと呟く。
「欲しいのか?」
「まあ、欲しいと言えば欲しいけど、今はいいわ」
エミュナはいたずらっぽく笑った。
「昔のミシェル様の名言、貴方も聞いたでしょう?『一粒の宝石も身につけず、何の飾りのないウェディングドレスを纏ったとしても問題ないわ! わたくしの美しさがあれば!!』ってやつ」
「ああ、そんなのあったなぁ」
「私、ミシェル様のような美人とは系統が違うけど可愛さでは負けてないと思ってるの!」
アイルトンは吹き出した。
「おい、それは不敬罪にあたらないか」
「大丈夫よ。ミシェル様は私の可愛さだけは認めてくれてるから!」
「だけ、かよ」
「だから、私が可愛いうちは飾り立てる宝石は要らないの。私が年を取って、可愛くなくなったら買ってね!」
アイルトンは今度こそゲラゲラと笑った。その理屈で言うと、一生彼女に宝石を贈る機会は訪れないかもしれないな、と思いながら。












