【番外編・⑥】兄の人生も、わりと波乱に満ちている
アイルトンは馬鹿みたいに口をポカンと開けたまま、それでいて声を出せずにいた。
エミュナの美しい、けれども今まで彼に見せてくれていた笑顔とは全く違う、よそいきの愛想笑いを見たからだ。
目の前の彼女は小柄な身体に似つかわしくない強い圧力と負けん気の強さを秘めている。
「コナー子爵夫人、私のドレス、そんなに派手でしょうか?」
婚約者という自己紹介に驚いたメリーへ、エミュナは直球の質問を投げ込む。子爵夫人が先に嫌味を言ったからとはいえ、身分が下の男爵令嬢にしてはなかなかスリリングな発言だ。
しかしエミュナは一見とても馬鹿な娘の様に見えるが、実はそうではないとアイルトンは知っている。彼女は他の賓客には聞こえないように小声で、しかも自分の可憐さを活かしたあざといポーズや声音を交えて質問をしたのだ。コナー子爵がますます鼻の下を伸ばした。
「そっ、そうね。もう少し落ち着いた色を選んだ方が」
顔を引きつらせながらもメリーが答えるが、最後まで言わせずにエミュナは言葉を被せた。
「えぇー? 私にはこの色が一番似合うって、ミシェル妃殿下がアドバイスをくださったのに」
「なっ!?」
「アッ、申し遅れました。私、妃殿下の傍仕えをしておりますの」
エミュナはまたよそいきの笑顔を作る。初対面のメリーは気づかないだろうが、アイルトンから見れば悪魔の笑みだ。
そのメリーは更に顔を引きつらせ、顔色も一気に悪くなった。知らなかったとはいえ、王子妃殿下の選んだ色を貶したのはかなりマズい。
「ご、ごめんあそばせ。灯りの下で見るとずいぶんと明るく感じたものだから。でも夜会ですもの。星空の下ならそのくらいでちょうど良いかもね」
「そうですよねぇ? 妃殿下はそこまで考えていらっしゃると思いますわぁ」
アイルトンは更に呆気にとられた。エミュナにこんな芸当ができるとは。苦しい言い訳をしたメリーを肯定するフリをしながら「貴女は考え無しみたいだけれどね」というメッセージを送ったのだ。
「ねぇ、アイルもそう思うでしょう? このドレス、私にぴったりだもの」
「あ、ああ……良く似合っている」
「ふふっ。私と婚約できた貴方は幸せ者ね」
エミュナはごく自然にアイルトンの腕に自分のそれを絡ませる。本当に婚約者にしか見えない。
「でも私もとっても幸せだわ。最近、貴方の騎士団での活躍は凄いから。出世するって聞いたわよ」
「えっ」
「今より上なら第二近衛隊に昇格かしら。それとも役職つきかしら? どっちでも将来安泰よね!」
メリーの顔色がいよいよ土気色になった。
「近衛……」
彼女の呟きはアイルトンにも微かに聞こえたがエミュナも聞き逃さなかっただろう。わざとらしく「アッ、ごめんなさい。人前で惚気たりして」と軽く謝ってみせた。
「お会いできて嬉しかったですわ。そろそろ失礼致します」
完璧な美しい笑みと、王子妃殿下仕込みであろう完璧な淑女の礼を取り、エミュナは別れの挨拶をする。アイルトンもそれに合わせ「コナー子爵、夫人、失礼します」と挨拶をするとその場を離れた。内心はなにがなんだかわからずに焦っていたが、一応それを表には出さずに済んでいたと思う。
エミュナにリードされるように、夜会の会場を横切り掃き出し窓から庭へ出る。ひと気の少ないところまで行くと彼女は振り返った。ドレスは星明かりに照らされて、エミュナの姿を一層美しく飾る。アイルトンはその光景に声を失い見惚れそうになるが、その前に彼女の笑い声で静寂がかき消された。
「あははは! 見たわよねメリー・コナーの顔! 最っ高!」
「……は」
「ふふふ、貴方、本当にあの人にフラれて正解だったわよ。自分の見栄と損得しか考えていないくせに記憶力まで悪いんだもの。私が『はじめまして』って言ったのになんの疑問も持っていなかったのよ!」
「えっ?」
「あの人、二年ほど前にアマリアにくっついてはミシェル様にすり寄ろうと何度もしつこくしていたでしょ? 私もその時横にいたのにね。男爵令嬢なんて目に入れてなかったんだわ」
「……あ」
そういえば、確かにパーティーでメリーがアマリアについていった時に、毎回ではないが公爵令嬢の近くにピンクブロンドを見た気がする。遠目からでは気づかなかったが、あれがエミュナだったのかとアイルトンは思い出した。
「いやっ、でも、ちょっと待ってくれ。なんで俺の婚約者だなんて嘘を」
髪の毛をグシャグシャとかきむしりながら、混乱したアイルトンはエミュナを問い詰める。しかし彼女は涼しい顔をして答えた。
「そりゃあ、あの人を悔しがらせたいからに決まってるじゃない。自分勝手な理由でフッた男が、絶世の美女でしかも王子妃殿下の傍仕えと婚約したうえ、出世まで約束されて幸せの絶頂でいるのよ? あの人、今頃ヒステリーを起こしているかもね」
サラッと自分の事を「絶世の美女」と言ってのける図々しさもさることながら、咄嗟にそこまで考えて立ち回ったエミュナの大胆さにアイルトンは更に驚いた。
「でも待てよ。俺たちはその、ただの友人で。婚約者だなんて噂が広まったら……」
「あぁ大丈夫。あの人は自分の見栄と損得しか考えていないって言ったでしょう? あの手のタイプは自分の失敗や損を絶対に自分から他の人に言わないもの」
くすくすと笑うエミュナにアイルトンはぐっと来た。勿論、今まで彼女の直接的な物言いに好感を抱いていた。けれども彼女は実は嫌味を返したり、人を見て立ち回ることもできる子だったのだ。
なのに、自分にはいつも素を見せてくれている。ちょっと失礼かもしれないくらいにストレートに心の内を話してくれる。
それが、どれだけ自分にとって気持ちの良いことか。……愛おしいくらいに。
「確かにコナー子爵夫人は周りに今日の事を話さないと思う。でも……俺は言うぞ」
「え?」
アイルトンはエミュナの前に跪いた。真剣な面持ちで彼女を見つめ、正直な気持ちをぶつける。
「エミュナ嬢。俺はずっと前から……多分、初めて会った時に叱り飛ばされた時から、君に惹かれていた。今は惹かれてるなんてもんじゃない。好きだ。嘘を誠にしたい。俺と婚約してくれないか?」
エミュナは目を見開き、口を閉じた。星明かりが落ちる庭園に再び静寂が訪れる。十秒か、三十秒か、それとももっと長くか。アイルトンには永遠にも近く感じられたが、彼女から目を逸らさずにじっと忠犬よろしく「待て」を続けた。
やがてエミュナが根負けしたかのようにクスリと笑みを漏らす。
「……そうね。私、貴方のツテで他にも素敵な男性に出会えるかとも思っていたのだけれど……」
アイルトンの顔がパアッと晴れる。自分より素敵な男性は居なかった、と言われると思ったのだ。だが少し違った。
「素敵な男性は居たわよ? でもね、みんな私がお淑やかにしている姿を褒めるのよね。本当の私に惹かれたって言ったのは貴方が初めてだわ」
「じゃあ、俺と!」
「ええ、もうそろそろ婚約者くらい決めないといけない年だし」
「ありがとう!! エミュナ嬢!」
アイルトンは彼女を抱きしめたい気持ちをぐっとこらえ、手を握るにとどめた。
そして手をとってご機嫌で夜会の会場に戻ろうとした時に、ふと思い出したのだ。
「でも、何で俺の昇進の事を知ってたんだ? 誰にも言ってないのに」
「お馬鹿さんね。剣術大会はどこでやったの?」
「そりゃあ騎士団の演習場で……あ」
漸くアイルトンにもわかった。王立騎士団の団員の中で剣術を競う大会なのだから城内の演習場で開催される。そして大会は王族も特別席で見学するのだ。第三王子殿下とその妃殿下も見学に来ていた。
つまり、妃殿下の横にエミュナも控えていたということだ。
「王子殿下が貴方の腕前を見てね。近衛でも良いと仰っていたの。でもまだ決定ではないから、誰かに喋ったりしないでよ?」
さっきメリーに暴露したくせに、その口の前に指を立てて、エミュナはアイルトンに箝口令を敷いた。












