【番外編③】兄の人生も、わりと波乱に満ちている
「ではアイルトン・セーブルズ伯爵令息殿」
「長いからアイルでいいよ。皆そう呼んでるし。キューテック侯爵令息殿」
事情聴取をしてきた文官の一人が年も近く、話がわかりそうな奴だったのでそう言うと、一見四角四面な印象の黒縁眼鏡の男はニヤリと笑んだ。
イアン・キューテックは侯爵家の三男だが、侯爵家には継がせる爵位が次男の為の伯爵位までしかないらしい。よって、小さい頃から未来の宰相閣下の傍につくように親が取り計らったそうだ。親の作為的な縁がきっかけとは言え、実際に宰相の令息とは馬が合うらしく彼の第一秘書になる予定なのだそう。
アイルトンと宰相の令息……つまり社交界では「氷の貴公子」と呼ばれる絶世の美男子……とはタイプが全く違うはずだが、イアンとアイルトンもまた、気が合った。
おそらく貴族階級でありながら爵位も領地も継げず、自分で糊口をしのがないといけない身という共通点があったからだろう。アイルトンもコナー子爵家に婿入りするとは言え、子爵領もそれほど豊かではない。騎士団で貰う給料も結婚すればメリーに手渡すことになりそうだとアイルトンは薄々思っていた。
イアンは彼よりさらに凄い。「宰相閣下の秘書を務める予定」と言えば肩書に箔がつく。ならば婿入りの縁談も結構来ただろうが、彼は好きな女の子と結婚する為にそれらの縁談を全て蹴り、文官として一生身を立てるつもりでいるのだそうだ。アイルトンは素直に彼を尊敬していた。
◇
イアンによると、アマリアに狼藉をはたらこうとした男はどうやら他の令嬢に嘘を吹き込まれていたらしい。妹がミシェル・グレイフィールド公爵令嬢に可愛がられているのが気に入らないと、複数の令嬢たちが荷担していたとか。女の嫉妬の恐ろしさにアイルトンは背筋が寒くなった。
男と令嬢らには『浄化』の処罰が下されたそうだ。これでアマリアに悪意を向ける人はいなくなるだろう。
……だが、妹の心の傷は癒えたわけではない。彼女は塞ぎ混み、外に出たがらなくなったのだ。アイルトンはそれはそれは心配した。でも元来ガサツで女心のわからない彼には身を絞ったところで良い慰めの言葉を出せるわけもなく。
「……そうだ! モヤモヤした時は身体を動かすに限る!」
人間は自分の物差しでしかものごとを図れないのは普通の事だ。男ばかりの騎士団で日々鍛練に明け暮れる彼の物差しは当然、肉体系にひどく偏っている。
「アマリア! 動きやすい服装に着替えて庭に出ろ!」
「え?」
「お前の気持ちが晴れる方法を考えた!」
騎士団では剣術だけではなく格闘術も習い身体を鍛えている。もしも戦で剣が折れても、心までは折れないためだ。アイルトンはその格闘術のひとつである背負い投げをアマリアに教えた。
万が一、また誰かに腕を捕まれても反撃できるように……そんな事は二度と起きてほしくないが「いざというときに相手を倒せる」という自信があれば、彼女がトラウマを克服できると考えたのだ。
◇
暫くして。セーブルズ伯爵領は大規模な洪水に見舞われた。伯爵家は領地を救うため、金になりそうな私財を大量に売り払った。
アイルトンも勿論、貯めていた財産を手放した。騎士団へ特別休暇を願い出てセーブルズ領に飛んで帰ったものの、王家への支援を依頼する嘆願書はアイルトンには難しすぎてサッパリで、せいぜい泥をかき出したり土嚢を積むなどの肉体労働を手伝うくらいしかできなかったのだ。
だから他にできる事として金を出すのは当然だと考えていた。また騎士団の給料をイチから貯めればいいし、今後は同僚との酒を控えれば良いか……ぐらいの楽観的な考えだった。
重ねて言うが、楽観的なところが彼の良い所でもある。悲観的になってコナー子爵家に援助を願い出たりはしなかった。
だが、コナー子爵とメリーは違う考えを持ったようだ。アイルトンは婚約の解消を言い渡されたのである。何故だと問うた彼に、彼女は冷ややかな視線を返す。
「あの夜会が原因よ。あの時咄嗟に、貴方は私を放り出してアマリアの所へ真っ直ぐ行ったわね。あんな男の人がいる会場で婚約者に置き去りにされて独りになった私の気持ちがわかる?」
「!!」
アイルトンに衝撃が走る。あの時メリーは独りにされたことを怒るどころか、後からアマリアに駆け寄り、彼女を心配してくれていた。だからまさか、今更そんな事を言われるなんて思いもしなかったのだ。
「それにあの男が悪いとはいえ、理由も聞かずに一方的に殴り付けるなんて乱暴すぎて怖いわ。もう私、貴方のそばにいたくないの」
「……」
彼女の言い分を聞いた彼の中に、チリリとした胸焼けにも似た何かがまた生まれた。そしてそれはジリジリと大きくなっていく。
(……嘘だ。メリーは嘘をついている)
その時彼はやっと気がついた。
今まで時折彼女に感じていた不快なものは、エドガーに対して感じていたそれとよく似ていたのだと。
「ははは……仕方ないな」
悲しみと悔しさ。諦めと呆れ。
それらを織り混ぜつつも力なく笑って承諾したアイルトンの目に、メリーのホッとした表情が映る。
対外的にはどちらにも非のない、穏便な婚約解消という形で二人の関係は終わりを迎えた。
◇
これには流石に楽観的なアイルトンも落ち込んだ。
実家が困窮し財産は無くなったけれども、彼自身は借金を背負ったわけではない。王立騎士団でしっかりと給料も貰っている。それでもメリーにとっては婚約者失格の烙印を捺す程の細く薄っぺらい絆しか、今まで築く事ができなかったという事だ。
「ちょっと! 何をお葬式みたいな雰囲気を出してるのよ! そんな暇があったらアマリアを見習って少しでも領地復興の方法を考えなさいよ!」
しょぼくれていた彼に喝を入れたのは、アマリアの親友の一人であるピンクブロンドの男爵令嬢、エミュナである。彼女は王都に居るグレイフィールド公爵令嬢からの見舞いを持ってセーブルズ領を訪れたのだ。
「俺はアマリアと違って領地経営の手伝いとか書類を書くのが向いてないから……」
これは事実だ。父の力になれないかと一応色々と努力はしてみたが上手く行かない。その事も一層彼を落ち込ませた。だが詳しい事情を知らない妹の親友は「まあ!」と眉をつり上げる。
エミュナはかなりの美少女だ。メリーは勿論、妹とさえ比べても目立つ容姿だったが、今は惜しげもなくその可愛らしい顔を歪めてアイルトンをこき下ろした。
「アマリアから『頼りになるお兄様』だと聞いて期待していたのに、図体がデカイだけの役立たずじゃない。ガッカリだわ!」
「ガッカリ……?」
身分が上のアイルトンに友人でもないエミュナがこんな暴言を吐くのは、ひどく常識知らずな行為であるし彼が激怒してもおかしくなかった。だがしかし、アイルトンは彼女の歯に衣着せぬ物言いに、不思議とストンと腑に落ちる物を覚えたのだ。
彼はメリーから直球で「ガッカリだわ」とか「期待していたのに」と言われた事がなかった。アイルトンはガサツで人の心の機微には敏くない。だから彼女の望みに気づかない事もままあったろう。
そんな時に「ガッカリだわ。貴方にはあれをして欲しかったのに」と言われれば、そこから何かできる場合もあったかもしれないのに。だが彼女は黙って不機嫌になるか、愚痴を言うばかり。
王都の伯爵邸にメリーが滞在中、両親が領地からやって来た時も。彼女が強引にアマリアの交遊関係に絡もうとした時も。多分、メリーはアイルトンが彼女の気持ちを汲んで彼の家族へ意見をして欲しかったのではないか。
(……でもそれは、ちょっと俺には無理な芸当だ)
エミュナのようにハッキリと意思表示をしてくれた方がよほど気持ちがいいし、誠実で幸せな人間関係を築ける。メリーとの絆が薄かったのは二人の相性も悪かったせいもあるのか、と今更ながらアイルトンは気づかされた。












