【番外編②】兄の人生も、わりと波乱に満ちている
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一ヶ月ほどして。彼の疑問は解消すると共に、それ以上の衝撃が襲ってきた。
アマリアのブローチの宝石は偽物で、エドガーはとんでもないクズだったのだ。
アマリアも宝石の偽造に関わっていないか、簡単とはいえ文官に事情聴取までされたらしい。普通の女性なら倒れて寝込んでもおかしくない出来事だ。
けれども、アマリアは「私って男の人を見る目がなかったのね……」と寂し気に笑うだけ。気丈に振る舞う妹の姿に、アイルトンは感心しながらも、それ以上かける言葉が見つからなかった。
「私たちの結婚は来年に延期しましょう」
両親と妹が領地に帰るなり、メリーからそう言われたアイルトンは目を見開く。
「メリー、何故だ? やっと騎士団の仕事にも慣れてきたのに!」
「だってアマリアにあんなスキャンダルが出てしまったんだもの。今貴方と結婚したら、私も『偽物』だって嗤われる可能性があるのよ」
社交界の噂に疎かったアイルトンは、婚約者の話でそれを知った。妹は偽物の婚約者と偽物の宝石を自慢していた愚かな女だと陰で物笑いの種にされていると。確かエドガーを調査してくれた宰相の令息にも妹と父がきちんと御礼を言った筈なのに。彼の頭にカッと血が上る。
「馬鹿な! なんでそんな噂が!!」
「私に怒らないでよ!!」
大声を出した彼に気を悪くしたのか、メリーも怒りだし、そのままコナー領に帰ってしまった。アイルトンは謝罪の手紙をメリーに送ったが、騎士団の仕事を放りだすわけには行かず、直接子爵領に出向くことはかなわなかった。
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かつての妹との仲たがいはメリーによって解消した。
今度の婚約者と険悪になった仲は、逆にアマリアによって取り持たれたのだ。
きっかけは、妹が社交界にまた顔を出した事だった。アマリアはなんとミシェル・グレイフィールド公爵令嬢の私的な茶会に呼ばれ、彼女に大層気に入られたと言う。公爵令嬢は第三王子の婚約者である。今までそんな大物との縁など、田舎伯爵のセーブルズ家には全くなかったのにどういう風の吹き回しか。
「ねえ、どうやってミシェル様と仲良くなったの!?」
公爵令嬢経由で園遊会や夜会に頻繁に呼ばれるため、暫く王都の屋敷に滞在する事になったアマリア。彼女を追いかけるかのようにメリーも王都にやって来た。公爵令嬢と仲良くなる秘訣を妹から訊きだそうとやっきになっているが無駄だ。アイルトンが既に訊いていたが、にこにこするだけで教えて貰えなかったのだから。
「じゃあ、私をミシェル様に紹介してよ! 姉妹になるんだからいいでしょ!」
「うーん……紹介はするけれど……そこから先は保証できないわ」
エドガーと婚約を解消したあと、アマリアは若干の男性不信になったようで夜会に赴く際のパートナーはアイルトンか父しか居なかった。アイルトンは妹をエスコートする事に不満はなかったが、そこにメリーが「私もアマリアのお友達に紹介して!」と無理やりくっついて来るので両手に花を抱える妙な図だ。
しかもいざパーティーが始まるとアマリアは友達と話をしに行き、婚約者もそこについて行くので両方の花が居なくなる。結果、アイルトン一人が放り出されると言う更に間抜けな図が生まれている。
彼は周囲の忍び笑いを聞きながら頭をぽりぽりとかいた。
(まっ、いいか。アマリアの気晴らしになるし、メリーも機嫌がよさそうだし)
しかし婚約者の機嫌はそう長くはもたなかった。
「何よあの人! いくら身分が高いからって言い方ってものがあるじゃない!!」
どうやらメリーは公爵令嬢のお眼鏡にはかなわなかったらしく、随分と冷たくされたらしい。
「メリーもグイグイ行き過ぎたんじゃないか?」
「貴方には女の社交がわからないくせに口を出さないでよ!」
アイルトンはつい思ったままを言ってしまい、またメリーに怒られてしまった。一瞬ムッとしたが確かに彼女の言う通りだなと彼は反省した。
それ以降、やはり夜会に出る時には両手に花状態だったがメリーはアマリアを追いかけなくなった。アイルトンは婚約者と二人でパーティーを楽しむ事が増え、結果的には良かったと思っていた。
……こういうところが彼の楽天的で、良くもあり悪くもある点だ。
◇
ちょっと体格が他人より大きい程度で、見た目は平々凡々なアイルトンと違い、妹はまあまあの美人だと彼は思っている。まあ、兄の贔屓目もあったとは思うが。
アマリアが特定のパートナーを持たず、専ら女性の友達とだけ話していたので、パーティーで見知らぬ男から声を掛けられる事も度々あったようだ。でも元婚約者の件で男性不信だった彼女は、それらを上手く躱していた様に思う。アイルトンは酒や料理を軽く楽しみながらメリーの話に相槌を打っていたので、妹の様子を遠目にぼんやりとしか認識していなかった。
あの事件の日も同様だった。
「えっ……?」
メリーが小さく息を呑み、呟いたのをきっかけにアイルトンも同じ方向を見る。やや距離があったがハッキリと壁際での椿事が見えた。
アマリアの手首を掴んでいる男がいる! 彼女の顔は蒼白で恐怖の為に声を出せず助けを呼べないのだと、兄であるアイルトンには瞬時に解った。
妹が何も言わないのをいいことに男は彼女を引きずって強引にどこかに行こうとしていた。アイルトンの頭に血が上る。額からこめかみにかけて皮膚がひくつき、怒りと興奮はこれ以上ないと断言できた。何故なら記憶はそこから少しの間、途切れ途切れになっている。
アイルトンは人混みをかき分け、妹の所へ走っていった。
「何をしている!」
拳を握り固め、駆けた勢いと体重を乗せて思い切り男を殴る。相手は人形か何かの様に吹っ飛んだ。そこで初めて彼は一瞬頭が冷え、これは騎士団の訓練でやる拳闘とは違い防具もないのだから、手加減をするべきだったと気がついた。だがもう周りから「きゃあああ!」と恐怖の叫び声が幾人もの口から放たれている。
アイルトンは男の事よりも妹が先だと切り替えた。
「アマリア、大丈夫か!?」
妹は何が起きたのか理解できないようだった。床にうずくまり蒼白なまま、自分の左手首を眺めている。ややあって彼女の薄紫の瞳から片方、涙がこぼれた。
「アマリア……」
アイルトンの胸がいたく締め付けられる。何故自分は婚約者とのうのうとパーティーを楽しんでいたのだろうか。ずっと妹の側にいるべきだったのではないかと自責の念に駆られた。と、そこに更にひどい侮辱の言葉が彼の背中に突き刺さる。
「何すんだよこの乱暴者! いきなり殴りやがって」
アイルトンが振り返ると、殴りつけた男が立ちあがり、よろめきながらも悪態を吐いていた。
「こちらのセリフだ! 俺の妹に何をする!」
「はあ、妹? けっ、兄妹揃ってろくでもないな。思わせ振りな態度を取って男を弄ぶ悪女に、妹にかこつけて問答無用でひとを殴る兄か!」
「なんだと!!」
彼の頭にまた血が上り、もう一度男を殴ってやろうかと思ったが周りの紳士たちに「やめろ」と止められた。その紳士たちに感謝をしている。あそこでもう一度手を出せば、アイルトンやアマリアにも非があると見做されたろう。
妹はあんな状況だったのに勇気を振り絞ってきちんと反論したし、すぐに衛兵がやってきて男を拘束したので、セーブルズ兄妹は評判をこれ以上落とさずに済んだ。
……尤も、アイルトンは後日こってり絞られたのだが。
騎士団の上司にも怒られたし、王城の文官からも呼び出されて事情聴取の為、半日も窮屈な椅子に座って延々喋らされた。












