【番外編①】兄の人生も、わりと波乱に満ちている
アマリアの二番目の兄、アイルトンのお話です。
彼とエミュナの馴れ初めや、本編の裏話を含みますが、第①話はほとんどが彼の過去話です。
「おい、セーブルズ。お前の妹、宰相閣下と婚約したんだって?」
「愛人だって噂は聞いたことがあったけど、ホントに結婚するとはな。上手くやったな」
「ああ、ありがとう。閣下も妹も幸せいっぱいだぞ!」
王立騎士団第三隊所属のアイルトン・セーブルズは同僚から声をかけられ、ワハハと笑って返した。
特に「上手くやったな」と嫌味を言ってくる相手には馬鹿馬鹿しいとばかりに笑い飛ばしてやる。妹と彼の出世は全く別の事だ。宰相閣下はそういう贔屓をする人間ではないのに、知らない奴ほど勝手なことを言うものである。
しかしここでカッとなって「何も知らないくせに!」と感情に身を任せてはこちらが損をする。昔、その教訓が痛いほど彼の身に染みたからだ。
◇◆◇
妹のアマリアは昔、とある男爵家の男と婚約をした。彼女が16歳を迎え、本当に結婚の準備を始めようかという頃だったと思う。
エドガーというその男をアイルトンは気に入らなかった。
なんというかキザったらしいし、女の扱いに妙に手慣れている。家は裕福という触れ込みだし、黙っていれば文句の付け所のない素晴らしい美男子ではあったが、ひとたび口を開けば滲み出る雰囲気に品がなかった。
……まあ、品がないという点では、ガサツなアイルトン自身も他人の事を言えた義理ではなかったのだが。
「アマリア、本当にあの男、大丈夫か?」
「アイル兄様、またその話? しつこいわ!」
何度も反対したせいで妹にはすっかり煙たがられてしまった。丁度その頃、アイルトンは騎士団に入隊が決まり、領地の屋敷から王都の伯爵邸に主な住まいを移す予定だった。
「まっ、暫く冷却期間を置けば、アマリアも許してくれるさ」
そのうち兄妹仲も戻るだろうと呑気に考え、彼は王都へ向かった。
「メリー!」
「アイル!」
王都には彼の婚約者であるメリーもやってきた。彼は喜んで伯爵邸で彼女の来訪を迎え入れる。しかし、用意していた茶を二人で飲んでいる最中に婚約者はこう切り出したのだ。
「ねえ、アイル、王都にいる間は私もここに滞在したいわ」
「えっ?」
メリーはセーブルズ領に比較的近いコナー子爵家の令嬢で、次男であるアイルトンはいずれ彼女の家に婿入りする予定だ。だからコナー家が王都にも屋敷を構えているのを知っている。……セーブルズ伯爵家に比べるとかなり小さく、王都の中心である貴族専用の住宅街から離れてはいるが。
「だってずっとアイルと一緒に居たいんだもの。……ダメ?」
「うっ」
キラキラした目で上目遣いをされて、そのあざとさにアイルトンはグラリとした。しかし一片の理性は残っている。
「2~3日なら良いけれど、それ以上は流石に親父に了承を貰わないと」
館の主人に無許可で長期滞在を許すのは次男である自分には出来ない、と筋を立てたのだ。……が。
「あらじゃあ良いじゃない。ここから早馬を飛ばせば3日もかからないでしょう? その間に領地のお義父様に了承を頂く手紙を送ればいいのよ」
「えっ」
「決まりね。用意しておいて良かったわ!」
そう言うと、メリーは馬車から自分の荷物を伯爵邸に運ばせた。最初からそのつもりで準備していたのだ。アイルトンは胃の辺りがチリリと焼けるような嫌な予感がした。
「アイルと一緒で嬉しいわ! ねえ、明日は王都を一緒に回りましょうね!」
「ああ……」
しかし、婚約者のとびきりの笑顔でその予感は煙のように消えてしまった。
翌日、王都の街を二人は見て回った。レストランで昼食をとり、屋台などを物珍しく見物した後、メリーはとある宝飾店を見つけ、そこに入りたいとねだる。アイルトンは見るだけなら、と同意した。
「これ、とっても素敵……アイルの色ね」
彼女がうっとりと眺めたのは大ぶりの、茶色がかった赤い宝石が嵌めこまれたネックレス。
「ねえ、アイル、これ買ってくれない?」
「えっ」
ネックレスの値札にはなかなかの金額が記入されていた。彼が将来に備えて貯蓄していた金や、騎士団で貰える給料をつぎ込めば買えないものではなかったが……入隊前からそれをアテにしているようでは先が思いやられる。
「お願い! アイルの色を身につけたいんだもの」
「え、うーん……」
答えを迷い、視線をもさ迷わせたアイルトンの目に琥珀の髪飾りが映る。色というなら、僅かに赤みがかった茶色であるこの琥珀こそが彼の髪の色とぴったり同じだった。それに値段も桁がひとつ少ない。
「俺の色ならこっちだろ。これを着けてくれよ」
そう言うと、今まで甘えていたメリーの表情が変わる。
「これじゃあ私の髪には映えないわ。なんだか地味だもの」
「そ、そうか。じゃあまた考えよう」
「……」
メリーはむっつりと黙ってしまった。アイルトンは宝飾店を出ながら、またチリリとしたものを胸の辺りに感じる。しかしさっき食べた昼食が胸焼けを起こしたのだろうと思っていた。
◇
3日が経ち、そろそろ父親からメリーの滞在についての返事が返ってくる頃。父親なら、まあダメとは言わないだろうとアイルトンは思っていたし、メリーもそう考えているようだ。
しかし予想外の事が起きた。
なんと返事の代わりに、セーブルズ伯爵本人が妻と娘を連れて直接王都の屋敷に来たのである。
「な、なんで?」
「いやあ、もうすぐお前の入隊式だろう? それは見ないといけないし、どうせだから予定を少し早めて来たんだ」
両親はアイルトンの兄……つまり嫡男に、近い内に爵位を譲るつもりでいた。今回は兄夫婦に領地を任せて様子を見る為にも暫く王都に滞在することにしたと言う。父はメリーの方を向くとにこやかに言った。
「ああ、メリー嬢、どうぞゆっくりしていってくれ」
「……はい、ありがとうございます」
それまで伯爵邸でのびのびとしていたメリーは、急に肩身が狭くなったように過ごし、数日するとコナー子爵の屋敷に帰っていった。
しかしメリーは同い年のアマリアとは仲良くなったようで何度か一緒に出掛けているようだ。どこかの貴婦人の茶会に呼ばれた時も、同席してくれたとかで心強かったらしい。
もともと彼女らは年頃の女の子だ。社交界の煌びやかな世界に憧れるのだろう。
アイルトンはそれを微笑ましく思ったし、メリーのお陰で兄妹仲も戻ったので彼女に感謝していた。
……あの事件が起きるまでは。
◇
ある日、アマリアは大規模な茶会に出掛けた。婚約者から貰った自慢の橄欖石のブローチを身につけて。
しかし、帰ってきた妹はなんだか元気がなかったのを覚えている。ただその胸にブローチが無い事にアイルトンは気がつかなかった。
翌日、騎士団での勤務を終えて伯爵邸に帰ってきた彼は、父と妹が青い顔をしているのに気がついたが、二人や母に訊ねても曖昧にはぐらかされてしまう。
「それでね、アマリアったらルミナス様とお話をしたのに、私を紹介してくれなかったのよ!! もうすぐ義理の姉になるのに……いいえ、もう姉妹同然なのに冷たいと思わない!?」
後日、メリーから愚痴を聞かされた内容によれば、アマリアは社交界で女神と讃えられるグリーンウォール侯爵令嬢に茶会で呼び出され、二人きりで話をしたらしい。普通なら喜ばしいことなのに何故アマリアは落ち込んでいるのだろう……それに両親さえも? と疑問は湧いたが、それをメリーの前では口にしなかった。何となく、それは悪手であると野生の勘がはたらいたのかもしれない。












