50.(エピローグ)そして扉は閉じられる
ごめんなさい。「少し」エピローグを書くつもりが、何故か4000文字と長くなってしまいました。
どうぞお付き合いくださいませ。
◆◇◆
「あ、ブラウンさん、見落としがありますね。ここと、ここです」
「えっ」
アマリアは書類の不備をさっさっと指差した。
「あっ、本当だ」
「それからこっちは添付書類が足りていないです」
「えっそうですか。……ああ、僕はダメだなぁ」
新人秘書見習いは悲しそうに言った。アマリアは彼を励ます。
「まだここに来て三日目ですもの。ブラウンさんは覚えが早いと思いますよ」
「でも! セーブルズさんは初日からバリバリ活躍していたと聞いてます!」
「あら、じゃあご実家を洪水で流されてみますか? そうすれば死に物狂いで必要な書類と要項を覚えるでしょうから」
彼女の強烈なブラックジョークを貰ったブラウンは目を丸くし、数秒後に恥ずかしそうに俯いた。
「すみません……迂闊な発言でした。僕は僕のやれることを頑張ります」
それを見たアマリアはキューテックやサミュエルと微笑みあう。やはり彼をスカウトして正解だった。謙虚に己を律し、真面目にこつこつと仕事を積み上げる態度は好感が持てる。きっとブラウンはサミュエル達の支えになってくれるだろう。
「あ、セーブルズさん。そろそろ時間じゃないですか?」
「まだもう少し大丈夫だと思いますけれど……同じ城内ですし」
キューテックは笑う。
「あまりギリギリだと、こちらが妃殿下に叱られてしまいますからね。『わたくしの親友を仕事に縛り付けないで頂戴!』とか」
「ああ……」
アマリアも苦笑した。確かにミシェルならやりかねない。素直に頭を下げた。
「では、お言葉に甘えて今日はこれで失礼致します」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です!」
「セーブルズ、ご苦労」
サミュエルは上司としてアマリアに優しく微笑んだ。相変わらずキラキラしているが、もうアマリアは動揺しない。大分慣れたのだ。この程度は。
城内を通り、王族の住まう離宮へむかう。衛兵にミシェルから貰った招待状を見せて取りついで貰い、第三王子妃殿下の私室へと案内される。
「いらっしゃいアマリア。待っていたわ」
既に部屋の中には色とりどりの布が広げられ、ミシェルとドレスメーカーのマダムが打ち合わせをしている。やはり早めに来て正解だったようだ。
「アマリア様、ウェディングドレスの仮縫いができておりますのでご試着をお願い致します」
マダムに言われ、アマリアは内心で舌を巻いた。確かにその予定で今日ここに来る約束だったが、本当に間に合わせるにはかなり厳しいスケジュールだった筈だ。どれだけのお針子を投入したのだろう。
だが用意されたドレスを見た瞬間、その素晴らしさに考えが変わった。確かにお針子たちの苦労は物凄かったろうが、その努力の結晶が芸術品のように仕上がっている。
「今回も勿論クリノリンは無しで。流行が廃れてきたのもありますけど、護身術を使う時に邪魔ですからね」
マダムはそう言っていたずらっぽく片目をつぶってみせた。
「なかなかいいわ! とても似合うわよ!」
ドレスを試着したアマリアを見てミシェルは目を細め、とても満足そうだ。アマリアは照れ笑いをする。
「そ、そう? 良かった……」
「これなら一国の姫と言っても通用しそうね……ねえアマリア。公爵夫人はやめて、やっぱり王家へ嫁がない? お相手はわたくしが探してあげるから」
「えっ!? ちょっとミシェル!」
「うふふふ、冗談よ」
ちょっぴり意地悪な王子妃殿下は狐顔で笑っている。
「まあ、あの宰相なんかに貴女をやるのは本当に惜しいのだけれど。それに肝心のプロポーズの瞬間をわたくしが見られなかったのはやっぱり納得いかないわ!」
ミシェルが誕生日パーティーに顔を出したのは、どうやらそれを期待していたから――――正確には、プロポーズをアマリアに断られたら指をさして嗤ってやろうと思っていたから――――なのだが、別室に避難してしまえばそれも見られないからつまらない、と早々に帰ってしまった。
そして翌日、エミュナや父親のグレイフィールド卿からサミュエルが真っ赤になってアマリアを追い回したと聞いて、その場面を見逃したことを大層悔しがったらしい。
「もう。だから埋め合わせに今日、わざわざこの場で試着をしてるんじゃない」
ドレスの試着だけならアマリア一人でマダムの店に行けばいいのに、わざわざ王宮に呼びつけてまで。尤も、マダムはついでにミシェルから新しいドレスの注文を貰えたので喜んで来ているのだが。
「そうね。結婚式当日まであの男に貴女のウェディングドレス姿は絶対に見せてやらないんだから!」
「もう……」
アマリアは苦笑した。サミュエルが声の主を探す「協力者」は二人いる、と言っていたがそれはアイルトンとミシェルのことだった。ところがミシェルは協力者になったつもりは更々無かったらしい。あくまでも園遊会でアマリアの名誉を回復する件だけの協力だったそうで、サミュエル個人を認めてはいない。だからこうして意地悪をするのである。
(まあ、宰相と王子妃があんまり仲が良くても変な噂になるし、これくらいが丁度いいのかもしれないわね)
アマリアは試着を終えてミシェルとおしゃべりを楽しんだ後、城を出る。待機していた公爵家の馬車に乗って。
「アマリア様、お帰りなさいませ」
ディケンズが恭しく彼女を迎え入れた。アマリアはサミュエルと婚約し、間も無く公爵夫人になる。その為に色々と学ばなければならない。だが既に宰相の秘書、王子妃殿下お気に入りの伯爵令嬢と二足の草鞋を履いている彼女に三足目を履かせるには時間が足りない。その為最近はドーム公爵邸に滞在し、ディケンズに屋敷の切り盛りや領地について、更に公爵夫人らしい社交等を学んでいる最中なのだ。
まあ、最後のひとつだけはあまり心配しなくて良いと老執事は言ってくれた。前公爵夫人も執事にほぼ丸投げだったし、それに……
「今日もセーブルズ伯爵家に届いていた手紙を転送していただきましたが、アマリア様は大人気ですよ。茶会や夜会の招待状がこんなに」
ディケンズはバサッと音がしそうな数の招待状をテーブルに置いた。アマリアがサミュエルと婚約したことで目の色を変えて交流を持とうとする貴族も増えたのだが、それ以外もある。
「アマリア様、あの時本当に格好良かったですわ! 悪漢を投げ飛ばしたのを見た時に胸がスッと致しましたの!」
「そんなに華奢な身体のどこにあの力がありますの? 私もアマリア様のようになりたいです!」
「これからはアマリア様こそ新しい淑女の手本となる時代が来ますわ! 男並みに働けて、男を投げ飛ばせるなんて最高ですもの!」
「アマリア様……ああ、お姉様とお呼びしても良いでしょうか?」
あるお茶会に参加したアマリアは令嬢たちに囲まれ、このような言葉を浴びせられた。何かの冗談かと思ったが、どうやら彼女らは本気らしい。アマリアはまた少しだけルミナスの気持ちがわかった。
彼女は確かにぐうたらで利己的で打算的ではあったのだろう。だがそれでも人前で完璧な姿を演じていたのは、周りの大きな期待に少しは応えようとする気持ちもあったのかもしれない、と。
サミュエルにそう言ってみると彼は苦い顔をしたが、賛成の意見だった。
「そうだな……俺は頭が固かったよ。ルミナスは外面を取り繕うことばかりで内面を磨いたり鍛えたりはしない奴だと思っていた。だが本当にそうならば、一目で宝石を偽物だと見抜くことも、君をやんわりと説得することもなかったろう。あれはあれで、俺とは違う努力をしていたんだな」
アマリアは彼の言葉を思い出し、嬉しくなった。彼のああいうところは本当に好きだ。慎重だけれど反省すべきところはちゃんと反省して未来に活かすし、攻めるべきところはちゃんと厳しく攻める。
「アマリア様、旦那様がお帰りです」
ディケンズに言われ、はっとアマリアは過去から現実に戻った。慌てて玄関ホールに赴き、未来の夫を出迎える。
「お帰りなさい、サミュエル様」
それまで疲労の影を落としていた彼の顔が、アマリアを見た途端、ぱぁっと明るくなった。
「ただいま! アマリア」
(うっ)
本当に照明がついたかのようだ。執務室での微笑みとは段違いにキラキラと眩しい。思わず目を逸らすがサミュエルはそれを知ってか知らずか彼女の頬に手を添えて自分の方を向かせる。
「ドレスはどうだった?」
「と、とても素敵でした」
「そうか、まあ君ならどんなドレスでも似合うに違いない」
彼はそう言いつつ、彼女の髪の生え際にキスを落とした。
「っ! ……そ、それはサミュエル様の贔屓目です。私にも似合わないドレスは沢山ありますわ!」
「そうかな?」
彼は今度はアマリアのおでこにちゅっと唇を触れてから、顔を一旦離して蕩けるような目付きで彼女を見つめる。
(ひゃあああ!)
「ああ、ドレス姿を見られないのが残念だ……」
甘い声で囁きながらサミュエルは今度は頬にキスをした。もうアマリアの心臓はばくばくと高鳴り、顔に血がのぼっているのが自分でもわかる。
「サ、サミュエル様、やめてくださいこんなところで……皆が見ています」
ディケンズをはじめとした使用人がずらりと勢揃いする玄関ホールで、これは流石に恥ずかしい。
「……ふむ。それもそうだな。じゃあ皆が見ていなければいい」
「えっ?」
そう言うが早いかサミュエルはアマリアの膝の裏にさっと腕を入れて横抱きにした。
「ひえっ!?」
「ディケンズ。俺は部屋でアマリアとゆっくりするから、呼ぶまで誰も入れないように!」
「かしこまりました」
「ちょっ、ちょっとサミュエル様っ!?」
サミュエルはアマリアを横抱きにしたまま、自分の部屋へとまっすぐに向かう。しかし目はアマリアにひたと据えたまま。そうだった。この人は慎重だけれど攻めるべき時には攻める人なのだ。
「そんなに真っ赤になって。君が可愛すぎるのがいけない」
ギラッギラの微笑みにアマリアは思わず声が出てしまう。
「きゃあぁぁぁ……」
その声は、サミュエルが部屋に入った後にバタンと閉じられた扉によって遮られ、もう聞こえなくなってしまった。
これにて本編完結です!
全50話にお付き合い頂き、誠にありがとうございました!(ぺこぺこぺこり)
この後、番外編として「キューテックの日記」を公開するつもりです。そちらもよろしくお願いいたします。












