5.兄と妹は辻馬車に乗る
この世界では、乗り合い馬車 = ミニバス、
辻馬車 = タクシー、をイメージして頂けると分かりやすいかもです。
そんな妹の気も知らず、兄はずんずんと出口に進むのでアマリアはやや小走りでついていく。城勤めの者達が普段使う裏手門を出ようと言うところで、もう辺りに夜の帳は下り始めていた。アイルトンは振り返り、アマリアに訊ねる。
「そうだ。お前いつもどうやって家に帰ってるんだ?」
「どうやってって、すぐそこから乗り合い馬車に乗ってるけど」
「マジかよ!?」
乗り合い馬車は城下町の大きめの通りをぐるりと回遊する馬車だ。料金が安い代わりにコースは常に決められた所を通り、道を外れることは無い。
その為、王城のすぐ近くから乗ることは出来てもセーブルズ伯爵邸の前まで乗ってはゆけないのだ。伯爵邸は貴族用の住宅街にあるが、住宅街の中を乗り合い馬車が通ることはない。仕方なく最寄りで降り、屋敷まで歩く必要がある。貴族の邸宅に通いで勤めている使用人ならともかく、屋敷を持つ貴族令嬢が供の者も付けずに乗り合い馬車に乗るのは珍しいと言えた。
「お前、宰相閣下から給料貰ってないのか!? せめて辻馬車を拾えよ」
「貰ってるけど毎日そんな事してたらお金が勿体ないじゃない」
「勿体ないって……いや、確かにお前はそういうところがしっかりしてるのは良いんだがなぁ……」
兄は妹の貴族女性らしからぬ金銭感覚に呆れ半分、感心半分でため息をつきながら、手を挙げて辻馬車を拾う。
「だから兄様、勿体ないわよ!」
「俺が金を出すんだから良いだろ?」
アイルトンは御者にセーブルズ伯爵邸まで行ってくれと告げ、アマリアの手を取って馬車に乗り込んだ。しっかりとクッションのきいた椅子に腰かけた彼女は向かいに座った兄をじとりと見る。
「アイル兄様だって乗り合い馬車をたまには使うでしょう? 確かに座り心地はこっちの方が断然いいけれど、金額が全然違うじゃない」
「あのさあ、俺は男だから良いけど。アマリア、お前が一人で乗るのはやっぱり危険だよ。どんなやつと乗り合わせるかわからないし、降りた後は夜道を歩かなきゃならないだろ」
「大丈夫よ。この格好なら貴族令嬢だってバレないもの。どう見てもちょっといい平民か、せいぜい貴族の子供の家庭教師をしてる女でしょ?」
アマリアは胸を張り、自分の地味な格好を見せつける。アイルトンは眉尻を下げ、また溜め息をついた。
「そういう問題じゃないんだよなぁ……お前さ、俺が教えてやった護身術、使ったんじゃねえか?」
「えッ!!」
今日は驚きの連続だったアマリアだが、サミュエル達と離れ、兄と二人きりの馬車の中で心をすっかり許していたのもあって、その驚きは一際彼女の心臓を強く叩いた。
「ど、どうしてそれを……」
彼女はつい素直に問い返し、即座にハッと自分の口を抑えたがもう遅い。兄は勝ち誇ったように言う。
「ほら見ろ! やっぱり危ない目に遭ってるんじゃねえか! いいか、これからは毎日辻馬車でちゃんと家まで帰ってこい」
「だってそれじゃあ……」
「金が足りないのか? 宰相閣下はああ見えてドケチなんだな。お前がもっと給料を貰えるように俺が交渉してやるよ!」
「やめて!」
兄の言葉に妹は慌てた。アマリアとは正反対で、武官としてはなかなかの腕だが数字や書類仕事となるとからっきしのアイルトンがする「交渉」など、腕にものを言わす力業なのではないかと思えたからだ。
「違うわ兄様、閣下からはお給料をちゃんと貰ってるの! 充分過ぎるくらいよ!」
「じゃあ、ドケチなのはお前か!」
アイルトンはキョトンとした。
「なんでそんなに金をケチってるんだ?」
「……」
「言わないとひどい目に遭うぞ」
「ほら! やっぱりそういうこと言う!」
やっぱり兄の「交渉」は力業だとアマリアは思ったが、彼は大きな身体を揺すってからからと笑う。
「いや、今のは冗談だ。ガキの頃ならともかく今は可愛い妹にそんなことするもんか!」
(冗談に聞こえないわ)
先ほどとは違う意味でじとりと兄を見るアマリア。その兄は笑顔を急に真面目なものに変え、彼女を真っ直ぐに見返した。
「だがお前が可愛いからこそ、ちゃんと理由は話して欲しい。なんで金をケチる?」
「……」
アマリアはまた黙り込む。カタカタと馬車の車輪が回る音、ポクポクと馬の蹄が石畳を踏む音だけが響く車内。二人は向い合わせのまま、暫し無言でいた。やがて彼女はゆるりと口を開く。
「あのね、アイル兄様。薄々わかってるとは思うけど……」
「うん?」
「私、一生結婚しないと思うの」
「へぇっ!?!?」
意外なことにアイルトンは大袈裟な反応をした。いや、意外だったのは彼にとってアマリアの考えもそうだったらしい。
「そんなに驚くこと? 私、もう20歳よ。周りの同い年の娘は皆結婚していて、子供も産んでる人だって少なくないわ。既に立派な嫁き遅れよ。でも私には仕事があるからこのまま修道院に行かずに、働ける限りは働いて、老後に備えてお金を貯めたいの!」
「い、いや、20歳なんてちょーっと遅いくらいで、嫁き遅れとは言わないだろ? それを言ったら俺だって21だし」
「あら、兄様はもう結婚秒読みでしょう? それにエミュナは私より年下じゃない。説得力無いわ!」
「あ、あうう」
形勢逆転。今まで攻勢一辺倒の兄は初めて弱みを見せた。
「そ、それは俺が不甲斐ないからなかなか相手が決まらずに結局そうなっただけで、別にエミュナが年下だからって理由じゃ」
「ええ。兄妹揃って不甲斐ないから、私も一生独身ってだけよ」
「そんな事はないだろ!? まだまだ結婚相手は居るはずだよ! お前、一回婚約に失敗したからって……あっ!!」
今度はアイルトンがハッと口を抑える番だった。アマリアの手痛い過去に触れるのは流石の彼でもデリカシーが無さすぎると気がついたらしい。彼女は心の中だけで呟く。
(婚約は一回だけど、面食いで失敗したのは二度なのよね……)
だがそれは兄には秘密事項だった。彼女はしれっと一回だけということにして応答する。
「その一回であんなに酷い目にあったんだもの。私、人を見る目が無いんだとつくづくわかったの。だから結婚相手を探しても、きっとまた変な男性に捕まって不幸になるだけよ」
「うっ……」
狼狽えるアイルトンに付け入り、アマリアはさらっと持論に持ち込んでゆく。
「自分で自分の面倒を見るためにお金を貯めるのがそんなに悪いこと? オールドミスのまま、兄様達にぶら下がる生活なんて私は嫌だわ。それに兄様達の奥様だって、そんな小姑は嫌でしょうよ」
「え、エミュナはそんな事言わないだろう……お、お前の友達なんだし……」
口ではそう言いつつも次兄の狼狽がさらに増す。彼は嫡男ではない。今はアイルトンとアマリアの兄が父の後を継ぐ予定で遠方の領地にいるから、王都の屋敷では気楽にやれているのだ。しかしこの先、長兄とその妻がこちらに来れば気まずいかもという想像はできる。声も身体も大きい兄は、妹に完全にやり込められて声を失い、ひと回り小さく縮んだように見えた。
先程とは種類の違う静寂が馬車の中を占めたが、割とすぐにそれは破られた。アイルトンは何かを胆に決めたようで、はぁっ……と大きく息を吐いてからこう言う。
「わかったよ……だけどアマリア、お前が危険な目に遭うのはやっぱり見過ごせない。朝、登城するのは乗り合い馬車でもいいけど、帰りはせめて辻馬車で帰ってきてくれ。差額はこっちで出すから」
「えっ、そこまでしなくても」
「それか毎日残業せずに今日のように定時で帰れ。それなら伯爵家の馬車を決まった時間に迎えに寄越せる」
「……それは無理だわ」
あの仕事量を頭に浮かべ、即座に代案を却下した妹を見て、兄は勢いを少し取り戻す。
「じゃあお前が残業しないよう、閣下に俺から言ってやろうか?」
「兄様それはやめてったら!!」
慌てるアマリアを見て、彼はニヤリとした。
「じゃあ決まりだな。明日から帰りは辻馬車で」
そこで丁度馬車はセーブルズ伯爵邸に到着し、結局最後は兄のペースに乗せられてしまったアマリアは、さっき心の端に一瞬浮かんだ疑問を綺麗サッパリ忘れてしまったのだった。
何故アイルトンは、アマリアが護身術を使ったことを見抜いたのか、と。
どうでもいい補足です。
文官や武官でも城下に屋敷のない人(地方の下位貴族とか、平民)は、独身の場合は寮に入れます。
寮は城にも近いし、乗り合い馬車も目の前を通るので通勤は楽々なのですが、寮費は少しかかります。
アマリアはそれすらもケチっているわけです。
まあ、自宅の方が他にも色々自由にできますし……。












