47.(回想・サミュエル視点)彼は彼女に女神の姿を重ねる
今回で回想シーンは終わりです。
今回のみ、文字数が3400文字余りと長くなってしまいました。どうかお付き合いくださいませ。
親友には大分前に……おそらく、セーブルズ伯爵令嬢に縁談が来ていると聞いたサミュエルが父親に直談判した時から、彼の片想いはバレている。
「……イアン、お前何を考えてる?」
「何も? 勿論アイルトンにはお前が彼女を好きだってことは秘密にしてる。だからこれはただの偶然だけど?」
「言っただろ。彼女には別に想い人がいるんだ」
「そうかな? アイルの話じゃ、妹は酷い男嫌いだそうだぜ」
「……夜会であんなことがあったんだから、想い人以外の男は嫌いなんだろう」
「まあそれもそうか。で、どうする? この話を受けるか?」
「……今までの秘書見習いと差はつけない。試用期間を設け様子を見て、やる気がないならそこで終わりだ」
第一秘書はヒューッと口笛を吹いた。
「流石は氷の貴公子様、容赦ないな」
「仕事は仕事だろう。私的な感情は別だ」
「ごもっとも」
仕事は仕事。その言葉に嘘はない。だが同時に彼の心は浮き立ってもいた。今まで遠くから眺めるだけで、言葉を交わしたのも一度きりの彼女が近くに来る。更に仕事上とはいえ会話も出来るのだ。彼女が手に入らなくてもそれだけで僥倖とさえ言えた。彼は一度は呪った神と運命に感謝をした。
◇
「アマリア・セーブルズと申します。よろしくお願いいたします」
「うむ。サミュエル・ドームだ。よろしく頼む」
2年の間に彼女の様相はすっかり変わっていた。あの儚げで美しい姿はなりを潜め、如何にも男嫌いを絵に描いたような地味な格好をしている。だが、眼鏡で色を変えている瞳には、変わらず意志の強さを表す煌めきが見える。
早速彼女に仕事のひとつを任せてみる。結果、セーブルズ伯爵令嬢は期待を上回る働きをしてくれた。これならば今までの「宰相閣下の秘書を経験した」という肩書きだけを欲しがり、現場ではやる気のなかった男連中よりもよほど役に立つだろう。
サミュエルは仕事が楽になりそうだという予感と、彼女がこれからも自分の側に居てくれるという嬉しさで顔がにやけるのを止められなかった。
◇
一ヶ月程して、王城の廊下の曲がり角で。彼は彼女にぶつかりそうになった。
「……セーブルズ?」
「……閣下」
(何故ここに? 今日は休みの筈では。それに)
今日のアマリア・セーブルズ伯爵令嬢は眼鏡をかけておらず、美しい薄紫の瞳を見せている。……と、その瞳から真珠のような涙がポロポロと零れ落ちた。
「セーブルズ、どうした!? な、何かあったのか?」
「大丈夫です、申し訳ありません……」
そう言いながらも泣きじゃくる彼女はどう見ても大丈夫ではない。サミュエルは慌てて後ろの秘書に助けを求めた。
「と、とりあえず……イアン、どうしたらいい?」
こういう時、既婚者で女性の扱いをわかっている親友は本当に頼りになる。彼はすぐに人目の無いバルコニーに彼女と付き添いの女性を案内した。サミュエルはスマートな振る舞いが出来なかった自分を恥ずかしく感じつつも、せめてもの思いで彼女にハンカチを差し出す。
「これを使ってくれ」
セーブルズ伯爵令嬢は明らかに動揺して断ろうとした。
「け、結構です。閣下には関係のないことです。巻き込んでしまい申し訳ございません」
その言葉でサミュエルの胸がぎゅっと痛む。本当に自分と彼女には関係がないのだ。彼女が辛い思いをした時に寄り添い、慰めたことなど一度も無かったのだから。自分がもっと早く恋心を自覚し、行動に出ていたら違う未来もあったかもしれない。
「……そんなことを言わないでくれ。俺にはこれぐらいしかできなくて……すまない」
「え?」
「いいから、もうちょっとここでゆっくりしていけ」
彼はハンカチを強引に押し付け、その場を離れた。廊下を早足で歩きながら独り言をぽつりと漏らす。
「……俺は何もしてやれない」
その独り言にイアンが反応した。
「今からでも何かできないか考えればいいだろ?」
「……そうだな。少しでも気分が晴れそうなことを……贈り物は図々しいし、きっと断られるだろう」
「相変わらずお前は慎重が過ぎるな」
「そうか? ……あ、イアン。明日、茶を淹れてくれ。良い茶葉と菓子を用意させる」
「かしこまりました。閣下、最高のお茶を彼女のために淹れてみせましょう」
10秒前まで呆れた顔をしていた親友は、急にニコッと秘書の顔になってそう言った。
◇
「失恋……誰にだ!?」
その言葉を聞いたサミュエルは頭が真っ白になった。
「さあ? アイルも初耳だってさ」
数日前セーブルズ伯爵令嬢が泣きだした事について、イアンが彼女の兄、アイルトンに探りを入れてくれたのだ。帰って来た答えは「妹は失恋をしたらしい」というものだった。
「あの時セーブルズさんに付き添ってた女官に聞けば多分わかるだろうが、それは無理だぜ。あの娘、よりによってお前を目の敵にしてるミシェル妃殿下の傍仕えだ。会わせて貰えないだろうな」
そう言うイアンの声を遠くに聞きながらサミュエルはぼんやりと考え込んだ。確かミシェルは「アマリアは叶わぬ恋をしている」と言っていた。相手は王族か既婚者かもしれない。失恋とは、元々手が届かない相手が更に遠くへ行ったという意味なのだろうか。何にせよ、あの気高く美しい人の気持ちに応じないなんて余程の男だろう……
「おーい、サム? 聞いてた?」
「あっ、な、なんだイアン?」
「いやさぁ、これはお前にもチャンスが回ってきたんじゃないかって」
親友兼、秘書はにんまりとした。
「チャンスって、まさか」
「そのまさかだよ! セーブルズさんを口説け!」
「無理だ!!」
女性を口説いたことなんて全くない。元々の慎重な性格に加え、レナの失敗で更に臆病になりセーブルズ伯爵令嬢を眺めることで満足していた自分が、これ以上どうしたら良いと言うのだ。それに。
「ダメだ!! 今の俺は彼女の上司だぞ。そんなの完全にセクハラじゃないか!!」
下手をすれば今の地位を利用して嫌がる彼女に無理やり迫る構図になってしまう。洪水の支援の時と同じ……いや、それ以上に悪質だ! とサミュエルは主張し、親友はため息を吐く。
「はぁ、そうきたかぁ。お前、女に関しては慎重っていうより臆病だよなぁ。仕事では大胆なことも出来るのに。……まぁでも一理あるか。無理に押したせいでセーブルズさんがここに居づらくなって辞められたら、俺としても痛い損失だ」
「そうだろ? だからな、ここはゆっくり攻めるべきだと思うんだ。なっ?」
「そんなこと言って悠長にしてたら、お前が王女殿下の婚約者になっちまうぞ」
「うっ……」
「まあとりあえず、毎日にこやかに会話するところから始めてみれば? セーブルズさんはお前の愛想にぽーっとするような人じゃないだろうけど、好感度を地道に積み上げるのは大事だからな」
◇
イアンのアドバイス通り、出来るだけ彼女には優しく対応していた……というか、気を緩めれば自然と顔がにこやかになっていたサミュエルだったが。けれどもやっぱり彼女は彼の愛想にも塩対応しか返してくれなかった。
最近はますます堅物を拗らせたような服装になっている。小さな髪飾りすらもやめてしまった。しかし何故か城内では彼女がサミュエルの愛人だという下品な噂が密やかに流されているらしい。
「いや、でもこれは逆に良いんじゃないか? 俺の愛人だと思っていれば彼女を口説こうとする男も居ないだろう」
「うげっ、お前、それは幾らなんでも卑怯だろ……」
5年ぶりに親友はドン引きしていたが、サミュエルは良いアイデアだと思っていた。実際にルミナスとの噂の時には結構効果があったのだから。
まさか、もっと卑怯な男がその噂に乗じて彼女を襲うなんて考えもしなかったのだ。
◇
昼食の誘いを断られ、イアンに「いいから追いかけろ!」と言われて渋々サミュエルは中庭に出た。遠くから暫く彼女を眺めていたが勇気を出して話しかけようとした矢先、他の男に先手を取られる。
と、その男が突然彼女の腕を掴んだ。
「俺の愛人にもならないか」
「!」
サミュエルはぞっと血の気が引く。それは4年前の夜会を彼に思い出させた。
「止め……!」
彼が駆け寄ろうとした瞬間、彼女の姿が視界から消える。自分から不埒な男にぴったり身を寄せたのだ。
「えーい! どっせい!」
彼女は男を投げ飛ばし、すぐさま「ごめんなさい」と謝って逃げ出す。サミュエルはそれを後ろから呆然と立ち尽くして見ていた。
その時、彼の心を占めていたのは、今度もセーブルズ伯爵令嬢を守れなかった無力感、愛人の噂を利用した為にこんな事が起きてしまった後悔、そして何よりも彼女への賛美であった。
「やはり彼女は気高く、強く、美しい……。俺の女神だ。女神……そう。大地の女神ラーヴァのような誰にも屈しない強さだ!」












