45.(回想・サミュエル視点)彼は自分の矮小さを知る
「きゃあああ!」
その日、夜会に参加していたサミュエルは幾人かの悲鳴に驚き、他の人達と同様に何事かとそちらを向いた。
目に入った光景は倒れた男と、おそらくそいつを殴った男。横には床にうずくまる女性。女性は青ざめた顔で自分の手首を眺め、薄紫色の瞳の片方から涙を流している。サミュエルは彼女がセーブルズ伯爵令嬢だと気づいてその身に戦慄が走った。
(彼女が泣いている……気高いあの人が!)
殴られた方の男は立ち上がり吠える。
「何すんだよこの乱暴者! いきなり殴りやがって」
「こちらのセリフだ! 俺の妹に何をする!」
「はあ、妹? けっ、兄妹揃ってろくでもないな。思わせ振りな態度を取って男を弄ぶ悪女に、妹にかこつけて問答無用でひとを殴る兄か!」
「なんだと!!」
興奮して更に殴りかかろうとする兄を他の人間が止める。サミュエルも思わず駆け寄ろうと一歩踏み出した。そこに良く通る、綺麗な声の反論が飛ぶ。
「兄が乱暴者なら、酒に酔って嫌がる女を無理やり連れていこうとした貴方は誘拐犯ですわね。私は貴方の誘いをきちんとお断りしたのに、それでも悪女呼ばわりなさるのが、そちらの地方の流儀ですの!?」
そのほっそりした、まだ震えの残る身体のどこからそんなに大きな声が出るのだろうか。彼女の声は一切震えていなかった。顔色は酷く青ざめ涙も乾いていないのに、その瞳は意志の強さをまたも見せている。サミュエルはその姿に強さと美しさと……神々しささえ感じた。
やはり彼女には敵わない。誰もが認める美貌と公爵令息で次期宰相と言う立場を持っていても、彼女を守れなかった自分の存在は如何に矮小か……とサミュエルは思ってしまった。せめて、今自分にできる事をやるのみだ。
「……キューテック、女性を襲った方の男の身柄を確保しろ。貴族階級として夜会でのこの行動は目に余る。十分に『浄化』の対象だ」
「はい」
男は衛兵に逮捕された。状況的にセーブルズ兄妹に非はないだろうとわかる筈だ。だが、既に彼女には元婚約者のスキャンダルがある。過去と今回の事を絡め、面白がって吹聴する連中もいるだろう。それを少しでも減らす為、彼は徹底的に男を調査尋問する。結果、男は元々の酒癖の悪さもあったが他の令嬢に「彼女は尻軽なの」と嘘を吹き込まれ、それを信じてセーブルズ伯爵令嬢に迫り、断られて逆上したと白状した。
(馬鹿な! 彼女をそんな風に言うなんて、事実とは全く逆じゃないか)
そう思ったが嘘を言った令嬢は1人ではなく数人が結託していたことも発覚する。令嬢たちの取り調べにサミュエル本人は立ち会わなかったが、報告を聞いて愕然とした。彼女らは渋々こう告白したのだ。
「セーブルズ伯爵令嬢が、急に公爵家にすり寄る様になったから」
「身の程をわからせてあげようと思って、彼女に似合うような素行の悪い男を焚きつけた」
それを知ったサミュエルの頭に真っ先に浮かんだのは、彼女を嗤う、意地の悪い顔をした令嬢たちだった。
「俺のせいだ。俺がセーブルズ伯爵令嬢を擁護するような事を言ったから……!」
「違うだろ。どこの公爵家かまでは報告書に書いていない。普通に考えればグレイフィールド公爵家のミシェル様の事だろう。セーブルズ伯爵令嬢は相当気に入られていたみたいだからな」
「……」
「そもそも擁護じゃないだろう。あれはお前が彼女に自分を重ねて、馬鹿にする奴らに反論しただけなんだから。確かにレナ嬢の事は誰も知らないからセーブルズ伯爵令嬢を擁護したように聞こえたかもしれないけど。ま、お前のせいじゃないから気にするなよ」
親友の一見して筋の通った言葉。だがサミュエルはそのまま吞み込むことはできない。彼が密やかに彼女を眺めていたことをイアンは知らないのだ。
結局、サミュエルはその事を親友にも伏せたままにした。自分はセーブルズ伯爵令嬢を遠くから見るだけで守れなかった。それどころか他の令嬢たちを煽って醜い嫉妬を燃え上がらせ、結果的に彼女を傷つけたのかもしれない……と告白する勇気を持てなかったから。
◇
一時だけ、サミュエルは神を呪った。あの気高く美しいセーブルズ伯爵令嬢には、あまりにも苦難が降りかかりすぎる。セーブルズ領は洪水に見舞われたのだ。
「アイルトンも気の毒だよなあ。こんな事になって……」
イアンはため息混じりにそう言った。彼はあの夜会の事件の調査を通じて、アイルトン・セーブルズ伯爵令息と意気投合し友人になったらしい。
その伝手でセーブルズ領が困窮している事や、アイルトン自身も婚約が破談になったという情報を得ていた。サミュエルはなんとか彼の妹の話がついでに聞きだせないかとイアンの話を聞いていた。夜会の事件以降、当然かもしれないがアマリア・セーブルズ伯爵令嬢は夜会に出なくなってしまったのだ。
「妹も気の毒だ……あの事件からそんなに経っていないのに」
「え、サム、まだ自分のせいだと思ってたのか。違うって言ったろ? それとも令嬢の嫉妬心を煽るほど自分がモテてるって言いたいわけ?」
「イアン、茶化すな」
「ははは、そんな顔するなよ。ちょうど閣下が支援金の制度をきちんと固めたところじゃないか。あの面倒くさい書類をきちんと書きさえすればセーブルズ領にはきっと災害支援金が下りるさ」
だがそんなに簡単には行かなかった。書類不備で支援金の要請は受理されなかったのだ。サミュエル自身も忙しさで書類不備を細かく添削できる程ひまではなかったし、添削したところで必ず支援が出来ると約束できる立場ではない。気を揉むうちにイアンからまたアイルトン経由の話を聞く。セーブルズ伯爵令嬢に裕福な中年男性の後添えになる話が来ていると。
「なんだと! それは彼女の望んだ結婚なのか!?」
「望んでたらアイルも俺に愚痴は言わないと思うけど……っておい、サム!?」
サミュエルは宰相の執務室に飛び込んだ。
「父上! お願いします。セーブルズ領に支援を……」
「何事だ」
サミュエルは彼女をこっそり見ていたことは伏せ、夜会の事件が自分の発言のせいだったかもしれないことのみを宰相に伝える。罪滅ぼしをしたいと聞いてドーム公爵は苦い顔で首を横に振った。
「……ダメだ。書類不備の時点で支援の検討に値しない。やっと支援制度が確立したのにここで私的な感情で例外を作れば今までの努力が無に帰す」
「では、せめて書類を揃えれば支援をできるという確約を」
そうしなければ彼女は縁談に応じてしまうかもしれない。サミュエルはあの気高い人に身売りのような真似をさせたくなかった。
「馬鹿を言うな。だいたい、その予算が残っているかも怪しいんだ。財務大臣が首を縦に振らないかもしれない」
「……それならば私個人の財産より支援金を一部補填します」
「ほう!」
宰相は目を丸くし、次の瞬間父親の顔になった。
「そんなまどろっこしいことをしなくても、お前がセーブルズ伯爵令嬢を娶り、直接領地を支援すればすむ話だろう」
「! ……違います。それは駄目なんです」
それでは彼女を無理やり手に入れる人間が中年男性から自分に置き換えられるだけだ。そんな卑怯な真似をする自分を、あの人が心から愛してくれる筈がない。
「これは罪滅ぼしだと言った筈です。彼女に負い目を感じさせることはしたくありません」
「お前、それは虫が良すぎるぞ」
父は苦笑いをした。












