42.(回想・サミュエル視点)彼は初恋の相手を見つめる
「……いや、待てよ」
サミュエルはふとひらめいた。
「これは使えるな。噂を否定せずに放置しておけば、寄ってくる女の数が減りそうだ」
「うわっ、サムってば腹黒。俺、これからお前の秘書になるの、不安なんだけど……」
親友はドン引きしているが、サミュエルは気にしない。これまで散々ルミナスは彼を顎で使ってきた(主にあれ取って、これやって……などのくだらないことで)のだ。ちょっとぐらいこっちも利用させて貰ったってバチは当たらない。
彼女は超絶ぐうたらの面倒くさがりやである。間違ってもサミュエルと結婚しようなどとは考えない。彼の母でありルミナスの叔母である公爵夫人はかなりの仕事を執事に丸投げしつつ、それでも忙しくしているのを知っているからだ。
多分彼女の事だから、裕福かつ忙しくない……ひがな一日ダラダラゴロゴロしても怒られないような生活を夢見て、理想の夫を(そんな男性がはたして貴族階級に居るかは甚だ疑問だが)探しているのだろう。
だが、そんな内情を知らない人間から見ればルミナスとサミュエルは完璧な美男美女だ。ルミナスが相手では敵わない……と勝手に身を引く女性も居るだろう、と彼は考えた。
◇
宰相である父は忙しかった。王家所有の地に宝石の鉱脈が発見され財政は大きく潤ったが、その分王家に金をせびろうとする者や国を乗っ取ろうと企む他国の脅威など、頭を悩ますことも増えたからだ。優秀な秘書が二人いるがそれでは間に合わず、執事のディケンズを引っ張り出す始末だった。
ディケンズは臨時の第三秘書兼、お茶等の雑用係兼、将来サミュエルの秘書となるイアンの教育係を担当している。イアンは小さい頃から知っている人間が自分の「師匠」になったことにホッとしているようだった。
「珍しく今日は順調だな。今のうちに昼を摂ってこい」
その日はたまたま父にそう言われた。忙し過ぎて昼食は食堂のテイクアウトが殆どだが、それもまともに摂れないことすらあるので本当にその日は珍しかったと思う。
「キューテック、君も行かないか?」
「サミュエル様、こちらはもう少し仕事を進めたいのでどうぞお先に」
イアンは親友ではなく部下の顔できちんと受け答えができるようになっていた。勿論、仕事が終われば「サム!」と気軽に呼んでくれるのだが。
「そうか、では」
サミュエルは一人で昼に出た。城内の食堂に行こうとしてふと足を止める。秘書の他に父の下で働く文官も当然何人もいるが、そのうちの一人が、以前城下のレストランをべた褒めしていたのを思い出したのだ。飯が旨く、値段も安くて、看板娘が可愛いと。
「そこに行ってみるか」
彼は看板娘には興味がないがテイクアウトのしすぎで食堂のメニューには飽きが来ていた。だからほんの思いつきでレストランに向かったのだ。その店の看板娘がレナという女性だった。
「いらっしゃいませ! あら、お客さん……」
麦わら色の髪を後ろでひとつに結び、元気に挨拶をしたレナがサミュエルの顔を見て何か言おうとする。彼は舌打ちをしそうになった。いつもそうだ。未婚の女は彼の顔を見てぽうっとするか、しなを作り媚を売ってくる。彼の中身を知らないのに見た目の美しさだけでそういう態度を取るのだ。きっとこの女もそうなのだろうと苦い気持ちになる。
「……見ない顔ね。初めてのお客様でしょう?」
「……え、ああ。そうだが?」
「やっぱり! 私記憶力が自慢なの! うちは鶏の肝の煮込みが名物よ。是非食べていってね!」
レナは明るくそう言うとサミュエルに席とメニューをすすめ、さっと離れてしまった。
「え……」
拍子抜けしたサミュエルは、そのまま彼女を目で追う。レナはどのお客にも愛想よく、サミュエルにしたのと同じように接していた。くるくると変わる表情に大きな瞳、明るい挨拶が彼に強く印象を残した。
◇
「つまり、そのレナちゃんって娘に惚れたわけだ?」
イアンにそう言われ、サミュエルは一気にしどろもどろになる。
「いやっ、まだそうと決まったわけではっ……」
宰相の補佐の仕事に忙殺され、あれから一月の間に二度しかレストランには行けていない。その二回ともレナはサミュエルの事をちゃんと覚えていて、なおかつ彼に媚を売ることもしなかった。ただ明るく「今日はこれがおすすめよ!」とか「こないだ食べた芋料理を気に入ってたでしょ?」といった何気ない会話を少しするだけ。けれどもサミュエルにはその何気ない会話が新鮮で、そしてとても嬉しかった。
「ふーん、俺もその娘に会ってみたいな。今からその店で夕飯を食べないか?」
「ああ、勿論いいさ」
久しぶりに「今日はもう帰っていいぞ」と父に言われ、比較的早めに仕事を終えられたサミュエルとイアンはそのままレナの働くレストランに向かった。
「いらっしゃいませ! ……あ、ドームさん、お友達を連れてきてくれたんですか?」
「ああ、友人のイアンだ」
「初めまして。こちらの煮込み料理が最高に旨いと彼から聞いたので、是非食べてみたいと思いましてね」
レナは大きな目を輝かせた。
「えっ嬉しい! ドームさん、お店を宣伝してくれてありがとうございます!」
サミュエルの胸がとくんと弾む。今、彼は美貌や愛想以外で彼女を笑顔に出来たのだ。それがどれだけ嬉しかったか、例えようもない。
(もっと彼女を喜ばせたい……)
レナを見るサミュエルの中に温かい気持ちが生まれ、勝手に顔がほころぶ。きびきびと働く彼女を目で追っていると、横からイアンがぽつりと言った。
「……俺、お前のそんな顔、初めて見た」
「え!? 何がだ?」
「今、デレデレしていたけど自分で気づいてる?」
「デレデレ……」
今までは女性に対して氷の態度だった彼の頬に血がのぼる。サミュエルが淡い恋心を自覚した瞬間だった。
◇
それからもサミュエルの毎日は忙しく、なかなかレナに会えない日が続いた。
国が豊かになり王家が各領主から取り立てる税率を緩め、また災害に遭った地域に密かに支援などをした結果、どうやら領主である貴族達が堕落し始めたのでは? と思われる状況になったのだ。その調査などもあり、以前よりもさらに仕事量は増えた。
社交に費やす時間も減ったが、それでもどうしてもパーティーに出なければならない時もある。その一つが王家主宰の国王陛下の誕生日を祝う夜会だ。この日は国中の貴族が集められる。
その日、彼はルミナスをエスコートして夜会に参加した。内心嫌々だったが例の噂を利用し、寄り付く女性を少しでも減らしたいという打算もあった。
「はあ……完璧なカップルね」
「美男美女の見本だな」
あちこちからそんな声が聞こえて彼は内心でニヤリと笑った。それでもルミナスが彼のそばを離れると、諦めずに寄ってくる女性が何人もいる。サミュエルはうんざりし、姦しく話しかけてくる彼女らから視線を外した。すると、遠く離れた場所にいたひとりの女性にアイスブルーの瞳が釘付けになる。
麦わら色の髪の毛をアップにし、黄緑色の宝石の髪飾りを身につけたレナは、そのまま遠くからサミュエルに向かってにこりと微笑んだ。












