40.彼の謝罪「は」受け入れる
◇
「違ぇよ。俺の敗因は」
後に、エドガーは尋問の場で不貞腐れてこう言ったらしい。
「アマリアに手を出そうとしてクビになった元文官のせいだ」
エドガーは流刑地の離島でも美貌と口の上手さを使い、かなりの影響力を獲ていた。離島の囚人達の協力を得て脱獄をし、泳いでこの地に戻ってきたのだそうだ。普通は溺れて死ぬ程の距離と荒れる波を泳ぎきったのは、ひとえにサミュエルへの逆恨みの一念の成せる業だったらしい。
そして同じようにサミュエルへ逆恨みをする人間を探し、徐々に仲間にしていった。『浄化』の処罰を受けた者、リバワーム伯爵親子、そして中庭でアマリアに投げ飛ばされた男。
あの男はアマリアの知らないところでサミュエルとキューテックに詰問され、停職処分を受けていた。「よりによって城内で女を無理やり襲おうとするとは」と職場の同僚や上司にも知られ、居づらくなって辞めたそうだ。だが、投げ飛ばされたことは公にならなかった。
そう。サミュエルはアマリアの為に、男は自分のプライドの為に、護身術の事を伏せていたのだ。そしてあの男は、復讐を考えるエドガーの仲間になっても、やはり一生ものの恥を晒すことはしなかった。
「あいつがアマリアに手を出そうとして失敗したときの事を妙にボカして喋るから、なんか変だなとは思ってたんだ。まさか彼女にあんな特技があるなんてさ。ちくしょう。それを知ってればさっさとナイフを胸に突き立てていたのに」
◇
「う……」
ゆっくりと目を開けると、見慣れない天井が目に入る。ここはどこだろうと考える間もなく、その視界にぬっとピンクブロンドの可愛い顔が入り込んだ。
「アマリア! 気がついた!?」
「エミュナ……?」
そこではじめてアマリアは、気を失ったのだと思い出した。周りを眺め、自分が寝かされていた長椅子や周りの調度品等から、恐らく先ほど通された公爵邸の談話室に運ばれたのだとあたりをつける。
「パーティーは……?」
「勿論お開きになったわよ。あんなことがあったんだもの」
「閣下、は? ご無事なの?」
アマリアはパーティーの招待客が彼の事を悪く思っていないか、それだけが心配で訊いたのだが言葉が足りなかった。エミュナは求めたものとは違う答えを返す。
「今、アマリアが目を覚ましたからディケンズさんが呼びに行ったわ」
「えっ」
アマリアは途端に真っ赤になり、長椅子から飛び起きた。
「わ、私帰るわ」
「えっ、アマリアどうして」
「だって無理だもの!」
そう言っている間にも先程の騒ぎが彼女の脳内に呼び覚まされる。優しくて、でもどこか切なげに見つめてくるサミュエルの顔。甘く愛を囁いてくる彼の声や息遣い。それらがリアルに思い出され、アマリアの心臓がまたバクバクと鼓動を刻む。
「無理って……待ってよアマリア!」
エミュナを振りきり、ハンドバッグを手にとって出口に近寄った瞬間、その扉がガチャリと開かれた。
「セーブルズ様、気付けにこちらのお飲み物をどうぞ」
お茶を乗せた盆を持ち、ディケンズがニコニコと出口を塞ぐように立っている。その後ろには俯き加減の、この屋敷の主の姿があった。
「あ、あの、私これで失礼します」
「まあまあそう言わずに。これを飲んでからでも遅くないでしょう」
老執事は大変にこやかで愛想がよいが、有無を言わせない押しの強さを見せる。アマリアがしぶしぶ長椅子に戻ると温かい紅茶が目の前に置かれた。紅茶に混じってふんわりと芳醇な香りが立ちのぼる。多分数滴ブランデーを垂らしてあるのだろう。
彼女はこれを飲んだらさっさと帰ろうと口をつける。紅茶は素晴らしく美味しく、彼女はバクバクと激しく高鳴っていた心臓を少し落ち着かせることができた。その間に、テーブルを挟んで向かいにサミュエルが腰かける。
「……セーブルズ、すまなかった……」
彼は両手を膝に置き、明らかに気落ちした声で俯きがちのままそう言った。アマリアは思う。彼はなにを謝罪しているのだろう。手を離してくれなかったこと? やめてと言っても愛の言葉をやめてくれなかったこと?
まさか、あの告白が全て周りを欺くための嘘だったという謝罪だろうか。……まあ、恐らくそれは無いだろうけれども。あれが演技だったのなら彼はエドガーを越え、超一流の舞台俳優になれるだろう。
「何がですか?」
アマリアが訊ねると、彼は俯き気味の顔を少し赤らめた。
「……あの、君がやめてくれと言っていたのに、しつこく何度もあんなことを言ってしまって……あの時はちょっと頭に血が昇っていたんだ。すまなかった……」
「……謝罪は受け入れます」
「感謝する。……あの」
「なんでしょう」
「謝罪、だけか?」
「は」
アマリアの心臓がまたドキリと跳ねた。サミュエルが俯いていた顔をあげ、恋の苦しさを浮かべながら彼女を見つめてくる。その美しさに以前の彼女ならきゃああと叫んでいたかもしれない。でも今、アマリアの心を占めていたのは別の感情だった。
(……ずるい)
サミュエルは謝罪以外は受け入れてくれないのか、と訊いたのだ。
(そんな言い方って)
「ズルいですな」
アマリアの心を代弁するかのように、宰相閣下の後ろから声がした。
「今の発言は男として卑怯でございますよ、サミュエル坊っちゃま」
「爺!」
振り返ったサミュエルに向かい、執事はにっこりと、しかし先程アマリアにお茶を薦めた時と同じく有無を言わせぬ雰囲気を漂わせて言った。
「ご自分でもわかっていらっしゃるでしょう? その言い方は良くないと」
「だ、だがな、ハッキリと言ってしまったらセーブルズだって断りづらいじゃないか!」
「勿論上司としてや公爵家の力でセーブルズ様に圧力をかけるなどは言語道断です。ですが、ここはひとりの男性として純粋に愛の告白をするべきです。それで断られたらその時はその時ですよ」
「いや、だが……」
まだうじうじと躊躇うサミュエルの言葉に割り込む笑い声がある。
「あははは! 師匠、そのくらいにしてあげて下さいよ。サムはさっきのあれが人生で初めての告白だったんですよ?」
キューテックがいつの間にか談話室に入ってきていた。
「セーブルズさん、園遊会の時にも言いましたっけ? サムはね、良く言えば慎重で堅実。悪く言えば臆病で卑怯な男なんですよ」
「イアン!」
「さっきの大暴走は、貴女の朱くなった顔に興奮したのと、早くしないと他の誰かに奪われるかもと本気で焦ったから出ただけで、所謂火事場の馬鹿力みたいなものですよ。普段はあんなことを人一倍色々考えてしまうクセに口にはできないんです!」
「イアン! 黙ってくれ!」
「いいや黙らないぞ。ついでに誤解がないように全部吐き出しちまえよ。レナ嬢の事とかさ」
「!」
呆気に取られて彼らのやり取りを見ていたアマリアは、そこではっとした。さっきエドガーが「宰相がレナという女を使い、俺を罠に嵌めた」と言った時に、サミュエルは酷く青ざめて動揺していた。今の彼は青ざめてこそ居ないが、ごちりと固まっている。
その固まった身体がギギギと音がしそうな動きでキューテックからアマリアの方に向けられる。美しい顔が情けない表情で歪んでいた。
「……」
「……」
少しして、彼はふーっと息を吐き、神妙な顔になる。
「そうだな……これは言っておかないと。妙に誤解されても困る」
アマリアは膝に置いていた手をきゅっと拳にする。エドガーの言った事はきっとデタラメだ。けれどもレナという人物は宝石偽造に関わっていると聞いた。サミュエルとその人はどんな関係があるのだろう。
「レナと言う女性は……いや、その名は偽名だろうが……多分……」
サミュエルは煮え切らない言い方をしていたが、最後に目をつぶって言った。
「多分、俺の初恋の相手だ!」












