4.あっという間に範囲を狭められそうになる
さて。宰相と第一秘書が戻ってきてから、彼等はいつもの倍速で仕事を片付けているようだった。だがそれでも他国との連絡事項や、王家の持つ宝石鉱山や研磨職人についての確認、財務大臣との連携などなど、仕事は有り余るほど残っている。あっという間に午後の時間は過ぎて行き、三人はお茶を淹れて軽い休憩を取る事にした。
「はあ……美味しいです」
紅茶を口に含んだアマリアは思わず声を漏らす。キューテックの淹れるお茶は絶品である。彼は「コツは茶葉の量と蒸らす時間をキッチリ計るだけですよ」と言うが、アマリアが真似をしても何か一味違うのだ。
「本当だな。イアン、いつもありがとう」
「いいや、これくらいでサムが元気になるならお安いものさ」
休憩時間とあって、元来は友人同士である宰相と秘書は互いのファーストネームを呼び合い気さくな雰囲気を醸し出している。
「ところでイアン。さっきの件だが、調査を誰に頼むべきか。勿論個人的なことだから報酬は自分で払うが……適任が思いつかない」
「そうだな。女性の事は女性に訊くのがやはり一番かと思うが……」
二人はそう言いながら視線をアマリアに集める。
「?」
アマリアが首を傾げる前にサミュエルは自分で否定した。
「いや、ダメだ。唯でさえセーブルズには普段から多くの仕事を処理してもらっているのに、貴重な余暇まで頼るわけには」
「それはそうだ」
「何の話ですか?」
アマリアの問いに、キューテックはにこりと返した。
「ああ、サムの想い人を探すために、誰かに調査を依頼しようという話ですよ」
「えっ」
サミュエルがキラキラとした微笑みを振り撒きながら言う。
「俺が自分で彼女を探すのが筋なのは重々承知している。……いや、許されるなら俺自身で彼女を探したいんだが、なにぶん仕事を放り出すわけにも行かないのでね」
キラキラを直視しないようにしながら、アマリアは上司に訊ねた。
「閣下、その、想い人というのは……やはり、今日の中庭の……?」
「ああ、あの素晴らしい声の持ち主だ」
「はあ、そうですか」
再び、アマリアの身体に緊張が満ちる。自分の事がバレてしまわないかと考え、彼女の心臓の鼓動は確実に早くなっていた。彼女はそれを察されまいとまた変な作り笑いをする。
「では、閣下がその方を探す時間が少しでも増えるよう、私は仕事を今以上に片付けないといけないですね」
「……ああ、ありがとう」
一瞬、執務室が妙な静寂に包まれたが、すぐにキューテックの声によってそれは取り除かれた。
「で、サム。かの女性は恐らく城内に勤めていると考えて良いだろう」
「そうだな。城内への客人が、あの寂れた中庭にたまたま入り込んだとも考えにくい」
「昼時の食堂は戦場のようだから、食堂の料理人や給仕係は休む暇もないはずだ。除外していいんじゃないか?」
「イアン、君の言う通りだ。となると、王宮の女官や下働きのメイドが昼休みの息抜きであそこに居たと考えるのが自然かな……」
「ううん? 女官やメイド達は、一人ではなく連れだって昼を摂っているイメージだけどな。あの時、女性の声は一人だけだったんだろう?」
「ふむ……となると対象はかなり絞れるか? 城内勤めで、一人で昼食を摂るような女性……つまり男性が多い職場だろう。だが食堂以外でそのような職場となると騎士団に属する女性騎士か、あるいは……」
「あ、あ……」
あっという間に声の持ち主の範囲をせばめていくサミュエルとキューテックに、アマリアはひどく慌てた。そのあまり思わず声を漏らしてしまう。二人は再び彼女の方を向いた。
「セーブルズ、何か?」
「あ、あの、あの……その考えは必ずしも正しくないのでは!」
「えっ」
「確かに、一人でお昼ご飯を摂りたがる女性は少ないですが、少ないだけで皆無ではありません。特に王宮勤めならば基本的に職務は時間交代制でしょうから、昼の時間を共にする相手が居ないというのもよくある話かと!」
立て板に水の勢いで一気に語るアマリア。彼女の話を聞いた宰相は目に見えてがっかりと気落ちした。
「ああ、そうか……」
「セーブルズさん、ありがとうございます。とても参考になりました。やはり女性の事は女性に訊いた方が良いようですね」
「あ、いえ、そんな……」
キューテックに言われ、アマリアは気まずくなる。自分だとバレないようにする為とはいえ、礼まで言われてしまうとなんとなく罪悪感が湧くというものだ。
「サム、やはり女官長に相談してみよう」
「うむ。だがあの女官長が勤めている女性たちの情報をぺらぺらと喋るとは思えないぞ」
「ああ、なんとかならないか……」
アマリアはそれ以上サミュエルとキューテックの会話内容を聞かないようにして紅茶を飲み干し、仕事に戻って溜まった書類をバリバリ片付け始めた。
◆
仕事に集中したお陰で彼女に割り振られていた書類は大分減った。ふと部屋が陰り始めた事に気づいて窓の外に目をやると、太陽は空を赤く染め、遠方の山の向こうへ沈みかけている。アマリアはオイルランプに火を灯した。
「ああ、セーブルズ、ありがとう。今日はもう帰って良いぞ」
「え……」
しかしキューテックの机の上には未処理の書類がまだ少し残っているし、サミュエルも仕事が終わらないようだ。明日の宰相の予定を思い浮かべ、今日のうちにこれを終らせないと厳しいのでは、とアマリアは思った。
「宜しければ何かお手伝いを致しますが」
「いや、大丈夫。自分で片付けられるさ」
「でも……」
上司に断られ、先輩の方を見ると第一秘書は苦笑する。
「僕も大丈夫ですよ。お気遣いありがとう、セーブルズさん」
「はい……」
自分では二人の役に立てないのか? とアマリアが少しだけ悔しく悲しい気持ちになったのを悟られたのか、それとも別の理由か。キューテックは遂にくすくすと笑いだす。
「それにほら、執務室の扉越しでもわかる程、足音が聞こえてきたでしょう?」
確かに体格の良い男が大股でどっかどっかと歩いているとおぼしき足音が聞こえ、その後すぐに力強く扉がノックされた。
「失礼します! 騎士団第三隊所属アイルトン・セーブルズです! 妹を迎えに来ました!」
「え?」
第一秘書が「やあ、アイル」と言いながら招き入れたのはアマリアの二番目の兄、アイルトンだった。彼は友人であるキューテックに「よっ」と軽い挨拶をしながら、黒い騎士服に包んだ大きい身体を揺すり、大股で靴音を立てて入ってくる。宰相閣下に敬礼をした後、くるりとアマリアに向き直った。
「アマリア! 仕事は終わったか? 帰るぞ!」
「アイル兄様……何故」
「ほら、とっとと荷物をまとめろ!」
兄に急き立てられ、アマリアは戸惑いつつも宰相と先輩に暇の挨拶をして執務室を出る。
「アイル兄様、今夜何かあるの?」
「ん? いや、ないが。俺と一緒に帰るのは嫌か?」
「別に嫌じゃないけど珍しいなって」
アイルトンも近衛騎士として王城内での武官勤めではあるが、元々文官とはあまり接触のない仕事でもあるし、仕事が終われば騎士仲間と城下へ飲みに繰り出す事もしばしばある為、普段は一緒に帰る事もない。
「いや、ちょっと確認したいことがあってだな……ん?」
兄の言葉がふっと途切れたので、彼がじっと見つめる方向をアマリアも見た。すると、とある男と視線がかち合う。男は途端にびくりと身を固くし、青い顔でそそくさと逃げるように去っていった。
「あいつ、なんだ? お前の事を見てたようだけど。知り合いか?」
「え、いいえ! 名前も知らない人よ!」
アマリアは慌てて強く否定した。嘘は言ってない。彼の名前も知らないのも本当。……ただ、今日、投げ飛ばした相手だと言うだけだ。
「ふーん、まあいいけどさ。何かあったら俺に言えよ」
「何かって?」
「何かは何かだろ」
「……?」
兄の言葉の意味を良く呑み込めないアマリア。だがしかし一つだけわかっていることがある。
もしも今日の昼間の出来事を正直に兄に伝えれば、きっとあの男は八つ裂きにされるだろう。それはあの男は勿論、アイルトンの武官としての立場や、アマリアの立場も今以上に悪くなる。全員が不幸になるだけだと思い、彼女はあの出来事を記憶の彼方に押しやった。












