37.彼が復讐の為に宰相閣下を貶める
「閣下、お誕生日おめでとうございます。是非こちらをお受取りくださいませ」
面を伏せた女性が緑の目を持つ美男を引き連れ、サミュエルに近づく。
「閣下……!」
アマリアは女性のそばにいる美男……エドガーを見た瞬間から、恐らく冷静ではいられなかったのだろう。判断を誤った。
即座にキューテックに合図をするべきだったのに咄嗟にサミュエルの背中に駆け寄ろうとしたのだ。だが人の輪に囲まれた彼までは距離がある。
「ああ、ありがとう。贈り物はあとで受け取らせて貰う」
「そう仰らずに」
女はハンドバッグからきらりと光るものを取りだし、即座にサミュエルに突きつけようとした。
「閣下!!」
アマリアは届かぬとわかっていても思わず彼の背に手をのばす。その手を掴もうとする手が横から現れた。
「!」
「っ!」
ふたつの出来事はほぼ同時に起き、そしていずれも間一髪で避けられた。サミュエルはギリギリで凶刃をかわす。人の輪に潜み、アマリアを捕まえようと狙っていた男はアイルトンの体当たりによってよろめき、大きな腹を揺らして転んだ。
「きゃああああ!!」
「うわぁ! ひいい!」
突然の事態に周りの招待客たちは悲鳴を上げ、一斉に逃げ出した。サミュエルとアマリア、アイルトン、そして招かれざる客たちを残して。
「君は……!」
サミュエルは手にナイフを持ち襲いかかった女の顔を見て目を見張る。鬘を着け、あの趣味の悪いドレスとは全く違う服を着て変装していたが、その顔は知っている人物だ。
「そうですとも! 麗しきドーム公爵閣下、覚えておいででしょう? 貴方に憧れる女心を利用して公の場におびき寄せ、皆の前で恥をかかせて切り捨てた、哀れな哀れなカメロン・リバワーム伯爵令嬢です!!」
エドガーが片手をあげて高らかに宣言する。まるで舞台の演目のように。カメロンがアマリアに気づき、今度は彼女に向かって刃をふるおうとする。
「セーブルズ!」
そこにサミュエルが割り込んだ。ナイフの切っ先が彼の腕をかすめる。
「うっ!」
「閣下!」
キューテックが飛び出してきてカメロンの手を叩く。たまらず彼女がナイフを取り落としたところを見て、キューテックが素早く捕まえる。
「誰か! 早く警備の者を!」
しかしそれに応える兵は居ない。ミシェルの安全のためにディケンズと何人かの護衛をつけ、手薄になったタイミングを狙われたのだ。更に刃傷沙汰が起きたことで慌てて逃げようとする客で出入口はごった返し、他の警備兵も中々入ってこれない。
やむを得ず会場内に居た男性使用人が数人集まってきて、アイルトンが抑えていたリバワーム伯爵とキューテックが捕まえていたカメロンを拘束する。
アマリアはサミュエルに駆け寄り怪我を確認した。腕は礼服とシャツを切り裂かれ、その下の肌を浅く傷つけ血が薄く滲んでいる。そこに嘲るようなエドガーの声が降りかかってきた。
「ははぁ、愛人をかばうか。これで益々周りの目や彼女を騙せるって訳だ」
彼はいつの間にかカメロンが落としたナイフを拾っている。アイルトンやキューテックがじりじりと距離を詰めるが余裕の表情だ。アマリアはエドガーに向かって叫ぶ。
「違うわ! 私は閣下の愛人じゃない!」
「アマリア~、お前は騙されてるんだよ。閣下は独身だから、今は秘密の恋人だけれどいずれ結婚するとでも言われているんだろう? 実際は愛人扱いさ。だって宰相閣下は中庭に居た美しい声の姫君とやらを探しているそうじゃないか?」
「それは! ……」
アマリアが本当の事を言えずに言葉を詰めると、エドガーはニヤリとして周りに吹聴を始めた。
「皆々様、お聞きください。このセーブルズ伯爵令嬢は元は俺の愛しい婚約者でありました。それをこの宰相閣下がレナという女を使い、俺を罠に嵌めて宝石偽造の冤罪を着せたのです!」
「!!」
逃げ腰で遠くから見ていた招待客たちが一気にざわめく。
「なんですって!?」
アマリアの横に居たサミュエルの顔が「レナ」と言う言葉を聞いた瞬間、酷く青ざめた。彼女は彼のこんな顔を見たことがなかった。公人としての宰相の時も、私人としての昼休みの時も。エドガーは話を続ける。実に哀れっぽい口調で。
「俺は反論の余地を許されず、即座にセーブルズ伯爵令嬢との婚約を解消され、偽りの『浄化』の処罰を受けました。この度その疑いを晴らし、やっと流刑の地より戻ってきてみれば、なんということでしょう。愛する元婚約者はその宰相閣下に愛人として囲われていたのです」
「え……!?」
「表向きは秘書として雇われていますが、確かにそう証言する男性に俺は出会いました。その男性は閣下と秘書の秘密を知ってしまった為に宰相閣下に脅され、城勤めを解雇されたのです!」
「そんなバカな……!?」
招待客たちはバカな、と言いながらも彼の声に耳を貸している。そう、エドガーは昔から人の耳目を集め、その心に入り込み己の言葉を聞かせるのが得意だった!
「そして宰相閣下は彼女を立派な女性だと周りに認めさせるために、比較対照としてリバワーム伯爵令嬢を園遊会で利用し貶めた。そこまでされればセーブルズ伯爵令嬢も自分が本命だと騙されてしまうでしょう。だが実際にはこのパーティーで花嫁探しですよ!」
どよめきが一層大きくなる。サミュエルは青ざめたままでアマリアに向かい小さく「違う……」と呟くが、彼女以外に誰もその声は届いていない。
「違う、違うんだセーブルズ……」
「これが恐るべき氷の貴公子、ドーム公爵閣下の本性! 貴族階級の『堕落』を戒める立場でありながら、ご自身が一番腐っている。そして俺やリバワーム伯爵、城勤めをしていた人間など、無実の人間を次々と陥れたのだ!!」
「でたらめを言うな! 閣下はそんな人間ではない!」
キューテックが抗議したがエドガーはニヤリと一瞥をくれただけだった。
「では、でたらめではない証拠に。今俺はここで」
彼はナイフを持つ手を突然くるりと返し、自分の胸に向ける。
「抗議の印として自らの命を散らせましょう。愛する人を奪われた俺には、もうこれしか残っていないのだから」
美しい顔を悲壮感で歪め、ナイフの切っ先を今にも胸に突き立てようとする姿はやはり舞台のようで、目が離せない求心力があった。息を呑み、そしてエドガーの迫真の演技に呑まれた人々が、徐々にサミュエルを白い目で見始める。そのサミュエルの傍らに居たアマリアがふらりと離れた。
「……エドガー」
「セーブルズ! 待ってくれ……」
サミュエルが引き留めようとするが、アマリアはその手を振りほどきエドガーに歩み寄る。
「アマリア!」
彼は微笑み、ナイフを自らの胸に向けたまま、空いている左手で彼女を迎える。さながら、悲劇の主人公と運命に弄ばれたヒロインの図だ。
「さっき愛する人を奪われたと言ったわね。それは私のこと?」
「ああ、勿論だよアマリア。俺は君をちゃんと愛していたし今でも愛している。レナのことは宰相の罠だったんだ」
「……そう。私、そのレナって人は知らないけど」
「え?」
アマリアはナイフを持つ彼の手を優しく握ると、胸から外させた。このままでは危ないから。
「私のことを愛していたならわかる筈よ」
「ああ、君のことなら何でも……」
エドガーの甘い言葉をアマリアは最後まで待たなかった。ナイフを持つ彼の右手首を左手で握り、右手は彼の襟元を掴む。素早く身体を反転させ、彼に背中を密着させた。
「えーい! どっせい!!」
彼女が足を跳ね上げるとロイヤルブルーのドレスが大きく広がりエドガーの身体が宙を舞う。公爵邸のボールルームにドン! と大きな音が響いた。床に倒され何が起きたかわからずに目を丸くするエドガーを見下ろし、アマリアはこう言った。
「私は閣下の愛人でも恋人でもないわ! 私が誰かと秘密裏に付き合う女だと思ってる時点で、私のことを全くわかってないじゃないの!!」












