36.彼女の身体に緊張がはしる
「サミュエル様、大旦那様と奥様がいらっしゃいました」
ディケンズの言葉と共に現れたのはサミュエルの両親。アマリアは秘書として紹介された。
「やあ、不肖の息子をよく手伝ってくれているとキューテックから聞いているよ」
「恐れ入ります。3年前は大変お世話になりました」
「ああ、洪水の件か。あれは揉めに揉めたなぁ。サムに妃殿下までがやいのやいのと言ってきて」
前ドーム公爵は頑固一徹を絵に描いたような風貌だったが、意外と朗らかで怖い感じはしない。息子の誕生日だからか、それとも横にいた夫人のお陰だからか。サミュエルの母である前公爵夫人はルミナスの叔母だけあって、年齢を重ねても容色が衰えることはなく美しい人だった。
「うふふ。はじめまして」
「はじめまして、アマリア・セーブルズと申します……」
「? どうかした?」
「あ! いえ、その。あんまりお美しいので」
うっかりポーッと見惚れてしまったアマリアは恥ずかしさにもじもじして俯くと、夫人はころころと笑った。
「まあ! こんなに可愛らしいお嬢さんにそんなことをいわれるなんて、私もまだまだ捨てたものじゃないわねぇ」
「いえ、可愛らしいなんて、私そんなんじゃ」
「あらやだ。本当に可愛いわ。ねぇサム、この子私にくれない?」
「!?」
「母上、ふざけないでください……セーブルズが困ってます」
「もう~サムったら冗談がわからないんだから。つまんない子!」
サミュエルは周りを凍りつかせるような厳めしい表情をしているが、同じ銀の髪と美貌を持つ実の母親はそれをさらりと流し、変わらずころころと笑っている。振り回されたアマリアは朱い顔のまま、ぱちぱちと瞬きするのだった。
「サミュエル様、そろそろお客様をお通ししましょうか」
「うむ、頼む」
執事と公爵閣下の言葉を合図に使用人全員の緊張感がぴりっと増し、そのうち何人かが奥に消えた。やがて談話室にて待機していた招待客たちがボールルームに入ってきた。
皆がサミュエルめがけて一直線にやって来ては挨拶と共に誕生日を祝う言葉を口にする。秘書二人はその後ろでディケンズと共に控えていた。アマリアからは宰相閣下の後ろ姿しか殆ど見えないが、彼はいつもより少し愛想良く招待客の対応をしているようだった。
「閣下、おめでとうございます」
アイルトンとエミュナもやって来た。胸に月とアクアマリンのブローチを留めている。着飾ったエミュナはやはり目を引く可憐さで、兄と居ると美女と野獣な感じだ。
「ちょっとアマリア! 何故眼鏡をかけてるの!?」
その美女はぷりぷりとしてアマリアの眼鏡を強引に取りあげ、ハンドバッグにしまった。
「これはパーティーが終わるまで私が預かっておくわ。でないとミシェル様に怒られちゃうんだから」
「え?」
「ミシェル妃殿下、ならびにグレイフィールド公爵のお越しです!」
その時、入り口に控えている警護兵から発せられた声が響いた。会場の空気が一瞬緊張感に支配され、皆が入り口の女性に向かって軽く頭を垂れる。
第三王子妃殿下は父親にエスコートされて華やかに登場した。夕陽色の髪を持つ親子が歩くと向かう先で人の波が割れる。自然とサミュエルまでの一本の道が出来上がった。
「こんばんは。一応おめでとうと言っておくわ」
「妃殿下、本日はお忙しい中、お足をお運びいただき、心より感謝致します」
「ほんとに感謝してね」
ミシェルはくすりと笑うと、彼女はそのままアマリアの方へ来た。
「アマリア、ちゃんと例の店でドレスを仕立てたのね? なかなか良いわよ、それ」
「ありがとうございます」
「それに、あの変な眼鏡をかけてなくて良かったわ。こんな場でかけてたら取り上げて壊してしまうところよ」
「えっ!?」
思わずエミュナをちらりと見ると、彼女はウインクをした。危機一髪だったのだ。
「それにしても……まあすごい人気だこと。あんな男のどこが良いのかしら」
ミシェルは宰相の方に一瞥をくれてから呆れたように言った。王子妃が離れたことで、彼の周りには再び人が集まっている。キューテックが「招待状をバラまき過ぎた」と言った通り、本来なら公爵閣下に近づけない身分の者までいるようだ。
「まあ陰険で冷徹は言いすぎたかもしれないけど、顔が良いだけで卑怯で情けない男だと思うわ。アマリアもそう思わなくて?」
「え? わ、私は」
アマリアは目を伏せた。なんだか今日は変だ。さっきイヤリングを着けて貰おうとしたせいか、真顔になれず頬に血がのぼってしまう。
「仕事の時は確かに冷淡なところもあるかもしれないですが……本当は優しいと思います。親しみやすいところもありますし」
「ふぅん」
ミシェルの声に面白くなさそうな色が混じる。
「でもわたくしはまだ認めていないわ。アマリア、貴女いつでもあの男の秘書を辞めて良いのよ。わたくしの傍で働くなら同じお給金は出してあげるから」
「え、そんな」
あせるアマリアを見て、ミシェルはふふふと笑った。
「恐れながら申し上げます。妃殿下、別のお部屋を御用意致しましたのでそちらにお移り頂けますでしょうか」
いつの間にかディケンズが警備兵を連れ、側に来ていた。ミシェルは眉をしかめる。
「嫌よ。そんなのつまらないもの。アマリアも一緒なら良いけれど、それは無理なんでしょう?」
「念のため、旦那様はそうされたいお気持ちも有るようですが……セーブルズ様まで居なくなられては些か不都合がございまして」
「ふぅん……じゃあ帰るわ。王族が宰相のパーティーに顔を出したのだから充分でしょう? お父様は置いていってあげる」
「恐れ入ります。ではご案内を」
ディケンズと警備兵はミシェルと共に別の出口に向かっていった。アマリアはキューテックに小さな声で訊ねる。
「なにかあったんですか?」
「ああ、大したことはありませんよ。コレを着けていない人間が使用人のふりをして紛れ込もうとしてました」
キューテックは「コレ」と言った時にカフスを指差した。
「まあ、サムくらいの人間になると女性に狙われ男性には恨みを買ってますからね。これぐらいの事は想定内ですが、万が一にも妃殿下の御身に何かあってはいけませんので」
念のためミシェルを別の部屋に避難させておこうとしたが、彼女はそれを理解した上で「帰る」という選択肢を取ったわけである。せっかくのパーティーなのに身分が高い人は窮屈で大変だ。でも確かにミシェルの身に万が一があってはサミュエルの責任になってしまうから仕方ないとアマリアは考えた。
……暫くして、彼女はある人物を見た時にその判断は賢明だったと思いなおした。ひとりの婦人をエスコートして入ってきた男性はすらりと伸びた肢体と、整った顔立ちを持ち、サミュエル程ではないがその美しさで幾人かの女性が見惚れている。
「何故……」
アマリアは見間違いだと思った。彼は流刑を受けている筈だから。が、アイルトンもその男性に気づいて一気に厳しい顔になった。やはり見間違いではないのだ。あの明るい栗色の髪と、橄欖石に似た瞳は。
彼女の身体に、一気に緊張が走った。












