35.「今度は」ちゃんと守る?
アクアマリン。その名の通り、透き通った海の水を閉じ込めたような水色。アイスブルーのサミュエルの瞳の色によく似た宝石だ。
それをサミュエルから贈られ、身につけると言うことは。
「ダメです! こんな高価なもの!」
アマリアは即座にきっぱりと断ったが、帰ってきたのは意外な答えだった。
「いや、大して高価ではないんだが……?」
「え?」
改めてイヤリングを見る。アクアマリンは彼女の薬指の爪くらいの大きさで、地金は白金の三日月形の意匠だ。そこに小粒のダイヤモンドが数粒あしらわれている。これが一対……つまり二個もある。
(これが大して高価ではないって言うの……?)
「今日、俺の味方の人物は皆これを着ける手筈になっている」
「皆?」
「ああ、ほら」
そう言ってサミュエルは執事の方を見た。にこりと微笑んだディケンズの胸元に同じデザインの宝石のピンブローチが輝いている。
「イアンも同じカフスを着けているので、君も」
「……」
つまり、何人かに……もしかすると大勢の人間に用意しているということだ。ならば確かに大して高価ではないと言いきれるだろう。伯爵家では想像もつかない公爵家の財力にアマリアはくらくらした。
「……わかりました」
箱を受け取り、耳に着けようとするが、緊張やらくらくらするやらで指先が震えて上手くつけられない。この部屋に鏡がないこともあって意外と難しい。
「坊っ……サミュエル様、セーブルズ様にイヤリングをつけて差し上げたらどうでしょうか?」
「ひぇっ?」
ディケンズの提案にアマリアは飛び上がりそうになった。だがその彼女の反応に、サミュエルが目に見えてしょんぼりする。
「い、嫌か……そうか」
「あ、あ、ああ……」
これから始まるパーティーの主役にこんな顔をさせるのはとてつもなくまずい気がして、アマリアは覚悟を決め、イヤリングを手渡した。
「もっ問題ありません! 閣下、お願い致しますっ!」
(うわあああ言っちゃった! つ、着けて貰うなんて恥ずかしい……)
言ったそばから後悔の気持ちが湧きあがるが、明らかにホッとする彼の顔を見ると取り消しも出来ない。
「では、失礼する」
「ど、どうぞ」
「あ、一度眼鏡を外して貰っても良いか? 着けるときに邪魔になりそうだ」
「あ、はい」
言われるまま眼鏡を外した彼女にサミュエルが歩み寄る。その瞬間、彼女は尚更後悔した。
(ち、近い近い近い!)
今までにないくらい彼との距離が近づいている。手を握る練習でもこんなに顔が近くなったことはない。完璧な美形のお顔が至近距離で真剣に見つめてくる。
(だめ! 刺激が強すぎるッ!!)
アマリアは耐えられずに目を閉じた。しかし目からの刺激は無くなったが、視覚を失うと人間は他の感覚が鋭敏になるものである。……例えば嗅覚とか。聴覚とか。触覚とか。
更に彼が近づく気配と共に、ふわりと彼女の鼻先に良い香りが漂う。
(うそ。閣下、良い匂いまでするの!? この人どこに欠点があるのよ!?)
彼のふうっという息づかいまでが聞こえてきて、アマリアは尚更彼を意識せざるを得ない。と、彼女の耳たぶに彼の指が触れた。
「っ!」
アマリアはびくりと反応したが、ここで目を開ければ、再びあの良すぎる顔を至近距離で見ることになるため耐えた。耐えきった。
……耐えきったのに、イヤリングが耳につけられていないような気がするのは何故だろうか?
「?」
耳に手をやるとやはり何も着いておらず、彼女は不思議に思って目を開ける。そこには一歩退き、真っ赤な顔を両手で覆った宰相が居た。
「閣下?」
「すまない……無理だった……」
「あ!」
(そうだったわ。閣下は女性に免疫が無いから、こんなことに慣れていなかったのね)
アマリアはサミュエルに詫びる。
「無理をさせて申し訳ありません!」
「いや、違うんだ。俺の意志が弱いだけで……情けない」
「意志? 意志なんて関係ないですよ」
「いやある。もう本当に色々考えてしまう自分が憎い」
そこまで言うもの? と彼女は思ったが、確かにそうかもしれない。この誕生パーティーで万が一彼の好みに合う女性が現れたなら、これからこういうことにも慣れなければならないのだから。
結局、このやり取りをニコニコして見ていたディケンズにイヤリングを着けて貰った。
◆
「わぁ……」
想像通りというか、なんというか。公爵邸のボールルームはとんでもない広さと豪華さだった。アマリアはデビュタントボールの際に一度だけ王宮の舞踏会に出たことがあるが、多分それより少しだけ規模が小さいぐらいでは無かろうか。
「凄いですよね。小さい頃から何度かここにはお邪魔してますが、何度見ても圧倒されますよ」
キューテックが合流してきて言った。彼の袖にはアクアマリンのカフスボタンが輝いている。それと、同行している妻の髪飾りにも一粒だけ三日月と水色の宝石をあしらったピンが混ざっていた。
よく見ると、使用人たちも皆、同じデザインのタイピンを着けている。アマリアのイヤリングよりはずっと小さい石だが、それでも総額で考えると恐ろしい値段なのでは、と彼女は震えた。
「あの、このイヤリング……」
「ああ、セーブルズさん、良くお似合いですね」
「閣下は『味方は全員着ける』っておっしゃってたんですが……?」
「ああ、実はですね。ちょっと招待状をバラまきすぎちゃったんですよ」
「?」
「閣下に会いたい人物には全てこのパーティーに来るようにしたのでね。もしかすると余計な人間まで紛れ込むかもしれない」
「余計な?」
キューテックの言葉の意味がわからず首を傾げたアマリアに、後ろから声がかかる。
「セーブルズはなにも心配する必要は無い。今度はちゃんと守るから」
「閣下?」
サミュエルの言葉がまたも理解しきれないアマリア。
(今度は?)
何だろう。自分の知らないところで何か話が進んでいる気がする。園遊会でミシェルとサミュエルが自分を持ち上げたときのように……とアマリアは嫌な予感がした。
「ま、それは念のために用心しているだけですから。どうぞ気にせずパーティーを楽しみましょう」
キューテックが明るく言った。
サミュエルの欠点。
まあ、そこそこあるんですがそのうちの一つは、彼はむっつりスケベです。
手を繋いだ時もそうでしたが「色々考えてしまう」……つまり、そういうことです。












