34.閣下の指が左手の薬指をなぞる
そこまでは良かったのだが。ドレスの色では揉めに揉めた。
仮縫いの試着が終わったエミュナが戻ってきて、ドレスの色は「絶対に水色が良い!」と譲らなかったのだ。アマリアはできるだけ目立ちたくないため、黒か紺にしたいと言うと「また喪に服してるとか言われるわよ!」と一蹴される。実際にはレースもリボンもあるのだから喪服には見えないはずなのだけれど。
(それに、水色だけは絶対にダメ)
そうと口には出せないが、アマリアは水色のドレスは何としても回避したかった。アイスブルー……つまり、サミュエルの瞳の色を連想させるからだ。その色でパーティーの主役である彼の後ろに控えていたら、噂好きの悪趣味な人間には何と言われるか。最近城内でやっと陰口を聞かなくなったのに、また愛人だの何だのと誤解されてはたまらない。
(あ、そう言えば……)
あの中庭の事件から一ヶ月近くの月日が経っている。その間に一度もあの失礼な男に出会っていないとアマリアは気づいた。同じ王城勤めなのだからどこかで見かけてもおかしくないのに。もしかして彼女に投げ飛ばされたことがきっかけで城勤めを辞めたのだろうか? あの日の夕方、偶然目が合った時にかなり怯えていたようだし……。
「確かに前面はシンプルに見える造りですから、紺色だと地味すぎるかもしれませんわね」
「あ、はい」
マダムの言葉で、アマリアは考えを中断して目の前のドレスの問題に意識を戻した。
「ですから、お二人のご意見の間を取ってロイヤルブルーなら如何でしょう?」
「あ、ああ、素敵だと思います!」
マダムの提案で結局ドレスは上品な青色に落ち着いたのだった。エミュナは膨れっ面をしていたけれど。
◆◇◆
一方で昼休みに手を繋ぐ練習も毎日行われている。最初の内こそ息を詰めて脂汗をかいていた宰相閣下だが、日を重ねるごとに徐々に慣れてきたのか普段の冷たい真顔になってきた。手を重ねる時間も5分くらいは大丈夫そうだ。
「ではセーブルズさんの方はどうでしょうか」
キューテックのその言葉を合図に、アマリアの手の甲に重ねられていたサミュエルの手が彼女の手首に移る。こちらも今は平気だ。
最初、アマリアは手首を掴まれるとびくりと身を固くしていたが(勿論恐怖心からではなく、うっかりサミュエルを投げ飛ばさないように自制していたからなのだが、これは秘密である)、彼の手の取り方がとても優しいのもあってリラックスできている。
「うん、大丈夫そうですね」
キューテックは満足気に笑みを浮かべた。アマリアはほっとして手を離そうとしたが、ぐいと抵抗を感じる。
「?」
顔をあげると、アマリアの手首を掴んだままのサミュエルとバッチリ目があった。アマリアは自分の顔が朱くなっていないか自信が持てず、少し狼狽える。笑顔ではないが真剣な顔で、しかも至近距離でこんな美形に見つめられるとやっぱり刺激が強い。
「も、もう少しだけ」
「へ?」
「もう少しだけ練習させてくれ」
サミュエルはそう言うとするりと指先を動かし、彼女の指の間に己の指を絡ませた。所謂恋人繋ぎというやつである。
「!」
しかも、彼の薬指が動きを止めない。優しく、ゆっくりとアマリアの左手の薬指をなぞった。
「~~!! だっ、ダメです!!」
アマリアは顔を真っ赤にして宰相を突き飛ばす。
「いくら練習だからって! そこまでするのははしたないですっ! そういうのはちゃんと好きな人としてくださいっ!!」
「……あ、ああ、すまなかった……」
宰相も自分がやったことに今更恥ずかしくなったのか、頬を染めて詫びる。
「うーんサム、今のはセクハラで訴えられてもおかしくないぞ? セーブルズさん、訴えましょうか?」
「イアン!」
面白がって茶化すキューテックと、それに顔色を変えたサミュエルを見ながらアマリアは取り成すように答えた。
「大丈夫です。訴えたりはしません。……でも、こういうことはもうやめてください」
まだ顔に火照りが残るのを認めながら。
◆◇◆
パーティーの当日、アマリアは皆より少しだけ早い時間に来て欲しいと言われ、兄やエミュナを置いて先に出発した。
王都の公爵家の屋敷は同じく貴族の住宅街にあるのだが、その大きさも立派さもセーブルズ伯爵家とは段違いだった。馬車から降り立ったアマリアはビクビクしながら門番に招待状を見せる。心配は全くの杞憂で、すぐに通してもらえた。
「セーブルズ伯爵令嬢、ようこそお越しくださいました」
にこやかな執事ディケンズに案内され、談話室に通されてお茶が振る舞われる。室内や茶器も豪華だなと感心しているとサミュエルが現れた。
「セーブルズ!」
「閣下、お誕生日おめでとうございます」
アマリアは立ち上がり頭を軽く下げる。そうしないと……目をそらさないと眩しすぎたからだ。礼服に身を包んだサミュエルはいつにも増してキリリと美しいのに、部屋に入ってきた時に機嫌が良かったので尚更キラキラしていたのである。
「顔を上げてくれ」
こちらの意図を見抜かれたようにそう言われてしまい、仕方なく顔を上げるとキラキラの優しい笑顔に目が潰れる。
「凄く……綺麗だ」
「き」
彼女は危うくきゃああああと叫ぶところだった。
「この間のドレスも良かったが、今日の方がも、もっと似合っている」
「あ、あ、ありがとうございます」
(なんだ、ドレスが綺麗って事ね……)
アマリアは自分の勘違いに恥ずかしくなり朱くなった。
今日の彼女は仕立てたロイヤルブルーのドレスに、真珠の髪飾りを着けている。首元にはレースがあるので首飾りは必要ないと考え、マダムの店で髪飾りを購入したのだ。彼女のこげ茶色の髪の毛にはぴったりですと、マダムの御墨付きである。
「あの、閣下。ささやかですが、こちらお誕生日のお祝いです」
アマリアはハンドバッグから長めの四角い箱の包みを取り出し、サミュエルへ差し出す。
「俺に? 贈り物を?」
「大したものではないですけれど」
「ここで開けてもいいか?」
「どうぞ」
サミュエルの声が心なしか弾んでいるように聞こえる。アマリアは益々目をそらせた。本当に大したものではないのだ。ドーム公爵なら欲しいものはなんでも手に入るだろうから、悩みに悩んだ結果、仕事に使うペンを選んだのである。
「ペン? ああ、嬉しい……」
だが、宰相閣下は本当に喜んでいるようだった。
「ありがとう。大事に使わせてもらう」
「恐れ入ります」
「俺からも渡したいものがあるのだが」
「?」
サミュエルはポケットからビロード張りの小さな箱を取り出した。箱を開けると一対のアクアマリンが輝いている。
「……これは?」
「イヤリングだ。今日、着けて欲しい」












