31.宰相閣下がアマリアの手に触れる
31話にして、やっとお手てを繋ぐ回(?)です。
この二人、完結までキスもしないんじゃないかと心配になってきました。
……異世界恋愛とは。
アマリアは躊躇った。心の底に沈んだ澱が、またふわりと上がりそうな予感がしている。
「パーティーって……夜会ですか?」
「ええ。この季節は昼は暑いですからね。夕方からなんですよ」
「あの、すみません。私、夜会はちょっと……」
「どうしてですか。あっ、仕事じゃないからって理由なら、ちゃんと別の手当てくらい出ますよ。そうでしょう閣下?」
キューテックが声をかける方向、声の強さが先ほどと違う。アマリアがそちらを向くと、やはりサミュエルがすぐ近くまで来ていた。先ほど憂鬱そうに寄せられていた美しい眉根が更に寄せられ、憂鬱から悲痛ともいえるほどに辛い表情に変わっている。
「やはり……まだ、夜会に抵抗が?」
「え」
アマリアの目が、伊達眼鏡越しに見開かれた。
(何故その事を……あっ)
おそらく彼女を雇う時に兄から先輩へ、そしてキューテックから上司へと事情が伝わっているのだろうと自問自答する。その間も美しい彼の顔からは目が離せない。と、彼のアイスブルーの視線が、机の上に置かれたアマリアの手に落ちた。
「君の手に、触れても?」
「へ」
(……へぁぁああっ!? 閣下は何を……あっ、私の聞き間違いでは!?)
アマリアはどくどくと高鳴る胸を抑える為、今の言葉は幻聴だと思おうとしたが、目の前の光景がそれをがっつり否定してくる。
辛そうな顔にどこか照れたような表情を混ぜて、アマリアの目をチラリと見てからまた手元に視線を落とすサミュエルはもう……もうなんか凄かった。単純な美しさではなく、苦しさが醸し出す色気のようなものが爆発している。多分無意識なのだろうが、意識してやってるのだとしたらとんでもない悪魔だ。
「な、何故?」
「……」
かろうじて小さな声を絞り出すアマリア。それを聞いたサミュエルは暫くしてからハッとした顔になった。
「……ああっ、違う! 決して邪な気持ちではっ!!」
今の彼を見て「氷の貴公子」などと言う者はきっと居ないだろう。頬に僅かに朱が挿し、おろおろしながら言い訳を口にする。
「君が男性に手を取られるのがまだ怖いのなら、危害を加えない人間が少しずつ触れれば……こう、苦手意識が消えるんじゃないかと!」
「……あ」
高鳴っていた胸が急に落ち着いた。表情がスン、と真顔に戻ったのがアマリア自身にもわかる。
(なんだ、そう言うこと)
彼は夜会を怖がる彼女を哀れに思い、その恐怖を薄める手伝いができないかと考えてくれたのだろう。
「あ、こ、これは上司として言ってるのでは無い! だから嫌だったらハッキリ断ってくれ!」
まだ半分慌てているサミュエルの顔を見ていると、アマリアの頭がますます冷えてくる。今の言葉は上司命令ではなく、あくまでも彼の親切心から助力を申し出てくれていると理解できた。決して危害を加えない……アマリアに邪な気持ちを持たない男性として。
(私ったら馬鹿みたい)
過剰に意識してしまった自分を恥じながら、しかしそれを面に出さず、彼女は机の上で手を滑らせてサミュエルに近づけた。
「どうぞ」
「あ……では、失礼する」
彼の手が、ゆっくりとアマリアの左手に触れる。指先がちょんと当たった時に彼女はビクッとした。宰相はまたも焦る。
「あ、だ、ダメか!?」
「……いいえ……続けて下さい」
今のは恐怖ではなかった。けれどキラキラしい宰相の顔を見ながら手を握られたら、やっぱりドキドキしてしまう。それではこちらが邪な事を考えているようではないか。
アマリアはドキドキを振り払うため、手元のみを見つめて別のことを考えるように努めた。彼の手がもう一度ゆっくり触れ、そして手のひらが彼女の手の甲を包むように重ねられる。
(閣下の手、意外と温かいのね)
以前馬車に乗る時に手を貸してもらった時はアマリアは手袋をしていたので体温を感じる事は無かったが、今回は直に触れている。氷の貴公子の手は温かかった。彼に憧れる女性の殆どはこの事を知らないだろう。彼の体温も、心も実は優しい温もりを持っている事を。
と、温かかったはずの彼の手が、何故か指先から急激に冷たくなってゆく。そしてぷるぷると震えだした。
「?」
アマリアは重ねられていた手からサミュエルの顔に視線を移す。すると彼は顔を真っ赤にして震えていた。ぷるぷるどころかぶるぶる……もうすぐガクガクになりそうな勢いで。
「閣……サム!?」
「……ぷはっ」
キューテックが声をかけた途端、サミュエルは息を吐き出すと同時にアマリアから手を離してゼェゼェと肩で息をした。たまらずキューテックは笑いだす。秘書の顔から友人の顔になり、サミュエルの背中をさする。
「なんで息まで止めてるんだよ~。そんなに緊張したのか?」
「す、すまない……。何だか、色々、考えすぎてしまって、い、息をするのを忘れていた……」
「お前、自分から女性に触ろうとなんてしたこと無いもんなぁ~」
「え!?」
アマリアは驚きのあまり大きな声を出した。男二人は対照的な表情でアマリアに振り向く。キューテックはニヤニヤしていて宰相閣下の顔は気まずそうに朱くなる。今度は息を止めたのではなく、恥ずかしさの為に朱いのだろうが。彼は手で顔を覆いながら、もごもごと言い訳をする。
「……エスコートやダンスの相手くらいなら問題なく出来るんだが、それ以外は慣れてなくてだな……」
なるほど、馬車に乗る時に手を貸してくれたのはエスコートの一環だから自然に出来たと言うことか、とアマリアは納得する。
「まぁ、お前の場合は黙ってても女の方から寄ってこられてたもんな。それも嫌ってほど。だから今まで自分から積極的に行ったことが無かったんだろ?」
「ええと……つまり」
アマリアは軽く混乱しながらも、この場にぴったりな言葉を思いついた。
「閣下は女性に免疫が無いのですか?」
「……」
「あはははは!」
サミュエルの無言と、キューテックが腹を抱えて笑っているのが答えだろう。
「はぁ……ひぃ……セーブルズさんにそれを言われたら面白すぎるな……くっくっく」
キューテックは目に涙を溜めながら笑いつつ、こう言った。
「そういう訳なんで、セーブルズさん、良かったらこれからもサムに付き合ってやって下さいよ」
「え?」
「おい、イアン!」
「良い案だろ? セーブルズさんは男性への恐怖を克服するため。サムは女性に慣れるため。お互いに手を握る練習をしたらいい」
「「!!」」
アマリアとサミュエルは同時に目を丸くした。
「うーん、そうだ! 昼休みに奥の部屋でやれば外部の人間にも見られないし、変な噂にもならないだろう。良いんじゃないか、な? サム」
悪戯っぽく笑うキューテックの提案により、この日から二人は昼休みに手を握る事になったのであった。












