30.秘密は一部歪められて伝わる
「丁度よかったー! 手紙で連絡しようかとも思ったんだけど、見習いで平民の私が宰相閣下に手紙を出すのもどうかなって思ってたので」
「なんでしょうか?」
「ちょっとこっちにきて」
シェリーンはアマリアを道の端に連れていき、周りを見渡してから声を潜める。
「あのね、こないだの昼食会のことなんだけど……あそこで話した内容って秘密ですよね?」
「は、はい」
「最初は珍しいことだから、友達や騎士団の仲間にもどんな話をしたか訊かれたりしたけど、約束だからって黙ってたんです」
そう。サミュエルが「どっせい」の声で恋に落ちたことは秘密のはずで、その秘密を守りたいから他の耳がない、執務室の奥の部屋での昼食会を開いたのだった。その目的さえもシェリーンには知らされていない。
「それがね、最近知らない女の人にまで何があったのか、益々訊かれるようになって」
「え?」
「これは変だなって思って逆に訊ねたら『中庭で閣下が美しい声を聞いて、その声の女性を探してるらしい』って噂を聞いたんです」
「ええっ!?!?」
アマリアは絶句した。
どうしてかわからないが秘密が漏れていて、しかも一部が歪められている。「美しい声」だと!!
「とにかく、私はその件は関係ないよと言っておいたんです。だって自主練であんな大声を出していたのに美しい声だなんて笑っちゃいますよね!」
シェリーンが笑いながら話すのに対し、アマリアはどう返していいのかわからずに愛想笑いでコクコクと頷いた。
「私はこれからも会話の内容は漏らしませんって宰相閣下にお伝え下さい。……あ、食事は最高だったって皆に喋っちゃったけど、それは大丈夫ですよね?」
アマリアは背中に冷や汗が流れるのを感じながら、またもコクコクと頷く。シェリーンはほっとしたように笑顔になった。
「良かった! じゃあ私はこれで!」
去っていくシェリーンの背中を見つめ、暫くしてからアマリアはくるりと踵を返す。来た道を全速力で戻ると、執務室にはまだ上司と先輩の二人が残っていた。
「閣下! キューテックさん!」
「おや、セーブルズさん、忘れ物ですか?」
「いいえ、あの……!」
アマリアははずむ息を整えながら、ぐるぐる回る頭も一緒に整理する。とにかく、声の主が自分だとバレてはならない。シェリーンから聞いたことだけを言おう、と心に決めて、その通りを喋った。
「……ああ、やはり」
「……だろうな」
意外なことに、二人はさほど驚かず少し気落ちした程度の反応だ。
「ご存じだったんですか?」
「いや、知らなかったが、多分そうだろうと今イアンが話していたんだ」
「セーブルズさん、今朝、来ていた手紙を見たでしょう?」
アマリアの朝一番の仕事は、届いた手紙や書類の封切りをし確認するというものだ。
「ええと……あ、そういえば閣下にお目にかかりたいという手紙が?」
王家への嘆願書絡みを処理するのがアマリアのメインの仕事なのでそれとそうでないものとをまず分けるのだが、今日は比較的後者が多かった。その中でもドーム公爵閣下へアポイントを取りたいという手紙が多かった気がする。
「その手紙の差出人のうちのひとりが城内の下働きの女性だったので、僕がさっき用件を聞いてきたんですよ。そうしたら『自分は歌が上手くて、たまに中庭でも歌うので是非宰相閣下に聴いてほしい』……と」
うんざりした顔をしてキューテックが言った。もしかしてその歌をたっぷり聴かされたのだろうか。
「じゃあやっぱり、中庭の話がどこからか漏れたんですね」
「……まあ、漏れたところはだいたい想像がつくが」
「え?」
サミュエルの言葉にアマリアが驚いて聞き返すと、彼は皮肉気に唇を歪めた。
「この件で協力を依頼した人間の数は少ない。多分どちらか……或いはその両方だろうな」
「わ、私は違いますよ!」
なにせ、情報を漏らすどころか、声の主の張本人ということも隠している。
「セーブルズ、わかっている。君でもイアンでもない。それ以外の協力者だと考えているよ。まあ個人的な話だから個人で始末をつけるさ」
「は、はい。では失礼します……」
アマリアは執務室を出るとトボトボと歩きだした。
(どうしたらいいの……)
勿論、自分が「どっせい」の本人だと名乗り出ることはこれから先も無い。無いけれど、中庭での話が一人歩きをして「美しい声」だと誤解されているのは非常にまずい気がする。
かといって「閣下の想い人は野太い声ですよ」とペラペラ周りに話すのもこれまたまずい。野太い声の女性が執務室に沢山押し掛けてこられても困る。
(あ、でもそうなったら誰かひとりくらいは閣下のお好みに合う方もいるかも……?)
そう考えてすぐにアマリアは首を横に振った。
(……だめ。だって、どれだけ閣下の好みだとしても、その女性は「中庭の声の主は自分だ」と嘘をついて閣下に近づいたことになるんだもの)
美しい氷の貴公子。そしてアマリアにとって、上司としては優しく信頼のおける男性。そのサミュエルには嘘をつく女性は似合わない気がする。どうせなら優しくて誠実なひとと結ばれてほしい。……そう考えてから彼女はハッと気づいた。
(いやだわ。私も嘘をついてるのにそんなことを考えるなんて何様かしら)
顔を僅かに朱くしたアマリアは、歩調は変わらずにトボトボと帰路についた。
◆
次の日も「宰相閣下にお会いしたい」「私の声を聴いてください」という手紙は届いている。昨日より多いくらいだ。
「対策を練ってきました」
キューテックは一枚のカードをぴらりとかざして見せた。
『領地の相談や政務に関することで宰相との会談を希望される場合は詳しい相談内容を再度お知らせ願う。サミュエル・ドーム公爵個人への用件はドーム公爵家へ改めて手紙を送るように』
極めてビジネスライクで冷たい文面だ。要はサミュエル個人への用ならば宰相の仕事を邪魔するな、と言いたいのだろう。
「すみません。これを全員にまとめて返すので、セーブルズさんも手伝って下さい」
「かしこまりました」
秘書二人はせっせと同じ内容のカードを量産し、届いた手紙に返信する……という作業をこなしていく。カードを封入しながらアマリアはキューテックに質問した。
「でも、今度は公爵家に手紙が殺到するのでは?」
「それも大丈夫です。昨日師匠と相談しました。どうせならまとめて候補者の皆さんとお会いした方が良いので」
「まとめて?」
「実は来月、閣下の誕生日なんですよ。それでパーティーに全員呼ぶことにしました」
「パーティー?」
「公爵家に手紙が来たら、師匠が誕生パーティーへの招待状を送り返す手筈になってます」
「……パーティーは苦手なんだがな」
ため息をつきながら、憂鬱そうにサミュエルが言う。その姿も美しい。
「でもこれが一番効率がいいでしょう? あっ、セーブルズさんもパーティーに参加してくださいね!」
そう言うイアン・キューテック第一秘書の眼鏡はきらっと光っていた。












