27.(回想)アマリア、自分の老後を考える
サミュエルのお陰で涙は引いたが、それでもルミナスのショックは簡単には引いてくれない。アマリアの様子を心配したエミュナは結局半ば強引に伯爵家の馬車に乗り込み、家まで送ってくれた。
「アマリア? どうした? なにがあったんだ?」
顔色が悪く、涙で化粧が落ちた跡を頬に作ったアマリアを見て兄のアイルトンは酷く心配し、周りをうろついてはしつこく何度も質問してくる。エミュナはとうとうアイルトンの耳を引っ張り囁いた。
「大丈夫よ。軽く失恋したようなものだから」
「失……!? えっ、だってアマリアは男嫌いで」
「いいから。これ以上デリカシーの無い質問はしない! 放っておいてあげて!」
「……うぅ。わかった」
妹の親友であり、自分の恋人でもあるエミュナにそう言われてアイルトンは黙る。一方俯いていたアマリアはパッと顔を上げ、青白い顔で微笑んだ。
「エミュナ、ありがとう。もう大丈夫だから」
「無理をしたらいけないわ!」
「本当に無理はしていないわ。気分転換に、動きやすい服に着替えてくるわね」
「え?」
アマリアは自室に戻り、本当に動きやすそうな服を着て戻ってきた。そして庭に出る。
「えーい、どっせい!」
彼女は木に結んだ帯を力いっぱい引きながら、片足を跳ね上げる動作を繰り返す。エミュナはその光景を目を丸くし口をあんぐりと開けて見ていた。隣でアイルトンが渋い顔をして立っている。
「アイル、なに、あれ?」
「あー……あいつはストレスが溜まるとああやって護身術の練習をするんだ……」
「護身術って!?」
「もしも変なやつに捕まっても投げ飛ばせるように俺が教えたんだが、正直失敗したと思ってる……」
「ええ、そうかもね……」
「はあ、どっせい!」
◇
次の朝、鏡を見たアマリアは驚いた。そこに映っていたのは目の下に酷いクマを蓄えた自分の顔。
(昨日はクタクタになるまで護身術の鍛錬をしたから、ぐっすり眠れたと思っていたのに……)
心の傷はそう簡単には埋まらないらしい。そして、それを自覚した瞬間、鏡がぐにゃりと歪んだ。アマリアの目がまた涙で潤んだのだ。
(……いけない! こんな事じゃ仕事に差し支えるわ)
そう思うほど涙が出てくる。人を見る目が無い自分、上司の前で泣いてしまった自分……。情けない自分の姿しか思い出せず、アマリアの自信になっていたものが足元から全て崩れていく。
(だめ! 今日から私は生まれ変わるの!)
もう少しで膝をつきそうだった彼女はすんでのところで踏みとどまり、涙を拭ってキッと上を向いた。皮紐を手に取ると、ぎゅうっと髪を引っ張る。目の端が吊り上がる程にだ。そして一つに結ぶとシンプルなまとめ髪にした。
憧れの「お姉様」の存在がなくても、理想の自分を追求する事は出来るはず。勝手に憧れや恋をして勝手に傷つくくらいなら、もう一生恋をせずに独身で生きていく人生も悪くない……とアマリアは考えた。そのためには仕事が絶対に必要だ。幸い、今の仕事では一定の評価と給金を貰っている。
(お金を貯めてまとまった資金ができたら信託か商売にでも投資をすれば、誰かに頼らずに老後も食べて行けるようになるかもしれないわ。誰にも後ろ指を指されない、良い未来じゃない?)
こうして今までも地味令嬢だったアマリアは、倹約をして余分なお金をすべて貯蓄に回すようになったので、今後ますます地味な生活になっていくのである。
◇
「おはようございます。お茶を一杯如何ですか?」
出勤するなりキューテックがそう言い出したのでアマリアは目を丸くしたまま固まってしまった。
「え、え?」
「僕はこれでも、まあまあお茶には自信があるんです」
彼はそう言いながら手早く準備をして、もうお茶を淹れ始めている。
「さあどうぞ」
先輩秘書がアマリアの前にカップを差し出す。中身を覗き込むと、秋の紅葉を思わせる様な綺麗な紅い茶からかぐわしい香りが立ちのぼってきた。
「わあ……いただきます」
一口含むと、breakfastの名にぴったりな、やや濃いめの茶の渋みがガツンとくる。と同時に素晴らしい香りが鼻に抜け、飲み込むと後味はふんわりとまるく甘い。傷ついた心を守るため必要以上に肩に力が入っていたアマリアにとって、その味と香りは心と身体をほぐし、ゆったりと癒してくれるようなものだった。
「はぁ……美味しい」
「それは良かった。ちょっと良い茶葉を閣下から頂きましたのでね。セーブルズさんに是非飲ませてやれ、と言われたんです」
「え?」
アマリアが宰相の方を見ると彼も同じ紅茶を飲んでいるところだった。冷たい美形でも色男が茶を飲む姿は実に絵になる……と、その色男がふっと視線を上げ、彼女と目がかち合った。
(わっ)
サミュエルの顔の美しさにどぎまぎし、思わず手元の紅茶に目を落とすアマリア。そのまま彼の方を見ずに礼を言う。
「あ、ありがとうございます閣下。それに昨日はご迷惑をおかけしました!」
「……いや、部下が気持ちよく仕事をできる環境を作るのも上司の仕事だからな」
「そうですか! お心遣い感謝します! あと、ハンカチは洗って返しますので!!」
なんだか焦ってしまい、一気にまくしたてるとサミュエルの口から「……ふっ」と空気が洩れた。その音につられてもう一度彼を見てしまう。彼は口元に拳を作っていたが、明らかに笑っていた。
「その元気があれば大丈夫そうだな?」
「……ひっ」
危うく、アマリアは「ひえええええ」と叫ぶところだったのを呑み込んだ。氷の貴公子の笑顔はあのルミナスにも負けず劣らずキラキラと輝き、滅多に見られない貴重さも相まってどえらい破壊力だったのだ。
◇◆◇
「……アマリア、聞いてる?」
手元で丸く切り取られた紅い世界。目の前のカップの中身にぼんやりと意識を集め、3年前から最近までの出来事を思い出していたアマリアは、エミュナに声をかけられてハッと己を取り戻した。今はまだ園遊会の最中で、ミシェル達とテーブルを囲みお茶を飲んでいるところだ。
「ご、ごめんなさい。何の話だったかしら?」
「ミシェル様とあの宰相閣下が協力して断罪をするなんてびっくりね、って話よ。だってミシェル様、閣下の事をお嫌いだったでしょ?」
エミュナはやっぱり礼儀作法についてはイマイチのようだ。幾ら親友とはいえ王子妃に向かってあまりにもストレートな物言いに、聞いているリデルの方が「あっ」と小さく声を出し肝を冷やしている。だがミシェルは口元を扇子で隠し、くすくすと上品に笑いを溢した。
「確かにわたくしはあの陰険冷徹宰相のことが昔から気に入らないわ。でも完全に利害が一致してるのにくだらない意地を張ることもないでしょう?」
「利害って……さっき言ってたあれですか? 4年前に傷つけられたアマリアの名誉を回復する為、って」
ミシェルは頷く。
「勿論『堕落』したリバワーム家を追及し、きちんと洪水対策を取らせることも目的の一つだったけれど、主な目的はやはりアマリアね。わたくしたちのせいでアマリアは他の令嬢たちに嫉妬されて可哀想なことになったんだもの。わたくしたちでけじめをつけたかったのよ」












