25.(回想)「掃き溜めに汚れた鶴」
キューテックがアマリアに指示を出す。
「じゃあまずはこれからお願いしようかな。各領主からの嘆願書です。今年の税金を免じて欲しいとか、支援して欲しいとか、そういうものが殆んどですね。開封して目を通してみて、これは却下だと思うものを選り分けてみて下さい」
「は、はい」
アマリアは自分の机に山と積まれた書類を見て驚くも、ひとつひとつ封を切り目を通して行く。最初は緊張していたが幾つか見るうちに慣れてきた。自分も父と兄と一緒に支援要請の書類を揃えた経験があるので、明らかに足りていないものは見ればわかる。
「キューテック様」
「ああ、同僚だからさん付けで。僕もセーブルズさんと呼んでも?」
「はい、キューテックさん。一応終わりました」
「え? もう?」
「はい。こちらは添付の資料や必要な項目が足りてないかと」
半分くらいに分けた山を見せるとキューテックはパラパラとめくり、確認してにっこりと笑顔になった。
「ああ、そうですね」
「……で、あの、私の間違いだったら申し訳ないんですが……」
「なんですか?」
アマリアはひとつだけ分けて持っていた書類を差し出す。
「こちらはもっと酷いです。必要事項がほとんど埋められておらず、感情に訴えかけて支援金をくれの一点張りです」
キューテックはまたか、と言いたげな苦笑を見せる。
「ああ……」
「領民が困窮している状況も書いてあるので気持ちもわからなくは無いんですが……我が家も王家へ支援をお願いした時には色々と書類を書かなければいけなかったので、これを通すことは出来ません。他の領地と不公平になります」
「うん、その通りです」
「できれば……」
アマリアはこくりと唾を飲む。初日からこんな事を言ったら生意気だろうかと思ったが、この、書類というよりも窮状を訴える思いの籠った手紙を、ただ却下と切り捨てるのはしのびなかったのだ。
「最低限の必要事項を埋めるようにアドバイスをするのは……出過ぎた真似でしょうかね?」
先輩秘書の眼鏡がきらっと光る。
「いいと思います。ただ断るだけでは、また同じような内容をしつこく送ってきた挙げ句『王家はなにもしてくれない』と逆恨みする人間もいるかもしれませんからね。ただ……必要事項が埋められていれば支援が期待できるとは絶対に書かないこと」
アマリアの顔が輝いた。
「わかっています。この内容では審議のステージに上がれていません。内容をきちんと埋めて初めて支援ができるか宰相閣下が審議できる、と先方にお伝えします!」
キューテックは愛想の良い顔を更ににこやかにした。
「うん。助かります。今までは忙しくてアドバイスまでは手が回らなかったんです。これからは嘆願書関係はセーブルズさんにお任せしようかな。閣下、良いでしょう?」
彼はそう言って上司に振り向く。彼女もそちらを見て……驚いた。宰相はほんの僅かだが、優しそうな笑みを見せて頷いている。夜会や園遊会ではいつも不機嫌そうな顔しか見たことがなかったのに。
(えっ、氷の貴公子じゃなかったの?)
従兄弟というだけあって、サミュエルには少しルミナスにも似ているところがある。それに幾ら男性はもう恋愛面で信用できないと言っても、元々は美形が好きなアマリアだ。超美形の笑顔には弱い。ちょっとだけ心が揺れた。
そう。後に彼女が宰相のキラキラに心を苦しめられるのは、この意外な笑顔と温かい言葉がきっかけだったのだろう。まだこの時はやっぱり男嫌いのままだったから、サミュエルに対して特別な感情を抱くことはなかったのだけれど。
◇
アマリアが城勤めになって1ヶ月が経った頃。仕事にも慣れてきたので、やっと休みに出かける気にもなってきた。
まず最初に行くべき所は決まっている。セーブルズ領に支援をしてくれたミシェルだ。むろん何度も礼状や手紙を出してあるがまだ会ってはいない。アマリアが領地を出て王都で暮らすようになったと知ったミシェルが私的なお茶に誘ってくれたので、それを受けることにしたのだ。
「アマリア!」
「ミシェル妃殿下、ご機嫌麗しゅう……」
「もう、わたくしたちの間でそんな挨拶はいらなくってよ! 元気だったの? 仕事は辛くない?」
王子妃となってもミシェルは変わらずアマリアに接してくれる。勿論、人前では身分差を弁えているが、こうした私的な場所では2年以上前と変わらない態度でいてくれるのは本当に嬉しかった。
「ねえ、それにしてもちょっとその服は地味すぎやしないかしら?」
ミシェルがアマリアの地味な茶色いドレスを眺めて形のよい眉をひそめると、隣から傍仕えのエミュナが口を出す。
「アマリアったらずーっとこんな格好ですよ。眼鏡で目の色も変えてるし、もう結婚もしないつもりみたい」
「まあ」
呆れたような口調で二人に言われたアマリアはちょっとだけ反論する。
「いいのよ! このまま文官勤めが続けられれば充分お金は稼げるし、私はずーっとお姉様をお慕いして生きていくの!」
「「えっ!」」
ミシェルとエミュナの声がハモった。二人とも目を丸くしてアマリアを見つめている。
「……え、なに? 私、変なことを言ったかしら?」
アマリアは戸惑った。他の人には女性の身で同じ女性を慕っているなどととても言えないが『ズルいお姉様被害者の会』の同志なら理解してくれると思っていたのに、この反応だ。ミシェルが恐い顔をしてエミュナに詰め寄る。
「……ちょっとエミュナ、アマリアにあの事を言わなかったの?」
「だって! セーブルズ領が大変だったし、最近私がアマリアに会う時はアマリアの兄が一緒だったから、言えなかったんですよぅ!」
明らかに揉めている二人を見て、アマリアの心に不安の黒い靄がかかった。
(なに? まさか、お姉様の身に何かあったの?)
約3年間、ずっとアマリアの心の拠り所だった憧れのお姉様、ルミナス。あの美しい笑顔はずっと彼女の心に、目蓋の裏に、残像を残している。もしも彼女に何かあればアマリアも平気ではいられない。
ミシェルはふーっとため息をつくと、ブルーグレーの目を据わらせた。
「いいわ、アマリア。ルミナス様に会わせてあげる」
「えっ!?」
「今のわたくしは第三王子妃よ。陛下の愛妾なら、ほぼ立場は対等なの。それで……」
ミシェルは珍しく口を濁した。
「……今は親しい間柄になったの。わたくしがお願いすれば、時間を取ってくださるはず」
「本当に!?」
「ええ、でもどうか、ショックを受けないでね。ルミナス様はだいぶ……変わっていらっしゃるから……」
「ええ、ええ、大丈夫! ありがとうミシェル!!」
アマリアは憧れのお姉様に逢えることで有頂天になり、それ以上は考えなかった。ミシェルが珍しく言葉を選んで「変わっていらっしゃる」と言った事に疑問を持つべきだったのに。それは単に外的な変化があったのだろうと受け止めたのだ。
例えば肥ったり、年をとった為に容色が衰えることはあるだろう。もしかしたら怪我をして傷が残ってしまったなんて事もあるかもしれない。でもそうだとしてもアマリアはルミナスへの信仰を捨てることは無いという自信があった。あの、見た目だけではなく中身まで完璧に美しい光の女神に勝る存在などこの世には無いとさえ思っていたのだから。
◇
翌週、ミシェルに再び呼び出されたアマリアは精一杯のお洒落をして、愛妾の住まう離宮へミシェルやエミュナと共に向かった。
(遂にお姉様に逢える……ああ、何をお話ししたら良いのかしら!)
胸の高鳴りを覚え、頬を染めながらルミナスの私室に通されたアマリアは、その情景に目を見張り、愕然とした。
この場を例えるなら「掃き溜めに鶴」……いや、「掃き溜めに汚れた鶴」が相応しかろう。
陛下の愛妾の部屋は酷く乱れていた。食べ物、本、お菓子、脱ぎっぱなしの靴……色んなものが散らかっている。その真ん中にいるのは他ならぬルミナスだ。彼女の顔とプロポーションは3年前と変わらず完璧な美しさだったが、髪や着るものはやはり乱れている。いや、そもそも着ているのは寝巻きだし髪も起きたての様にボサボサだ。
ミシェルの「変わっていらっしゃる」という言葉の意味は、外的な変化があったのでは無く、元から中身が変だったことを指していたのだと、アマリアはこの後知ることになる。












