24.(回想)冷たい宰相の言葉で心が温まる
この話を含み、四話は回想シーンになります。
◇◆◇
約3年前。領地が洪水に見舞われたことでアマリアはそこら中を駆け回っていた。
家を流された領民の受け入れ先は教会が担ってくれたが、彼らの食事まで用意できるほど教会も裕福ではない。彼女は温かい料理を作って差し入れしたり、お金を少し渡したりもした。
――――お金、お金、お金だ。何をするにも金が要る。洪水で流された橋もかけ直さなければいけないし、駄目になった農地を甦らせるためには人手を入れる必要がある。また大雨の時に再度洪水になる可能性があるなら治水工事だってしなければならない。
アマリアは良いドレスや宝石を売ることにした。
「そこまでしなくても」
最初、母や義姉はそう言った。が、父や兄が日に日に青い顔でやつれていくのを見て、自分たちが領民に炊き出しをしたり、贅沢を控えたりの程度でなんとかなるレベルではないと納得し、彼女らも私財を売り払った。
明るい緑色の橄欖石のブローチを手放す時だけは、流石のアマリアも躊躇った。それを見るたびに思い出すのはその色の瞳を持つエドガーではなく、「貴女には本物が似合う」と言ってくれた美しき女神、ルミナスだったから。
「お姉様……」
大事なのは物ではなく、想い出だとアマリアは自分で自分を説き伏せた。ブローチが無くてもルミナスの事はいつでも思い出せるのだ。
そんな彼女に縁談が舞い込む。さる裕福な中年男性の後添えの話だ。アマリアが嫁げばセーブルズ領に多額の支援をすると言う。
「……こちらの足元を見てるんだわ。こんなの人買いじゃない」
義姉は悔しそうにそう言った。母もアマリアも、同じ事を思ったが口にはできなかった。
知らなかったとは言え、かつての婚約者は大罪を犯した人間。更に夜会で騒ぎを起こしてもいるアマリアは貴族令嬢としては傷物だ。まだ17歳になったばかりで結婚適齢期だが、夜会にも出なくなり伊達眼鏡で目の色を変えて地味にし、かなり縁遠い娘になっている。
その彼女を「大枚を払って引き取ってやろう」という態度が向こうからはハッキリと透けて見えた。
「……私が嫁げば、全て丸く収まるわ」
「いや、それなら王都の伯爵邸を売ればいい。どうせ今はアイルトンがいるだけだ。あいつは騎士の独身寮に入れる」
「でもお父様、あの屋敷がなくなったら王都に行った時に滞在する場所がなくなるわ。お父様やお兄様が笑い者になってしまうもの」
「領地がこれではどうせ暫くは社交にも出ないし、笑われるだけならタダだからな」
「でも……」
アマリアは俯き、手をぎゅっと丸める。覚悟を決めなければ、と思ったのだ。
もう少しで彼女はその縁談に応じてしまうところだった。ミシェルが「支援要請の書類をきちんと書き直しなさい。あとはこっちでなんとかしてあげるから」という手紙をくれなければ。
◇
ミシェルの手紙は本当だった。支援要請の書類を何度か書き直す羽目にはなったが、きっちりと揃えて早馬で送るとすぐに調査員がやって来た。現状を見せると、とんとん拍子に支援が決まったのだ。
「ただ、我々が出せる額は洪水被害をカバーする最低限です。これ以上を出すと余計な買い物をする不届き者も居ますからね」
「わかっている。領地経営の建て直しは自分たちの仕事だ。ご支援、誠に感謝する」
父と調査員の会話を見ていたアマリアはほっと胸を撫で下ろし、そしてすぐに気合いを入れ直した。
そこからも父と兄を手伝い、アマリアは駆け回った。ある時は泥地となった畑に別の農作物を植えて新たな産業に出来ないか調べてみたり、ある時は突然支援の話を持ってきた貴族の対応をしたり。
尤も、後者はミシェルの鶴の一声で支援が決まったことを聞き付けて、王子妃になったばかりの彼女と縁を繋ぎたいという貴族の下心だった。そういった裏を読むうちに辛い事も勿論あったが、その度に彼女は目をつぶる。目蓋の裏に光の女神を映すためだ。
「ルミナスお姉様……いつかお姉様にお会いした時に誉めて貰えるよう、私、立派にやり遂げてみせます!」
恋に近い憧れは、最早彼女の心の拠り所であり、それは会えない存在という事もあって信仰に近いところまで引き上げられていた。
◇
2年あまりの時を経て領地が再建されると、アマリアは手持ち無沙汰になった。新しい農作物もちょっとずつ知名度が上がり、軌道に乗っているし領地経営は父と兄とで充分だ。
……かといって、本来の貴族令嬢らしく社交界に復帰して縁談を探すという気にもなれなかった。数々の苦い経験とルミナスへの想いから、すっかり男性を信用しなくなってしまったからだ。
そんな時だった。王都で騎士として頑張っているアイルトンから「宰相が第二秘書を探しているがやってみないか」と仕事の話が来たのは。
◇
「アマリア・セーブルズと申します。よろしくお願いいたします」
「うむ。サミュエル・ドームだ。よろしく頼む」
上司となる宰相閣下はあのNo.2の美形、氷の貴公子だった。セーブルズ領が洪水に遭った後の頃に前ドーム公爵から職を引き継いだそうで、まだ若き宰相である。
「第一秘書のイアン・キューテックと申します。忙しいと思いますがよろしくお願いしますね」
先輩は黒髪に黒ぶち眼鏡の男性。容姿は普通だが愛想が良く感じもいい。冷たい宰相とは正反対だが、二人は古くからの友人だそうなので、これはこれで凸凹がぴったりはまる相性なのだろうと伺える。
まあ、アマリアには容姿や愛想など関係ないのだけれど。家族以外の男性を信用しなくなっているので好きになることもない。また、万が一にも向こうから好意を寄せられることもないだろう。今の彼女は地味なワンピースと伊達眼鏡と小さな髪飾りしか持っていないのだから。
上司と先輩の二人にはあくまでも仕事仲間としてきちんとしてくれる事しか期待していない。冷たくても優しくてもどうでもいい、という考えだった。
けれども。
「この2年間、セーブルズ領の苦労は聞いている。大変だったな」
「はい。ありがとうございます」
「それに……その前にも辛いことがあったろう」
「あっ」
アマリアはハッとした。サミュエルはルミナスの従弟で、エドガーの件を調査してくれた恩人だったのにすっかり忘れていた。慌てて頭を下げる。
「いつぞやの宝石偽造の件は大変お世話になりました。ありがとうございました」
「あ? ……ああ」
サミュエルから意外そうな声が出たと思ったのは気のせいだろうか。だが彼は話を続けた。
「あの件は……『堕落と浄化』については、大きい声では言えないがこちら側にも少々の責があると思っている」
「え?」
「王家が各貴族を甘やかしすぎた。そこから『堕落』が始まったんだ」
この国は今、国の歴史上最も繁栄していると言って良い。鉱山が発見され宝石を国外に輸出した事で国の財政は大きく潤った。国王陛下とサミュエルの実父であるドーム前公爵は善き王と宰相だったと思う。「王家だけが潤い過ぎれば国が他国に狙われるし、民の不満も大きくなろう」と言い、軍備を強化しつつも、残りの資金を国中の貴族と国民にも一部還元した。
まさかそれが、貴族の腐敗を促すことになるとは誰も予想しなかった。一部の貴族はギャンブル、酒、薬物、不適切な男女関係などに溺れ、堕落したのだ。
「もしかしたら、戦で攻めきれないと判断した他国の者が、スパイを使って内側から我が国を弱体化させようとしたのかもしれないな。だから君の元婚約者だけが悪いわけじゃない」
「……ありがとうございます」
冷たいはずの氷の貴公子から、意外にも温かい思いやりの言葉が出てきた事にアマリアは驚きつつ、温かい気持ちになった。それは確実に彼女の心の慰めになったのだ。












