22.彼の声がアマリアの背中を撫でる
紹介が終わるのをひたすら待ちわびていたアマリアだが、いざ終わっても別の苦難が待ち受けているとは考えもしなかった。
「じゃあわたくしはそろそろ失礼するわ」
ルミナスが去っていったタイミングを見計らい、
「で、では私も。失礼致します」
と、その場をパッと離れたのだ。これ以上ミシェルやサミュエル達と一緒にいると自分まで目立ってしまう。しかも、美しさでは彼らに水を開けられている自分ではひどく悪目立ちすると思ったから。
アイルトンとエミュナ、或いは両親と合流してあとはひっそりと気配を消していよう……と考えて皆を探し回ろうとしていた時だった。
「セーブルズ伯爵令嬢」
声をかけられ思わず振り向くと、知らない紳士がにこやかにこちらを向いている。
「突然お声がけして申し訳ありません。どうしても貴女とお話をしたかったものですから」
「は、はい……?」
「お初にお目にかかります。僕は……」
「俺の秘書に何の用かな?」
突如として割り込んだ冷たい声が彼女の背中をひやりと撫でた。背中ならまだいい。真正面からそれをまともに浴びた紳士は顔がひきつっている。アマリアは声の主を確認もせずにそれが誰かを理解し、そして多分恐い顔をしているのだろうな、とまで思う。
「あ、いや……」
「彼女を懐柔して王家への嘆願書を通そうとでも考えたか? 先程も言ったが彼女は男顔負けの優秀な人間だ。私利私欲で何かを動かすことは無いぞ」
サミュエルの言葉は先程リバワーム伯にぶつけたものと同じくらい冷たく鋭い。どうも今日はミシェルがこっそりルミナスを呼んでいたこともあって機嫌が悪いのかもしれない。
「ち、違いますよ! 魅力的な女性だからお近づきになりたいと思っただけです!」
(えっ!?)
アマリアは男の言葉に薄紫の瞳をまたたき、そしてすぐにハッと自重した。社交辞令や言い訳の嘘をまともに受け止めるなんて15歳の小娘の時から成長していないではないか、と。
(は、恥ずかしい……)
ところがそんなアマリアの心とは全く違う方向に話は転がっていく。どうやらこの紳士はなかなか度胸もあり機転も利くらしい。たとえ身分が上の者相手でも「秘書を口説いて利用するつもりか」と言われて黙っている男ではなかった。
「そ、そちらこそ、僕が彼女を利用するつもりだといきなり決めつけて、幾らドーム公爵でも失礼ではありませんか?」
「……っ!」
「僕は以前、城内でいかがわしい噂を耳にしたことがあります。その時は馬鹿げた話だと一笑に付しましたが、まさか宰相閣下ともあろう御方が秘書とそのような関係に!?」
「ち、違う!! それは断じてない!!」
(え?)
アマリアはその言葉と口調の意外さに思わず斜め後ろを振り返る。そこには初めて見る宰相の表情があった。多分……いや、間違いなく戸惑っている。
「……っ、それに関しては、噂が事実無根だったのにすぐに打ち消すことをせず、申し訳なかった」
「え、あの、閣下。噂の内容をご存じだったのですか?」
アマリアがサミュエルの愛人だと陰で言われていたことを。
彼女に問われたサミュエルは、びくっと肩を揺らした後、実に気まずそうにゆっくりと口を開く。
「……ああ。最初は下品な連中が面白半分で流していたようだが……俺はあの噂を利用していたんだ。自分でも卑怯だったと思う。セーブルズ、すまない」
「あ、利用って……」
サミュエルに頭を下げられ、混乱しまくるアマリアの頭の中で、突然ぽんっと答えが出た。さっきのルミナスとの噂と同じだ! と。
「ああ、閣下、今でも大変おモテになりますものね。私の存在を露払いとして利用していたんですか」
「は」
「でも私ごときじゃ大した効果はありませんよ。ルミナス様のような女性ならともかく、私相手ならご令嬢たちは『勝てる!』と思ってしまいますもの」
「え、あの、待て。何か少し間違ってないか……?」
まだ戸惑っているサミュエルの肩をガッと掴む手がある。その後ろから黒髪と黒ぶち眼鏡がぬうっと現れた。
「いやー、そういう意味もあるんですよ! 本当にサムは卑怯な男でしょう? 親友としては情けない限りですよ!」
「イアン、おい」
「いいからお前は少し黙ってろ。これ以上セーブルズ伯爵令嬢に恥をかかせる気か?」
「うっ」
キューテックはニコニコしながら紳士に近づく。
「いやぁ、大変失礼致しました。ドーム公爵の第一秘書として、そして友人として代わりにこのイアン・キューテックがお詫び申し上げます!」
「ああ、だが……」
まだ少し不満げな彼に向かい、キューテックはこう言った。
「今回のお詫びと言ってはなんですが、取って置きの情報をお教えしましょう」
キューテックが紳士の耳元で何かを囁いた。彼は「!?」と目を丸くし、サミュエルとアマリアを交互に見る。その後キューテックに訊ねた。
「……本当に?」
「本当です。ただ、これは他言無用で願います。少なくとも彼が上手くやるまでは」
「……」
紳士はもう一度二人を見て、またキューテックを見る。10秒はそうしていただろうか。突然彼は弾かれたように笑いだした。
「あはははは!! いや、そうでしたか。それは仕方ないですね。でも、場合によっては僕は一生ものの秘密を抱えたことになる」
「一生秘密を守るのは大変ですよね。なので上手く行くよう協力して頂けると助かります」
「うーん、そうしようかな? まあ、その噂がまた出てくれば強く否定しておきますよ」
「恩に着ます」
彼は機嫌良く去っていった。アマリアは何がなんだか解らず、ポカンとしていると先輩秘書がニヤリと笑いかけてくる。
「残念でしたね。彼はなかなか良い青年のようだったのに、口説かれるのを邪魔されて」
「えっ、口説っ……いえいえあれはきっと社交辞令ですよ!」
この間、城内で着飾った彼女を見たキューテックが「美しい」と口にしたように。
「美しい」
(!?)
背後からサミュエルの声でその言葉が聞こえた瞬間、アマリアの血が沸き立つかの様にぶわっと熱くなった。だが僅かに残った自制心で強くそれを抑えつける。
(違う! 私のことじゃない!)
「今日の君は随分と……う、美しい」
(ひいいっ!! しゃ、社交辞令なのに!! ときめいたらダメ!!)
10日前に宰相が「夢を見た」時のように、うっとりと甘い言葉に聞こえてしまうのはきっと幻聴だ。これは着飾った女性に対するマナーで言っているに過ぎない。アマリアはぎゅっと目をつぶる。
「……だから、変な連中に狙われる可能性もある。今日は妃殿下か、俺の側に居た方がいい」
「……」
宰相の言葉が途切れたので彼女はふうっと息を吐いた。なんとか堪えきれた。……危なかった。あと一歩で顔が真っ赤になってしまうところだったろう。いつものスンッとした真顔を作り、上司の方を振り向く。
「まあ、閣下にお褒めいただくなんて光栄です。秘書としても側に居た方が良さそうですね」
「……ああ、そうしてくれ」
「承知致しました」
アマリアは軽く頭を下げ、通常通りの対応をしてみせた。
………………本当に通常通り?(ゲス顔)












