17.もう一人の公爵様が乗り込んでくる
翌朝。
「今日の午前中はグレイフィールド卿がお見えになります」
キューテックが予定を伝えるとサミュエルが皮肉げに冷たい微笑みを見せた。
「ああ、わかっているよ……あの件だろう?」
グレイフィールド公爵はミシェルの父親だ。アマリアは昔、夜会等で遠くから見たことしかないが、娘とよく似た夕陽色の赤毛を持つダンディーな男性だったと記憶している。
「あのせっかちな卿の事だ。そろそろ来るだろう」
(え? もう?)
アマリアはつい時計を見る。サミュエルは宰相という激務をこなす立場だからこそこんな時間から働いているが、城内で特に政務に関わっていない貴族なら今頃ゆったりと朝食を取っているのが普通ではないか。
……と思っている内にコココココン!! と激しく固い音が執務室に響く。
これは多分拳ではなくステッキの柄か何かでノックした音ではないか……と予想しながらドアを開けると、その通り、見事な樫の彫り物が頭に付いたステッキを持つ紳士が足早に入室してきた。
「やあ、ドームの麗しきお坊ちゃん! これは一体全体どういうわけかな!?」
「おはようございます。グレイフィールド卿。奥の部屋でお茶を一杯如何ですか?」
氷の貴公子の冷たい笑みも、炎のような髪を持つ公爵には効かないようだ。即座に誘いを切り捨てる。
「朝からそんなもん要らん。それよりさっさと理由を話せ! 何故街道の整備費用を削る!?」
「おや、もう伝わりましたか。財務大臣にはまだ伏せるように言っておいたんですが」
「ハ! 白々しい! あそこにはわしの息がかかった者が勤めていると知っておるくせに」
「ミレーのような優秀な人間が縁戚にいらっしゃるのは実に羨ましい限りですよ」
丁々発止のやりとりに、アマリアは吃驚して唯々眺めるばかりになってしまった。なるほど、どうやらミシェルはあの髪や美しさだけではなく、気の強さも父親譲りらしい。
「誤魔化すな! とにかく、わしは承諾しておらんぞ。お前のような青二才の言う儘になると思ったら大間違いだ!」
「やれやれ、困りましたね。ちゃんとミレーから聞いているでしょう? 王家が支援する街道整備の予算削減については……」
サミュエルはにっこりと愛想笑いを作る。明らかに目は笑っていない。
「グレイフィールド領の削減は僅か2割、それに比べてドーム公爵家の領地内では予算の4割を削ると」
「む、それはそうだが、これはお前が言い出したことだろう。ドーム公爵家だけで負担すれば良いではないか!」
「おや、青二才が街道整備の半分近くを自費で賄うのに、まさかグレイフィールド卿ともあろう御人がたった2割を出し渋るとは」
「なんだと!!」
卿の顔が、まさに火が着いたように赤くなった。サミュエルは明らかに彼を煽っている。
「削った予算をどこに充てるかもお聞きでしょう? ハーゲン地方の治水工事の支援ですよ。あそこは先日酷い洪水に遭った」
(えっ)
アマリアはその話に驚き、キューテックを見る。彼は微笑み頷いた。
今は初夏の終わり。もうすぐ夏本番、その後実りの秋となる。収穫後は各領主が農民から、そして王家が各領主から税を取り立てる時期に入る。つまり、秋が予算を組む年度の更新時期であって、今はその数か月前だから既に今年度の支援予算は殆ど残っていないのだ。だから洪水のニュースが入ってきた時にサミュエルは「財務大臣がキーキー喚きそうだ」と言ったのである。アマリアは宰相の一筆を思い出す。
(あの時ミレーさんが驚いていたのは……)
既に予算が組まれていたドーム公爵領とグレイフィールド公爵領の街道整備費を削り、ハーゲン地方の洪水対策に充てる事を宰相自ら提案したのかもしれない。
「我が公爵家と、ハーゲン地方のちっぽけな伯爵家とはなんの所縁もない。水害は同情するが、協力する義理は無い!」
「そこですよ」
宰相閣下は卿の言葉に喰いつくように人差し指を立ててみせた。そしてそのままその指をアマリアに向ける。
「ご存知でしたかね? 彼女はセーブルズ伯爵令嬢です。ミシェル妃殿下と大変親しい間柄だ」
アマリアはハッとして、すぐさま紺一色の服のスカート部分に手をかけ、淑女の礼を取った。
「アマリア・セーブルズと申します。3年前、領地が洪水に見舞われました折に、無事建て直せたのは妃殿下のお口添えがあってこそでございます。その後も、妃殿下には度々お目をかけて頂き感謝に絶えません。私も、父も、妃殿下には並々ならぬ御恩がございます。いつかその御恩がお返しできる日を待っております」
頭を下げたまま、心からの御礼の言葉を述べる。
「……ああ、セーブルズの……随分と地味な格好をしているんだな。平民かと思ったぞ」
「彼女は普段は節制をし倹しく暮らしているんです。まだ領地が復興して間もないですからね」
「ほう。それは感心だな」
(なっ! 違うって言ったのに!!)
アマリアの焦りに気づかないのか、それとも気づいていないふりをしているのか、サミュエルは勝手に話を進める。
「セーブルズ領が洪水に遭った際、王家からの支援を受け領地を再建する事が出来たのは、ミシェル妃殿下が『王子妃用予算を削っても良い』との鶴のひと声を発されたお陰だったというのは有名な話でしょう。妃殿下は慈愛に満ちた優しい御方だと評判になったはずです。……一時期はね」
「……何が言いたい」
「最近、口さがない者はこう言っています。『妃殿下は自分の懐に入れた人間には甘いが、それ以外には厳しく冷たい』と」
「……ぐっ」
グレイフィールド公爵は表情こそ変えなかったが、小さく呻いた。ミシェルの苛烈な性格からしてそれは図星なのだろう。
「如何でしょう。卿さえ今回の案に同意して頂ければ、この提案は妃殿下からなされ、私も同意したものとして表向きは扱わせて頂きます。……勿論、両家の費用負担の割合は伏せたうえで」
「……敢えて関係の無い家にも慈悲を与える、か」
「はい。尤も……」
宰相閣下はわざともったいぶったように一旦言葉を止めてから続けた。
「……実際の費用負担は、想定の半分程度かと考えていますがね」
「ん?」
「皆が皆、倹しく暮らしているわけではありません」
「……ああ、なるほど?」
炎の化身のような公爵は、そこで初めてニヤリと笑った。
「わかった。だが青二才の宰相の言う事を鵜呑みにするわけにはいかん。そうだ! お前の見立てが外れれば、1割はそちらが負担しろ」
「それではどちらに転んでも卿は僅か1割の負担で妃殿下の評判を得られる。一方こちらは損しかしませんので面白くありませんね。……どうでしょう。もし見立てが外れたならば、私はミシェル妃殿下の『お願い』をひとつ、何でも聞くと言うのは?」
グレイフィールド公爵は今度は呵々と笑う。
「それはいい!! あやつはお前を目の敵にしているからな。さぞ無理難題を言ってくるぞ!」
「ご同意、誠にありがとうございます」
「うむ。ではまたな」
公爵は話が纏まった途端、サッと踵を返して帰って行った。サミュエルとキューテックは涼しい顔をしていたが、アマリアは呆然とせざるを得なかった。
(まるで炎を纏った嵐のような御人だわ……)












