第三十九話「真宵の覚醒 4(終)」
「あはっあはあはあはっ。真宵くん、終わりだよぉ。あ~んな馬鹿正直に言う奴がいるかよぉ。ほ~んと馬鹿!」
路上でけたたましく笑い転げる伊谷見を前にしながら、僕はうろたえていた。
背後には江豪先生の自宅の門がそびえ立ち、厳重に閉ざされている。
江豪先生に追い出された僕らは、途方に暮れるしかなかった。
――いったいどうしてこんなことになったのか。
時は一時間ほど前にさかのぼる。
◇ ◇ ◇
「いやぁ先生! 本日の玉稿も大変感激いたしましたよぉ~。ついに悪魔王と主人公が手を取り合う大団円。これが絆というものですねぇ~」
「ははは、そうだろう。何章も前からの布石が生きてきているわけだよ」
「素晴らしいっ! 映画化間違いなしですねぇ~!」
馬鹿みたいに笑う伊谷見と、煽てられて笑う江豪先生。
その姿はひどく滑稽だった。
僕は伊谷見の案内の元、脚本家の江豪先生の元を訪ねていた。
江豪先生は鬼頭局長の公認チームと契約しているシナリオライター。
しかし伊谷見のなあなあな態度と江豪先生の暴走のせいで、シナリオや世界観設定はとんでもない方向にずれていた。
伊谷見は江豪先生の暴走を諦めているようで、ゲームにシナリオを反映しないつもりのようだ。
だから聞くに堪えない伊谷見の言動も、すべて嘘だと知っている。
有名脚本家ともあろう人間がこんな無能に踊らされてるなんて、見るに堪えなかった。
彩ちゃんがここにいたら、どうするんだろう。
きっと放置しない。
彩ちゃんはクリエイターやお客さんの心に寄り添うことを第一に考える。
伊谷見をたしなめて、江豪先生の暴走を止めようとするだろう。
……だから、僕は口を開くのだ。
「江豪先生。正直に申します。……今のシナリオは未採用が決定しています」
「ま、真宵っ! なな、何を言うんだ!?」
伊谷見は当然止めようとするが、そんなこと、知ったことではない。
僕はぐいっと先生に詰め寄った。
「今のまま進められても、メインターゲットが望むものと乖離しすぎて活用できないんです。伊谷見さんもそうおっしゃってたじゃないですか」
「先生、嘘ですよぉ、嘘!」
「伊谷見さんは黙ってください!」
「……その慌てぶり。本当なんだね?」
僕らのやり取りを見ていて察してくれたのか、江豪先生は神妙な面持ちになった。
そして、眉間にしわを寄せて僕をにらみつけてくる。
「真宵くんといったかね。……私のシナリオのどこがまずい? 言ってもらおうか」
父親ほどに歳が上の男性に凄まれては、心臓を鷲掴みにされたように震えてしまう。
自分の行動がまずかったのかと不安になったが、まだ何も伝えられていない。
僕は心を奮い立たせて立ち向かう。
「まず『歌』がテーマになっていることです。本作のメインターゲットは小学校高学年の男の子です」
「それが何なのかね? 映画でも歌で盛り上がることがある。小学生なら合唱も身近だろう」
「身近でも、恥ずかしいものは恥ずかしいんですよ。……僕が小学生の頃に観たアニメで、急にキャラが歌い始めた時があったんです。もう胸がムズムズして、早く終わってくれないかなって思いました。先生もアニメの脚本を担当されているのなら、そんな話を聞いたことはないでしょうか?」
「真宵、もう黙れぇ!」
「いいから続けさせたまえ」
伊谷見が悲鳴を上げるようにつかみかかってきたが、なんと江豪先生が伊谷見を止めてくれた。
二人の視線が注がれる中、僕はターゲットの子供たちを想いながら、言葉を絞り出す。
「と……特に我々のゲームは、友達同士やネットワーク越しの誰かと一緒に遊ぶゲームなんです! 思春期に差し掛かろうという男の子がワイワイ遊ぶのに、気恥ずかしい気持ちなんて持ち込ませたくないんです!」
その想いが通じたのか、江豪先生は目を泳がせながら胸に手を当てる。
「一緒に遊ぶときの……気恥ずかしさ、か」
……そうつぶやき、噛みしめるように目を閉じた。
分かっていただけたのか?
不安と期待が混ざり合う中で、先生の言葉を待つ。
……しかし続いて出た言葉は、先ほどまでの話題と異なっていた。
「そもそものことを思い出したんだが、事の発端はゲームの世界観の意味だったのだ」
「意味……ですか?」
「ああ。物語をつくるにあたって、重要な要素にメッセージ性を込めねばならん。本作では『魔法』と『悪魔』がそれにあたるのだが、どうしてそのモチーフを採用した?」
試されている。
……そう思った。
否定や批評をするのなら、僕の作品の価値を証明してみせろ、ということだ。
きっと高尚な理由を求められているのだろう。
でも、ここで取り繕っても仕方がない。
僕は正直に話すことにする。
「悪魔はわかりやすい敵ですし、悪魔が持つ特殊能力を魔法と呼ぶのは自然です」
「それだけ? では、なぜ主人公の魔法使いに『悪魔の力を借りている』という設定を付けた?」
「悪の力を用いて正義を成す。普通にダークヒーロー的でカッコよくないですか?」
意表を突かれたような先生を前にして、僕は飾らずに言葉を続けた。
すると、関係ないはずの伊谷見が唐突に食って掛かってきた。
「おいおい真宵くぅん。そんなん、ぼくも考えてたよ! でももっと、こう……なんか必要だろ? 高尚なメッセージ性がさぁ。先生のシナリオはそのあたりが素晴らしいんだ。なぜ戦うのか、なぜ味方を踏み台にするのか……。そんな疑問に丁寧に答えてくれている。戦いばかりのゲームの中に、一つの物語を作っていただけてるんだよぉ!」
饒舌にまくしたてる伊谷見。
江豪先生も代弁してくれたことを感謝するように、伊谷見の言葉にうなずいていた。
でも、そもそも今回のゲームに求めるシナリオとして、前提が間違っている。
僕はディレクターとして指摘しなければいけない。
「……あの。今回のゲームって『悪い敵をやっつけてスカッとしたい』って気持ちを満たしてあげたいんです。あと『他の誰よりも俺スゲー』って気持ちも満たしてあげたい。……戦うことへ疑問を投げかけるなんて、邪魔です」
「じゃ……ま?」
「何度でも申し上げます。邪魔です」
呆気にとられた表情の二人を前に、僕はハッキリと言葉を口にする。
「ゲームでは、お客さんの欲求を叶えることが一番大切なんです。今作ではスカッとした気分にさせたいのに、余計なメッセージをまぜてモヤモヤさせたくありません!」
ここまで来て、江豪先生は酷く落ち込んでいるように見えた。
当たり前だ。
何か月も作り続けてきた作品を、根底から覆してしまったのだから。
「……真宵くん。君の言い分はよぉくわかった。私のシナリオが使い物にならないこともね。…………しかし、しかしだ。今までに書き上げてきたものはどうなるのかね? この私の時間と努力。そしてこの想いは……どうなるのかね?」
「これまでの成果物は受領いたします。それは、ここの伊谷見がディレクターとして判断したものですから」
「なんだよぉ真宵くん。場を乱しただけで、結局受け取るんじゃないかぁ! せ、せ、先生に謝りなさいな!」
伊谷見は勢いよく僕の頭をつかむと、無理やりに頭を下げさせようとしてくる。
やめろ!
話はまだ終わっていない!
僕は必死に耐え、そして江豪先生に向かって目を見開いた。
「……しかし、今のディレクターはこの真宵です。今後の判断は僕がやります! このままでしたら、一切受け取る気はございません!!」
――長い沈黙。
僕は伊谷見の手を振りほどき、うつむいたままの江豪先生に歩み寄る。
先生は、肩を震わせていた。
「私は……私はねぇ。敵と味方が歌で手を取り合う物語をずぅっと書きたかったんだよ」
「それはご自分で、自由に執筆なさってください。今のシナリオは、このゲームと間違いなく相性が悪い。このまま製品に使うとお客さんのバッシングに合います。……先生の名前が穢されるのを、僕は放置できませんでした」
「……少しぐらい、よくないかね?」
「ダメはダメと言う人が必要なんです。僕はディレクターとして、言葉を変えられません」
僕は背筋を伸ばし、そう伝えた。
すると次の瞬間、真っ白い紙吹雪が宙を舞った。
先生が原稿を破り捨て、ばらまき始めたのだ。
ある原稿はグシャグシャに丸められ、ある原稿は舞い散りながら床一面に広がっていく。
そして野獣のような唸り声を上げながら、江豪先生は伊谷見につかみかかった。
「伊谷見くん、君は言ったよねっ!? 『歌はいい』と!!」
「えっと。あ、はい。素晴らしいと思いますよぉ」
すでに先生は僕を見ていない。伊谷見を追求するように目を見開いている。
伊谷見は愛想笑いを浮かべながら、顔を引きつらせていた。
「ふん! ……君、私の機嫌をうかがっているだろう! そのぐらい分かるよ。私をおちょくっているのかね!? 腹の底ではボツにするつもりで、物語の完結まで書かせておいて!」
「い、いやそんなぁ!」
「では、なぜ今までオッケーを出していたのかね? 一人で盛り上がっている私を滑稽だと笑っていたのではないかね?」
「あああ、あのぉ……」
江豪先生は伊谷見の巨体をものともせず、玄関を開け放つと彼を外に放り出した。
つまずいて後ろ向きにゴロゴロと転がり出ていく伊谷見。
「伊谷見! 君は金輪際、立ち入りを禁ずる!! 出ていけーーーーっ!!」
怒号を浴びせられ、あっけにとられる伊谷見。
そして玄関の扉は無情にも閉ざされたのだった。
嵐のような一時が過ぎ、玄関の内側では僕と江豪先生の二人きりになる。
先生は呼吸を乱しながら、僕を静かに見据えた。
「真宵ディレクター。……こんな滑稽な私の原稿が、今でも欲しいか!?」
「もちろんです。ディレクターとして、とことんお付き合いする所存です」
真摯な姿勢で先生と向かい合う。
僕にできることは、それだけだと思った。
江豪先生は表情を硬くしたまま、僕に背を向ける。
そして去り際につぶやいた。
「…………ふん。渡す物なんてない。帰りたまえ」
◇ ◇ ◇
「あはっあはあはあはっ。真宵くん、終わりだよぉ。あ~んな馬鹿正直に言う奴がいるかよぉ。ほ~んと馬鹿!」
江豪先生のお宅を出ると、路上で伊谷見がけたたましく笑い転げていた。
自分が怒鳴られたのに、なんで笑えるんだろう?
意味が解らなすぎて途方に暮れるしかなかったが、絶望しすぎると笑うしかないのかもしれない。
自分のやってきた罪をバラされ、断罪された。
あまりに自業自得で、なんのフォローもしようがない。
しかし僕も困っているのは同じ。
こうなったきっかけは僕にあるのだから、鬼頭に責任を取らされるのだろう。
なんとか鬼頭に近づきたかったが、ここまでか……。
でも、後悔はしていない。
ここで止めなければ、江豪先生は間違いなくお客さんに叩かれていた。
あの人を道化にしなくて済んだのだ。
これもディレクターとしての責任。
僕は自分の判断を誇りに思う。
◇ ◇ ◇
――しかし数日後。
僕と伊谷見は、満面の笑みの鬼頭と対面していた。
「いやぁ真宵くん! さすがは俺が見込んだ男。見事な手腕だな」
「えっと……。どうしたのでしょうか?」
状況が飲み込めないままでいると、鬼頭は局長室のデスクの上に大きな封筒を置いた。
封筒の中には紙の束が入っている。
「これを見なさい。江豪先生の新たなシナリオだそうだよ。準備に時間がかかって申し訳ないとおっしゃっていた。本来ならすぐにでも渡したかったのだと」
「う……嘘でしょぉ? あ、あ、あの江豪先生が?」
うろたえている伊谷見に構うことなく、鬼頭は満足そうに僕を見つめてくる。
「江豪先生が君に特別な感謝を述べられたのだ。暴走してしまった自分を想い、戒めてくれた。……新たなディレクターのおかげで目が覚めた、とな」
そしておもむろに立ち上がると、鬼頭は僕の目の前までゆっくりと歩み出てきた。
「それにしてもだ。真宵くんの成果は目覚ましいな! 仙才先生からもデザインが届き、プロトタイプもちゃんと動くようになっているではないか。伊谷見が三か月以上も達成できなかったことを、ほんの一か月ほどで覆してみせたわけだ」
僕の目の前に突き出される右手。
それは鬼頭の信頼を勝ち得た証だった。
「よくやったな、真宵くん」
「あ……ありがとう……ございます」
宿敵の信頼を得て、僕はホッと胸をなでおろす。
触れたくもない右手だが、今だけは喜んで手を取ろう。
僕は鬼頭と固く握手を交わした。
そして次の瞬間、鬼頭の表情が豹変した。
鬼のような形相で伊谷見をにらみつける。
「伊谷見ーーーっ!!」
「ひゃ……ひゃいっ!」
「貴様。開発チームから『邪魔してくる』と抗議が来ているぞ!」
「えっ……?」
「さらには江豪先生。お前のおかげでいらぬ手間が生じたと、この俺に抗議があった! 仙才先生をノイローゼにするわ、邪魔ばかりするわ。恥をかかせおってっ!!」
圧倒的な怒声と共に、デスクが激しく叩かれた。
その拍子にすっ転んだ伊谷見に、さらなる怒声が浴びせかけられる。
「貴様は本当にいらんわーーーっっ!! 開発チームはクビだ!!!」
「ぼ、ぼく……どうすればいいんですかぁ?」
半泣きの伊谷見。
その言葉を打ち消すように、鬼頭はバンバンとデスクを叩き続ける。
「黙れ! 知らんわ! キャリア開発室に行くかぁぁっ!!?」
ああ、まずい。……僕は思った。
伊谷見が追い出し部屋に追放されると、彩ちゃんたちが仕事できなくなってしまう。
僕はとっさに鬼頭の前に躍り出た。
「局長! 伊谷見さんはずっと僕をサポートしてくれた恩人なんです。追放することだけは勘弁していただけませんか!?」
「真宵……。君は本当に優しい男だな。はっはっは。その姿勢で江豪先生を惚れさせたわけだ」
鬼頭は豪快に笑い、そして伊谷見をゴミを見るような目で見降ろす。
「ふん。伊谷見。真宵くんの心意気に感謝するんだな。……勝手に次の仕事を探せ。俺の目の前に二度と姿を見せるな!」
「は……はいぃぃぃ……!」
悲鳴を上げながら、床を這うように退室していく伊谷見。
よかった。
彩ちゃんたちを邪魔することもなく、邪魔な伊谷見も排除できた。
鬼頭を見ると、伊谷見の去りざまを満足そうに眺めている。
そしてその笑みのまま、僕に視線を戻した。
「ああ、ところで真宵くん。来週あたりでも打ち合わせをしたいのだが、よいかね?」
――なにか内密の相談だ。
僕は瞬時に察した。
ついに、鬼頭の懐に潜り込めたのだ。





