第十五話「栄光の第一歩 2」
企画審査会への彩の乱入より、時は少しさかのぼる。
審査会が始まる直前、彩は会議室の外でハラハラしながら行く末を見守ろうとしていた。
その時――。
「おい。これ、シュレッダーにかけて来い。業務命令だっ!」
「あああ……待ってください!」
唐突に部長さんの怒声と真宵くんの悲鳴が聞こえ、慌てて会議室の扉に視線を注ぐ。
その直後、開け放たれた扉から一人の男性が飛び出してきた。
手には書類の束。
見間違えるはずもない、あれは私たちが命がけで作った企画書――!
『デスパレート ウィザーズ』のすべてだった。
「あ、あのっ、待って!」
とっさに声をかけるけど、その人はわき目もふらずに走り去っていく。
必死に追いかけてたどり着いた先で目にしたのは、私たちの企画書がシュレッダーのけたたましい音に飲み込まれていく瞬間だった。
やめて!
やめて!
それは私たちの夢。
あの小学生の男の子たちに贈りたい夢を、壊さないで――!
シュレッダーにかける人が許せない。
こんなことを命じた部長さんが許せない!
あふれた涙で視界が歪む。
凶行を止めようと駆け寄ろうとした時、突然背後から誰かに取り押さえられた。
私は口をふさがれ、ものすごい怪力でシュレッダー室から引きずり出されていく。
もう取り返しのつかない時間が経ったであろう頃、何者かの力が弱まった。
私はとっさに邪魔をした人物を振り返る。
……そして、驚きを隠せなくなった。
「田寄……さん?」
「心配になって様子を見に来れば、案の定だよ……。ただ、今は妨害しないほうがいい」
「ふぐぅぅ……。でも、でも私たちの夢がぁぁ……」
「泣かないで。……大丈夫。なくなっちゃいないよ」
そう言って彼女が取り出した書類の束……。
それは無くなってしまったはずの、私たちの企画書だった。
田寄さんの話によると、彼女はこのことを想定していたらしい。
いざという時のために、あらかじめ私たちの企画書のコピーを用意してくれていたのだ。
部長さんの部下の凶行を止めなかったのは『私たちの企画が確実に消えた』と部長さんに思い込ませるため。
切り札は最後まで隠しておくもの。
そして、ここからが反撃のチャンスらしい。
「碇部長のやり口はよく知ってる。……こんなこともあろうかと思っていてね。役に立ってよかったよ」
「田寄さん……!」
「彩ちゃんはこれから、会議室に飛び込んで企画書を見てもらうんだ。でも、決してうちのお偉いさんに渡しちゃいけない。部長側の人間だからね。……必ず、ルーデンスのプロデューサーに手渡しするんだ」
「どうやって見分ければいいの?」
「首からぶら下げてるカードキー。ゲストって書いてある人だよ」
私たち従業員は社屋に入るために、必ず社員証付きのカードキーを首からぶら下げている。
ルーデンス・ゲームスの人たちは親会社の社員といっても普段ここで働いてるわけではないので、入館の際にはゲスト用のカードキーを使うことになっていた。
「さあ、涙をおふきよ。負けるんじゃないよ!」
「ありがとう、田寄さん。……行ってきます!」
……そして会議室に乱入したことによって、この状況が出来上がったのだった。
◇ ◇ ◇
「見て欲しい物があるんですっ!」
私は息を切らしながらも、抱き枕の中に手をつっこむ。
そして中に隠していた企画書の束を取り出した。
プロデューサーさんに手渡すまで絶対にバレないように、ここに隠していたのだ。
その時、真宵くんをひきずりながら部長さんが詰め寄ってきた。
「新人が失礼しました! それは無関係の企画でしてね。回収させていただきます!」
そして、私の肩に痛いほどにつかみかかる。
……でも、もう時は遅かった。
企画書は私の元を離れ、プロデューサーさんの手の中にある。
プロデューサーさんはパラパラっと企画書を眺め、顔を上げた。
「無関係って言うには、今回求めてる企画の条件をちゃんと満たしてるよぉ? それに、こんな売れそうな絵を見過ごせるわけないじゃ~ん」
――売れそうな絵。
その一言が何よりも嬉しい。
天にも昇りそうな気持ちになって、ついつい口元が緩んでしまう。
「この絵を描いたの、君でしょ?」
「は……はい!」
「そうだと思った~。君、プランナーって感じはしないもんね」
ニヤリと笑うプロデューサーさん。
すると、奥に座っている白髪交じりの男の人が咳払いをした。
「こらこら。阿木内くん、さすがに暴走は容認はできんな」
その年配の男の人はゲーム会社なのに背広を着ていて、それだけでかなり偉い人なんだと分かる。
「今回の審査会はあくまでも碇くんと、そこの……マヨイくんといったかね? この二人のプレゼンの場なのだ。部外者の企画を扱っていい場ではない」
「そ、そうだとも。……夜住! 即刻、退出しろ!」
部長さんが顔を歪めながら私の腕をつかむ。
その時、真宵くんが穏やかな口調で声を上げた。
「そういうことなら問題ありません。その企画のプランナーは僕です。資料に記名もあります。そこの夜住 彩さんの名前も」
「どういうことかね?」
「きちんと企画書を準備していましたが、シュレッダーにかけるよう碇部長に突然命じられたんです。でも、共同企画者である彼女が持ってきてくれて、間に合いました」
「おやおや~? 碇部長。それってパワハラなんじゃないの~?」
パワハラ。
プロデューサーさんのその一言に、周囲がざわつきだす。
白髪交じりの人の表情もこわばったように感じられた。
「碇くん。それが本当なら、見逃すことはできないねぇ」
「鬼頭局長!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
鬼頭局長と呼ばれたその人は立ち上がり、周囲を見渡す。
慌てる部長さんを無視するように、深々と頭を下げた。
「みなさん。我が局の局員である碇くんが大変なことをしてしまいました。誠にお恥ずかしい……。ここはこの若者たちの企画を審査するということで、お許しになってはいただけませんかな?」
その言葉が決定打になり、真宵くんと私の企画は正式に審査されることになった。
真宵くんの方を見つめると、彼は静かに微笑んでウインクを返してくれる。
部長さんに屈さず、堂々と名乗りを上げてくれた真宵くんに感謝の気持ちが止まらない。
この後、私も審査会に同席することを許されたのはいいけれど、さすがにフザけすぎっていうことで抱き枕を没収されてしまった。
抱き枕は私の電池のようなもの。
あれがなくては気力が持たないので、残念ながらここから先、私の意識はない。
薄れゆく意識の最後の記憶――。
それは今にも泣きそうな部長さんの顔だった。
◇ ◇ ◇
俺の企画が却下も同然の『判断保留』となっている今、新人どもの企画が取るに足らないゴミだと期待するほかない。
しかし目の前の企画書のページをめくるたび、心がかきむしられていく。
これは売れる。売れてしまう。
表紙を見た時の俺の危機感は正しく機能していたわけだ。
なんでこれを、あの新人どもが?
どのページも隙がない上に、書面だけでも面白さの予感がある。
市場の分析と販売見込みに関する資料など、まるで何十年と一線を走り続けたような風格を感じさせる。意味が分からない。
プレゼンする真宵の声も、捨て企画の時とは比べ物にならないほどに生き生きしていた。
何よりも絵だ。
俺が求めている物と全く違うのに、それでも視線を離せない。
魔力と呼べるものが宿っていた。
しかも膨大な数のイラスト素材。
夜住を追放してから二週間しか経ってないのに、どうやってこれを作り上げたんだ?
複数人での分担も考えたが、それにしては絵柄がそろいすぎている。
仮に一人で描きあげたとすれば、それはもう化け物というほかない。
夜住の様子を横目に見ると、今は魂が抜けたように脱力しており、マヌケ以外のなにものでもない。
この神聖な場にふさわしくないからと抱き枕を取り上げたが、こうしてみると、やはりただの無能女にしか見えなかった。
真宵のプレゼンが終わった瞬間、阿木内はニヤリと笑った。
「こっちを採用しましょっか~。みなさん、異存はあります~?」
異存が出るわけがない。
大勢はすでに決している。
しかし、だからこそ俺がここで折れるわけにはいかない!
今まで何のために頑張ってきたというのだ。
神野を退職に追い込み、奴の仲間を追い出し部屋送りにしてきた。
すべては俺が成り上がるためじゃないか!
栄光の第一歩。この第一歩でつまづくなんて、あってはならない!
俺は新人どもの企画書をつかみ、力いっぱい握りしめる。
「阿木内さん、ちょっと待ってくれ! 元々の要件に合致してるのは、明らかに俺の企画だろう? こんな暴力的なビジュアル、小学生に向けて出せるわけがない!」
そう、俺の目に魅力的に見えるのも無理はない。
俺は大人だからだ。
暴力的な表現にも目が慣れており、刺激にも強い。
安らかな成長を促すべき子供に、こんな刺激を与えていいはずがない!
「まあそうだね~。現状ならレーティングは『15歳以上対象』は確実かな? 小学生高学年向けとは言えないよね」
「だろう?」
「でもね、それは飛び出た部分を直せば済む問題なんだよね~。刺激のない退屈な物に頑張って足すより効率的さ。何よりも、子供たちは多くの場合、刺激を求めてる。それに応えてあげるのがエンターテイナーの役目じゃないの?」
刺激のない退屈な物。
阿木内が言うそれが暗に何を示しているのかは明白だった。
俺の企画のことだ。
神経を逆なでされて、我慢も限界を超えそうだ。
それでも阿木内はニヤついた顔をやめることなく、さらに嘗め回すような視線を俺に投げかける。
「っていうか、そういう分析をする前に感じないのぉ? これ、絵だけでも売れるよ?」
「それは我々が大人だからだ! 大人がいいと思っているものが、子供と同じであるわけがない! 子供の視線に立てないバカが語るんじゃない!」
「うわぁ、残念。これでも調査で生の声に触れてるし、市場のデータも持ってるんだけど、傷つくなぁ~」
阿木内の大げさな態度が腹立たしい。
こいつはきっと、こんな調子で人々を煙に巻いてやってきたんだろう。
しかし俺は揺らがない。
切り札を使うときがやってきたのだ。
阿木内から視線を外し、鬼頭局長へ向き直る。
「受容性調査の実施を申請いたします! 絵柄の問題は多分に感覚的なもの。この会議室でああだこうだと言っていても仕方がありますまい。メインターゲットである子供たちの生の声を聞けばいいのですよ!」
受容性調査。
コンセプト受容性調査とも呼ばれるそれは、調査会社の協力の元、メインターゲットとして選定した人々の反応を測定する方法だ。
多数のターゲットからWEBアンケート形式で数値を導き出す手法と、少数のターゲットを一か所に集めて座談会形式でコメントを拾い上げる手法のふたつが同時に行われる。
秘密を守られた調査によって、発売前でもユーザーの反応をうかがうことができるわけだ。
「碇くん、親会社の皆さんに失礼が過ぎるだろう? それに調査は何百万とかかる。無駄に使うこともなかろう」
鬼頭局長は眉をひそめ、俺をなだめるように言う。
そう言われることぐらいわかっている。
しかし、もう引き下がることなんてできない!
俺は深々と頭を下げた。
「これでダメなら、俺はプランナーとしての筆を折る。その覚悟です!」
調査さえ実施されれば勝てる。
親会社が何と言おうと、調査結果を前にすれば文句は言えない。
プロデューサーはしょせん、ゲームを売る側の人間。
売れる確証が得られれば、たやすく態度を変える風見鶏でしかないのだから。
しんと静まり返った会議室に時計の針の音だけが響き渡る。
そしてどれぐらいの時間が経ったのだろうか――鬼頭局長が口を開いた。
「碇くんがそこまで言うなら、やってやろうじゃないか」
「あ、ありがとうございます!」
「だがな。結果を出せなければ……わかっているな?」
これまでの柔らかな口調とは異なる、暗く重い一言。
心臓が握りつぶされるような威圧感の中で、俺はさらに深く頭を下げた。
「……はい。覚悟しております」





