驚きの地下探訪 前編
「ノエミ姐さん、ノエミ姐さん! この穴は怪しすぎるにゃ! うちの本能が入っちゃダメだと告げてるにゃ」
「何度も言ってますが、私とあなたには血縁関係はこれっぽちもありません。関わりがあると思われたくないので、あまり気安く話しかけてこないでください」
「そんな酷いこと言ったらダメにゃ。ハンスのおっちゃんも辛そうにゃ」
「だ、だから、ハンスさんは関係ないでしょ!」
「どうかされましたか? ノエミさん」
「いえ、なんでもありません。少しばかり緊張をほぐしておこうかと……」
「ああ、分かります。わたしも最初に挑んだ時は、結構身がすくみましたからね。でも、こちらを飲めば、少しは安心できると思いますよ。はい、ティニヤさんもどうぞ」
そう言いながらハンスが手渡してきたのは、ガラス瓶に収められた薬剤であった。
これ以上はないほどの怪しさであるが、二人をさり気なく笑顔で取り囲む村人たちの様子から拒否権はなさそうである。
手渡された謎の液体を手に、互いの目を合わせるノエミとティニヤ。
しばしの沈黙の後、意を決し同時にあおる。
なんともいえない味であったが、喉に痛みや痺れなどの異変はないようだ。
ホッと息をつくノエミの姿に、ティニヤが心配げに尋ねてきた。
「毒じゃないのにゃ? 姐さん」
目を向けると、ティニヤの瓶の中身はちっとも減っていない。
飲むふりだけしてみせた獣人種の少女に、ノエミは優しく微笑んだ。
「ええ、これ凄く美味しいわよ。飲まないのなら、それもいただけるかしら?」
「ダメにゃ! これはうちがもらった分にゃ!」
慌てて言い返したティニヤは、ギュッと目をつぶってガラス瓶を口に当てる。
喉が動いたのを見計らって、ノエミは言葉を続けた。
「そう言えば、私はお嬢様に請われてここまで来たのだけれど、あなたはどうだったかしらね。えっと、どなたかを逮捕するんでしたっけ? でしたら私とは中身が違ってくる可能性も――」
明確な立場の違いを示唆すると、その意味をすぐに悟ったのかティニヤの顔がみるみる青ざめ、むせながら勢いよく液体を吹き出してしまう。
飛んできたしぶきを躱そうと飛び退ったノエミだが、その目が大きく見開かれた。
即座に分かるほど、自分の体が軽くなっていることに気づいたためだ。
「これは!? 今、飲んだのって……」
「はい、身体能力を高める薬ですよ。貴重なのであまり無駄にはしないでくださいね」
「す、すみません、ハンスさん」
「うにゃ! なんか足がよく動くにゃ! 腕もブンブンできるにゃ!」
「ティニヤさんも準備はできたようですね。それでは参りましょうか」
「え? ま、まさか本当に今から地下迷宮へ入るのですか?」
「はい、お二人の新しい職場ですからね。早めに慣れていただかないと」
「うちはここで働くっていってないにゃー! あー押すにゃー!」
ズルズルと押し込まれてしまった二人だが、まっすぐに伸びる石造りの通路の不思議さにすぐさま目を奪われてしまう。
そして案内されるまま奥へと進み、最初の魔物と対峙した。
「って、これ村で見たやつにゃ。プルプルしてるにゃ」
「スライムね。あ、そんな、うかつに近づくと――」
地面に居た青い楕円体は、いきなり跳ね上がり侵入者との距離を詰めた。
が、まばたきする間もなく動いたティニヤの体は、一瞬でその後方へと移動する。
すれ違いざまに突き出された短剣の刃に、すっぱりと切り裂かれる魔物。
あっけなくスライムは、そのまましぼみつつ地面へ落下した。
「急に動くからびっくりしたにゃ!」
「……意外と素早いのね、あなた」
「うち、避けるのだけは上手いってよく褒められたにゃ。あとこの剣、すごく切れ味がいいにゃ!」
「当たり前でしょ。それ魔黒鉄製よ」
そんな高価な武器を平然と貸し与えるパウラに、ノエミは改めて畏怖の眼差しを向けた。
聞いたこともない身体強化薬に、貴重な素材で作られた武具。
だがあの貧相な村には、それらしい大きな工房は見当たらなかった。
王都に持ち込まれた白照石のランタンの細工からして、凄腕の職人や錬成術士が少なくとも二桁は必要となるはずだが……。
魔力を気にする必要はないと言われたので、無数の疑問を抱えたままノエミも<魅惑>を使って戦闘へと参加してみた。
サクサクと魔物が倒せるせいで、歩みはほぼ止まらぬまま最奥へとたどり着く。
巨大な青いスライムに多少驚いてはみたものの、ハンスの手助けもあり五分足らずで片付いてしまった。
その後も洞窟だったり密林のようであったりとくるくる景色は入れ替わり、出てくる魔物も不気味な骨の犬だったりバカでっかいミミズだったりと、驚きは尽きぬままであった。
そして四番目の階段を下り、不意に眼前に開けた風景に二人の目は最大限に見開かれる。
「こ、こ、ここは……?」
「本当に地面の底なのにゃ? きっと、きっと、きっとうちら騙されてるのにゃ……」
広大な空間を前に立ち尽くす二人。
しかしじっくり感慨にふける間もなく、すぐさま新たな驚きが押し寄せてくる。
「にゃにゃにゃ! なんかでっかい鳥が来るにゃ!」
「ゴ、ゴブリンが乗りこなしているの……?」
「ああ、ちょうどよかったわ、ノエミ。あれの引き継ぎをお願いしてもいいかしら?」
「え、私ですか? 引き継ぎとは何のお話でしょうか……?」
新たな雇用主の唐突な発言に、ノエミは首を傾げながら考える。
おとなしく背中に鞍やゴブリンたちを乗せている時点で、この大人の身長を軽々と超える鳥がパウラに<従属>しているのは間違いない。
それを引き継ぐということは、これの世話を見ろということだろうか。
「それじゃあ、解くわね」
「へ?」
パウラの魔力が潮が引くように消え失せていくことに、ノエミはもう数え切れない何度目かの驚きの声を放った。
同時に目の前の大きな鳥のギョロギョロした目に、野生が戻っていくさまを呆然と眺める。
「はい、どうぞお願いね」
「な、何をですか?」
「何って、もう使えるでしょ?」
悠長な会話の続きを待つほど、大きな鳥の気は長くなかったようだ。
雄叫びを上げたかと思うと、背中のゴブリンたちを振り落とし、分厚い爪が生えた足を立ち尽くす獲物へと持ち上げる。
迫りくる危険に身動きを忘れるノエミの前に、一陣の風のごとく現れたのはハンスであった。
小型の盾を素早く持ち上げ、踏み潰そうとした大鳥の足を真っ向から受け止めてみせる。
「ご無事ですか?」
「え、ええ。あ、あの……」
「大丈夫ですよ、ノエミさん。貴方にはもう新たな力が備わっております。さあ、自分を信じてみてください」
この一ヶ月、さんざん近くで見てきたのだ。
だからこそハンスの言葉に嘘はないと、ノエミにはしっかりと分かっていた。
顎を引き目をつむった魔物使いは、己の中を懸命に探る。
そして見知らぬ特技が、いつの間にか自分の内に生じていたことに気づく。
驚きながら両目を開いたノエミは、尻尾を通じてその魔力を開放する。
<魅惑>からの<従属>!
一瞬にして大鳥の猛々しい気配は消え去り、何ごともなかったように静かに足を下ろす。
その様子をまばたきも忘れて眺めながら、ノエミは絞り出すように呟いた。
「わ、わたしが<従属>を……。そんな……本当に?」
「ええ、お見事ですよ」
「なんかよく分からないけど、すごいのにゃ。さすがはノエミ姐さんにゃ!」
「だから、私はあなたの姉でも妹でも……」
溢れ出した涙で最後まで言い切れずに、ノエミは言葉を詰まらせた。
これほどの驚きと喜びが待ち構えていたとは、昨日までの自分には決して予想できなかっただろう。
だが、その驚きはまだ手始めに過ぎなかったと、ノエミたちはすぐに思い知ることとなる。
「な、なんでこんなところに立派な村があるのにゃー!」




