驚きの村 後編
「ノエミ姐さん、ノエミ姐さん! この村は怪しすぎるにゃ! ここは力を合わせて乗り越える時にゃ」
「私はあなたの姉でも仲間でもありませんよ。ただの知り合い以下ですので、あまり馴れ馴れしく話しかけてこないでください」
「そんな冷たいこと言ったらダメにゃ。ハンスのおっちゃんも悲しむにゃ」
「ハ、ハンスさんは関係ないでしょ!」
「呼びましたか? ノエミさん」
「いえ、なんでもございません。ちょっとこの子に注意してまして」
「うん、うちは深く反省したにゃ。だから早くご飯よこすにゃ!」
酒場に入ったとたん漂ってきた鼻腔をくすぐる匂いに、ティニヤは一瞬にして手のひらを返したようだ。
口に端からよだれを垂らして、ハンスの首を掴むとゆさゆさと揺さぶりだす。
「はは、落ち着いてください。料理は山ほどありますからね」
その言葉通り、カウンターやテーブルの上には端から端までぎっしりと皿が並べられ、暖かそうな湯気があちこちから立ち昇っている。
春に一歩近づいたとはいえ、この時期には少々ありえない量だ。
さらに驚いたことは、その色とりどりの品数である。
収獲の乏しい寒季の農村の定番メニューと言えば、豆か芋の野暮ったい煮込みに黒く固いパン。
あとはせいぜい腐りかけた塩漬け豚がつけば贅沢なほうだ。
事実、この村に来るまでの食事の大半は、そんな感じであった。
だが、今。
目の前の皿の上でジュウジュウと音を立てているのは、血がしたたる分厚い骨付き肉の塊だ。
しかもただ焼いただけではなく、青い色をした甘い香りのソースまでかかっている。
その隣の深皿には、ホワイトソースたっぷりのグラタンが香ばしい匂いを放つ。
さらに鉄製の小鍋でグツグツと音を立てるのは、王都で大好評を博した翡翠油の小鍋煮である。
そしてそれらを照らし出す白い輝き。
テーブルの上に無造作に置かれた白照石の大きさに、猫娘は目をまんまるにした。
「姐さん、姐さん、信じられないにゃ! こんな大きな光る石、初めて見るにゃ!」
「ちょ、ちょっと、襟引っ張るの止めなさい。ほら、外を見なさいって」
ノエミの言葉に視線を窓の外に向けたティニヤは、そのまま絶句してしまう。
時刻は暮れ方を過ぎさり、村はとうに薄闇に包まれているはずである。
しかし家々の窓からは煌々と明かりが漏れ、広場の中央にある井戸までもが眩しい光に浮かび上がっているのだ。
「す、凄いにゃ。うちが住んでた下町よりぜんぜん明るいにゃ……」
信じがたい光景だが、この豊富な食材の件も含めて考えると、やはり特別な何か――。
パウラの叔父レオカディオの推測通り、地下迷宮が見つかったことはほぼ間違いないだろう。
となると、ただならぬ雰囲気を持つ幾人かが、村人たちに交じっていたのも説明がつく。
おそらくノエミと同様、地下迷宮を探るために集められた人材に間違いない。
種が分かってしまえば、そうそう驚くことでもないわね。
と、内心で呟いた魔人種の女性だが、その冷静を装う表情を保てたのはほんの数秒間だけであった。
「よし、みんな席についたね、それじゃあ、ハンスとお客さんらに乾杯するかね。パウラさん、頼めるかい?」
「はい、ウーテ様。ヨー、ゴブっち、お願いしますね」
先ほどノエミらを怒鳴りつけた女主人の言葉、パウラは奥に向かって柔らかく呼びかける。
間を置かず現れた存在に、ノエミの目は最大限に見開かれた。
それはふわりと宙を羽ばたく小さな人々だった。
自分の体よりも大きな水差しを手にぶら下げたそれらは、次々とカップに琥珀色の液体を注いで回りだす。
「な、なんなのにゃ、こいつら! ま、魔物にゃのか?」
「彼女たちは妖精ですよ、ティニヤさん。パウラさんの使役魔ですね」
「そ、そんな……」
いつの間にか<従属>を会得していたかつての主の娘に、同じ魔物使いであるノエミは声を詰まらせる。
そして動揺のあまり、無意識に手の中のカップに口をつけてむせてしまった。
果汁水かと思っていたそれは、喉を刺激する酒精入りであったようだ。
「おやおや、気が早い嬢ちゃんだね。もう飲んじまったのかい?」
「す、す、すみません」
「まあ仕方ないね。そいつはこの村の新たな名物、林檎酒さ。ちゃんと味わっておくれよ」
「ノエミ姐さんはせっかちなのにゃ。許してやってほしいのにゃ」
ドッと上がった笑い声と猫娘の余計な一言に、ノエミの頬はたちどころに紅く染まった。
反論しようと顔を上げたその時、またもノエミの目は大きく見開かれる。
口をつけてしまった盃に、新しく酒を注ごうと近寄ってきた存在。
一見、黒い革の服を身に着けた給仕の子どもに見えたそれは、見覚えのあるれっきとした魔物であった。
「ゴ、ゴブリン!」
「え、どこにゃ?! あ、うちにもおかわり注いでくれるのにゃ。ありがとにゃ」
ペコリと器用に頭を下げて立ち去っていく邪妖精の背中を、ノエミは口を間抜けに開けたまま見送った。
少なくとも二種類、さらに十匹近い数の魔物を従えるなど、本国でも名が知れた一握りの魔物使いにしかできない芸当である。
いつもの冷静な思考がすっかり抜け落ちてしまったノエミだが、そこへ遠慮を知らないティニヤの大声が響いてきて少しだけ我を取り戻す。
「にゃにゃにゃ! この白いの、中の赤いのがめちゃくちゃ美味しいにゃ!」
「これは蟹の肉ですよ。うん、久しぶりに食べると本当に美味しいですね」
「かに? 初めて食べるにゃ! うまいにゃー」
その言葉に興味を惹かれたノエミは、そっと木匙でグラタンをすくって取皿によそってみる。
そして口の中に溢れ出すクリーミーな味わいに、もう何度目か分からないがまたまた目を大きく見開いた。
「……美味しい。これ具も素晴らしいけど、いい塩を使っているのね」
「言われてみれば、ぜんぜん苦くないにゃ!」
今年に入ってからいきなり外海が濁り始め、採れる塩に苦味やえぐ味が混じるようになっていた。
しかしこのテーブルに並んだ料理たち全般からは、それらしい雑味はいっさい感じとれない。
興味をそそられたノエミは丹念にローストされた鶏肉に手を伸ばし、一口頬張ってからあまりの美味さに思わず声を漏らす。
「この甘酸っぱいソース、すごく合うわね……」
「くんくん。この匂いは青すぐりにゃ。山でよく食べたにゃー。うん、全部めちゃくちゃ美味しいにゃ!」
驚かされることばかりだが、こんな素晴らしい食事をいただけるならそれも全く悪くはない。
混乱渦巻く頭の片隅でそんなことを考えながら、林檎酒を一息で飲み干したノエミは満足げに息を吐いた。
が、翌日連れて行かれた場所で二人を待ち受けていたのは、さらなる驚きの連続であった。




