思わぬ空中戦の勃発
仲間に花の位置を知らせるミツバチのダンスは有名だが、それ以外に知られている蜂の連絡手段として情報化学物質の放出というものがある。
おそらくあの毒針には、警報を示す匂いが込められていたのだろう。
そのせいで怒り狂った同胞を、大量に呼びせてしまったようだ。
耳の底まで響いてくる無数の翅音を背中で聞きながら、俺たちは懸命に来た道を引き返す。
先頭は素晴らしいスタートダッシュを切ったヨルとクウだ。
追いかけっこが楽しいのか、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
次いで青スライムの二匹が飛び跳ねながら二匹を追いかけ、その背後には軽やかに駆け抜けるエタンさんとパウラが続く。
その後ろを走るミアも、魔術士と思えない快足ぶりである。
そして最後尾で、ほうほうのていで足を動かす俺。
置いていかれまいと必死に食らいつくが、あっという間に皆と距離が開いていく。
あああっと焦っていたら、急に体が浮き上がった。
何ごとかと思って振り向くと、剣尾トンボが俺の背中を掴んで持ち上げてくれている。
そのまま宙を加速したトンボのケンちゃんは、一気に先頭集団に追いついた。
「ふう。ありがとう、パウラ」
「いいえ。この程度、容易いことです」
「直に追いつかれそうですね。逃げ切るのは、少々難しいかと」
「うわわー! なんかめっちゃ怒ってるよー!」
走りながら喋れる時点で三人ともまだ余裕はありそうだが、空を飛ぶ蜂相手では厳しいだろう。
だが足を止めて、あの数を迎え撃つという選択肢は現実的ではない。
「よし、進路を変えましょう。パウラ、東へ向かってくれ」
「かしこまりました」
俺を抱えた剣尾トンボが、さらに速度を上げながら身体を左へ傾けた。
追い抜かれたヨルとクウが、目を輝かせてその後を追いかけてくる。
川を急いで渡りきった俺たちは、南の上り階段へは向かわず弧を描きながら十階の中央を目指す。
蜂たちが追いかけてくるのを確認した俺は、少し遅れてついてくるエタンさんへ回収しておいた軍隊蜂の毒針を投げ渡した。
「それをあそこに撃ち込んで下さい」
「なるほど! そういうことですか」
エタンさんは走りながら、矢尻に器用に針を結びつけてみせた。
そして構えたかと思うと、狙いを絞ることなくあっさりと弦から解き放つ。
山なりの曲線を描いた矢は、目的地に達すると静かな水音を立てた。
そして湖面に波紋を生じさせながら、塗布してあった毒を溶かしていく。
その匂いに反応したのか、たちまち数匹の蜂が進路を変え矢が落ちた場所へと向かう。
だがその場所は、剣尾トンボたちの縄張りでもあった。
いきなり湖に撃ち込まれた矢のせいで翅を震わせていたトンボたちだが、新たな乱入者を犯人と断定したのか容赦なく襲いかかる。
その固い透明の翅は、動かすだけで十分な脅威となるようだ。
無謀にも縄張りへ入り込んだ数匹の蜂どもへ、トンボは容赦なく斬り込んだ。
銀色の輝きが横切った瞬間、軍隊蜂の体がいっせいに砕けて吹き飛ぶ。
続いて剣そっくりの腹部が振り回され、辛うじて生き延びた蜂も一撃で真っ二つになった。
濡れ衣で無残に殺された蜂たちだが、その死に際に大量のフェロモンを出してくれたようだ。
こちらへ向かっていた魔物の群れは、急速に方向を転じて湖面へと舵を切る。
軍隊蜂の数はおよそ五十匹。
対する剣尾トンボは二十匹足らず。
倍以上の戦力差であるが、性能の違いはあっさりとその差を縮め追い越してしまった。
飛翔する昆虫の中でもトップクラスと言われるトンボの速度に、蜂たちは全くついていけないようだ。
縦横無尽に飛び回るトンボたちを前に、蜂たちはまたたく間にその数を減らしていく。
なんとか集団で毒針を飛ばしてはいるが、トンボが速すぎるせいか掠めさえしない。
というか、当たってもほぼ無傷のような気がする。
数分もかからぬうちに決着はさっくりついてしまった。
蜂どものほとんどは湖面に散らばる残骸と化し、残った数匹も背後から鷲掴みにされ頭部をかじられている。
いきなり襲われた時は怒りが湧いたが、さすがに生きたまま食われる姿には同情を禁じえないな。
「ほわー。トンボ、めちゃくちゃ強いねー!」
「あっぱれー!」
「くー!」
「体の大きさがあれだけ違えば仕方ないさ。それに元から蜂とトンボじゃ、飛行性能も二倍くらい差があったはずだしな」
虫どもの抗争中に安全な場所まで逃げおおせた俺たちは、勝手な感想を述べながら安堵の息をついた。
とっさに思いついた作戦にしては、予想以上に上手くいったようだ。
しかも、いろいろと応用が利きそうでもある。
そうだな、虫どもの習性をもうちょっと調べてみるか……。
「まあ、皆無事でよかったよ」
「いいえ、全員ではありませんよ。傷の具合はいかがですか? あなた様」
心配そうに絹で編んだ包帯を取り出してきたパウラに、俺は慌てて手を振ってみせた。
魔活回復薬を飲んだせいか、すでに血は止まり鈍い痛みが残るだけである。
「心配をかけて悪かった。次はもうちょっと慎重にやるよ」
俺の言葉に顔を曇らせたまま、パウラはそっと手を握ってくる。
「わたくしがもっと早く……」
「反省は大事だけど、引きずり過ぎるのもよくないぞ。結果的に大したことにならなかったんだから、そんなに自分を責めるな」
「…………はい」
納得はしてくれたようたが、気持ちが追いついていないようだ。
思い返してみれば、今日は少し不自然な視線や間がちょいちょいあったな。
もしかしたら一週間離れていたせいで、俺の役に立ちたい気持ちが強かったのだろうか。
もう一度、皆に異常がないことを確認した俺は、わざとらしく伸びをしながら階段へ振り返った。
「うん、逃げ回って疲れたし、ちょっと早いが引き上げるか」
「りょかー! ふう、おなかすいたー」
「すきっぱらー!」
「くー!」
ミアたちに合わせるようにぎこちなく頷くパウラに、俺はさり気なく言葉を続ける。
「その前に少し羊を捕まえたいんだが、手伝ってくれるか?」
お目当ての曲角羊は、エタンさんがすぐに見つけてくれた。
他よりも角が短いという話だが、遠すぎて俺にはさっぱりである。
力強く飛び上がった剣尾トンボのケンちゃんが、逃げ惑う羊たちの間からあっさりと一頭をつまみ上げる。
って、これからの羊狩りも、めちゃくちゃ楽になりそうだな。
メェメェと必死に鳴き声を上げる羊だが、がっしりと掴まれては逃げようがない。
ジタバタと足を動かしていたところを、パウラにあっさり<従属>させられてしまった。
地面に下ろしてもらい大人しくなったところで、隣に膝をついた俺が優しく腹を撫でてやる。
うん、これなら行けそうだな。
アイテム一覧から取り出した蟹の大皿を腹の下に置いて、俺は羊の乳首を見様見真似でしごいてみた。
何度か試すと、ピュッと白い筋が唐突に先端から吹き出す。
「わ、でたでた!」
「おみごとー!」
「くー!」
乳搾り、成功である。
ゲームでは羊の乳は定番のアイテムだったのだが、なぜか死骸からは回収できず、そこで生きたままで試してみようという結論に至ったというわけだ。
指ですくって舐めてみたが、まろやかな甘みがあって物凄く美味しい。
実際の山羊の乳は青臭く癖が強いらしいが、こちらは羊仕様なようで万人向けになっているようだ。
ヨルとクウがクンクンと匂いを嗅ぎながら近寄ってきたので、舐めさせてみる。
またも立ちどころに目の色が変わる二匹。
もっと寄越せと、俺の腕にしがみついてきた。
「待て待て、焦るな。ほら、今出してやるから」
ピュルッと絞り出すと、獣っ子と鳥っ子は頭で押し合いながら取り合いを始めた。
うん、大人気だな。
「えー、たのしそー! あたしもあたしもー!」
ミアがやりたいと言いだしたので、乳搾りを代わってもらった。
ヨルとクウは待ちきれなくなったのか、空いている乳首に食らいついてチュウチュウと直接飲みだしている。
数歩離れた俺は、乳を奪い合う皆の様子を眺めていたパウラの隣まで移動する。
そして不自然にならないよう気をつけながら、改めて感謝の言葉を述べた。
「まだ礼をちゃんと言ってなかったな。逃げる時に助けてくれてありがとう。それにこの羊も、みんな大喜びだな。パウラが居てくれて、これ以上ないほど助かってるよ」
俺のいきなりの台詞に、魔人種の女性はわずかに瞳を見開いた。
「えっと、これからも、できればそばでずっと助けて欲しいんだが……」
「はい、喜んで。あなた様」
差し出した俺の手に、パウラはそっと手を重ねてくれた。
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