赤い果実の罠
「かんみー!」
「くー!」
丸太製の橋を渡ってすぐの場所に立っていたのは、赤い実を鈴なりにつけた木であった。
実の大きさはピンポン玉ほどで、その赤い果皮は艷やかな光沢を放ち、なかなかに美味そうである。
おそらく青すぐりのせいで、枝になる丸い物は甘いのだとヨルとクウは学習したらしい。
目の色を変えた二匹は、止める間もなく木に飛びついてしまった。
跳び上がって果実をもいだかと思うと、よだれを垂らしながらガブリとかじる。
そしてもぐもぐと口を動かした後、目をギュッとつむって口を可愛くすぼめてみせた。
「さんみー!」
「くー!」
どうやら酸っぱかったらしい。
ひとしきり手足をパタパタさせた二匹だが、落ち着いたかと思ったらまたも果実をパクリと頬張った。
再び顔をしかめるヨルとクウ。
しかしよく見ると、その口元は大きく緩んでいる。
「気に入ったのか……」
心配して駆け寄った俺を気にも留めず、シャリシャリと小気味のいい音を立てながら懸命に果実を咀嚼し始める二匹。
そのほっぺたは、木の実を蓄えたリスのようにぷっくらと膨らんでいる。
夢中になりすぎて、まるごと口に含んでしまったようだ。
「おいおい、慌てすぎるな。喉に詰まるぞ」
呼びかけてみたが、聞こえていないらしい。
地面に座り込んだ二匹は幸せそうな顔で、ひたすら無心で果実をかじり続けている。
「これは豆リンゴの木ですね。ただこの時期に実がなるのは……」
いつの間にか近くに居たエタンさんの言葉に、俺は赤い実を揺らす木を見上げた。
言われてみれば実の一つ一つは、小さなリンゴそっくりである。
確か前の世界では、クラブリンゴとか小玉リンゴで呼ばれていた果物だったか。
普通のリンゴよりも果実は小さく酸味も強いが、そこはジャムやジュースに加工されたりとこちらでも人気の品だ。
「なつかしー、よく森に採りにいったなー。うんうん、すっぱおいしー!」
手を伸ばして赤い実をもぎとったミアは、ためらうことなく口に運ぶ。
そして嬉しそうに唇をすぼめた。
一応、確認のため俺も一つ採って、アイテム一覧に回収してみる。
表記は豆リンゴのみで、毒とか腐ったとかの怪しい形容詞はついていない。
ついでに俺も一口かじってみる。
歯を押し返す程よい弾力の後、甘みを秘めた酸っぱさが一気に口の中に広がった。
反射的に唇に力が入りかけるが、よく味わってみるとそこまできつい酸味ではない。
そこから果肉を噛んでみると、優しい甘さがじんわりと伝わってくる。
酸っぱいがみずみずしい果汁と、ほのかに甘い果肉が互いを引き立てあっているようだ。
これ歩き回った後だと、めちゃくちゃ美味いな。
「うん、豆リンゴであってますね。しかし、そうなると……」
「ええ、たいへんな数ですね……」
北側は奥の壁に向かって緩やかな斜面を形成しているのだが、その丘のあちらこちらに赤い実をつける木が立っているのだ。
ざっと見ただけでも、多分五十本近くあるんじゃないだろうか。
「……宝の山ですね」
「でも近寄るには、相当な覚悟が要りそうですけど」
エタンさんの指摘通り、豊かに実る豆リンゴの木々の合間には大量の魔物が飛び交っていた。
遠いのでハッキリ断言できないが、体長は二、三十センチほどだろうか。
四枚の翅を震わせる胸部や鋭い針を持つ腹部は、黄色と黒の警戒色で彩られている。
十階の丘陵地帯を棲家としていたのは、軍隊蜂の群れであった。
毒針は厄介だが、一匹だけならそう強くはない魔物だ。
ただし大目玉蛾と一緒で、数の暴力というのは本当に侮れない。
特技の<毒の針>でよってたかってブスブスやられるとか、想像するだけで恐ろしい相手である。
「まあ、魔物忌避薬があれば、そうそう近寄ってこないとは思いますけどね」
そう言いながら俺は、豆リンゴの枝に触れる。
先ほどから一つずつ実をちぎってはヨルとクウに手渡していたが、面倒になってきたのだ。
一括で回収しようとした矢先、鋭く制止の声がかかった。
「あなた様、お待ちを!」
パウラの声は一足、遅かったようだ。
豆リンゴの木を覆っていた赤い実が一瞬で消え失せ、特殊な空間へと収納される。
同時に見通しがよくなった梢の合間から現れたのは、枝にしがみつく黒と黄色の縞模様だった。
どうやら蜂が一匹、密かに休憩中であったらしい。
いきなり豆リンゴの実が消えたことに、蜂は驚いたように頭部をあちこちへ動かす。
そしてなぜか俺を犯人だと見定めて、宙に飛び上がったかと思うと腹部を持ち上げて毒針を撃ち出した。
もしかしたら黒いローブを着ていたのが、不味かったのかもしれない。
まばたきする間もなく、迫る白い鋭形。
が、俺に当たる直前、伸びてきた黒い何かが間一髪で払い落とす。
一秒遅れて、俺の口から間抜けな声が漏れた。
「えっ!」
助けてくれたのがパウラの鞭だと認識したその時、弾かれた蜂の針はくるくると回転しながら落ちてきて――。
俺の手の甲にさくりと刺さった。
「いだぁ!」
「あなた様!」
次の瞬間、数メートルの高さを一気に飛び上がったヨルとクウが、蜂の体を力いっぱい殴りつけ、蹴りつけた。
さらにエタンさんの矢が、その頭と胸のつなぎ目を貫く。
あっけなくバラバラになった蜂の姿を、俺は痛みに耐えながら眺めた。
「だいじょうぶ、センセ!? うわわ、めっちゃ刺さってるよ!」
「あなた様、はやく毒消しを!」
慌てる二人を尻目に、エタンさんは俺の手の甲に刺さった針を素早く抜き去る。
そして革手袋を、むしるように脱がしてくれた。
「まず、冷やしましょう。蜂の毒は腫れますが、そう強いことはないはずです」
「痛みますか? 申し訳ありません。私がもう少し早く気づいていたら……」
「いや、十分に助かったよ。あのままだったら、胸にざっくり刺さっていたしな」
パウラを安心させながら、ゆっくりと指を何度か閉じたり伸ばしたりしてみる。
普通に動くようだし、腫れてくる気配もないようだ。
まあ、刺さった部分は血が滲んでまだ痛いが。
「たっしゃー!」
「くー!」
心配して俺の足にしがみつく二匹をあやしながら、己の指の鈍い銀色の輝きに毒が効かなかった原因を悟る。
「そっか。耐毒の指輪のおかげか」
俺の言葉に安堵したのか、パウラの顔から強張りが消え去る。
が、またも瞬時に厳しい表情に戻った。
「あなた様、あれを!」
指差した先に見えたのは、群れをなす大量の黒と黄色の縞模様たちがこちらへ向かってくる光景であった。
皆と顔を合わせた俺は、背を向けながら大声で叫んだ。
「に、逃げろー!」
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