頼りになる味方たち
「それじゃあ、お願いしますね」
俺の言葉に短く頷いたエタンさんは、弓を手にしながら音もなく湖へ歩き出した。
少しずつその身が低くなり、慎重に獲物との距離を詰めていく。
そして湖の岸辺を覆う草むらに達した瞬間、狩人の姿はすっとかき消えた。
さっきまでは普通に見えていた背中が、気がつくと下草に紛れ完全に判別がつかなくなっている。
何度見ても、素晴らしい気配の消し方だ。
ゲームでは樹人種だと森や草むらマスでは回避補正があったのだが、現実化してみると納得のいく隠伏ぶりである。
感心しながら湖面に視線を移すと、気まぐれに飛び交う巨大な剣尾トンボたちの姿が目に映る。
その大きな眼球は無作為にあちこちへ向けられており、うかつな動きを取れば即座に見つかってしまうだろう。
固唾を飲んで眺めていると、不意に草の合間から音もなく矢が放たれた。
全く予想していなかった位置とタイミングだ。
緩やかな放物線を描いた矢は、飛び回るトンボたちの合間を優雅に突き進む。
そして一匹の背中に、さくりと突き刺さった。
攻撃を仕掛けられたと認識した魔物は、急激に体を岸辺へ向ける。
だが他のトンボは翅を震わせて飛び回ってはいるが、その動きに大きな変化はない。
複眼の持ち主であるトンボの視界は、三百六十度の全域に及ぶ。
ただし背中の翅が邪魔をするのか、その背後のみは死角となっていた。
つまり先ほどのエタンさんの一矢は、数匹のトンボが獲物である一匹に背を向けた一瞬を切り取った見事な射撃だったのだ。
矢が刺さった剣尾トンボは、湖面から離れ真っ直ぐに岸へと向かう。
ただし目標は矢を放った人物ではなく、離れた場所で見物していた俺たちだった。
草むらに潜んだ張本人のエタンさんには、全然気づいていないようだ。
恐るべき隠れっぷりである。
魔物忌避薬の効果はあくまでも、何もしなければという前提があってこそである。
攻撃され怒り狂った魔物相手では、さすがに通用しない。
一直線に向かってくる剣尾トンボに、待ち構えた俺たちは声を掛け合う。
「よーし、きたぞ。準備はいいか?」
「はい、お任せ下さい、あなた様」
「あわあわ、いつでも撃てるよー!」
「おかくごー!」
「くー!」
迎え撃つように前に進み出たのは、鞭を手にしたパウラであった。
その体が滑らかに捻られ、迫る剣尾トンボへと黒い尻尾がくるりと弧を描いた。
――<魅惑>。
見えない壁にぶつかったかのように、いきなり空中で動きを止める魔物。
そこへ間髪容れず、パウラの魔力がほとばしった。
――<従属>。
従えんと注ぎ込まれる力に、剣尾トンボはガチガチと顎を鳴らし翅を震わせて抗う。
息を止めて見守る俺とミア。
ヨルとクウは腰に手を当てて、パウラへお尻をフリフリと振って応援している。
可愛いが、緊張感が台無しである。
しばし睨み合う魔物使いと剣尾トンボ。
だが、しなった鞭が強かに魔物の顔面を打ち据えた瞬間、あっけなく勝負は決まった。
そのまま頭を垂れたトンボは、翅を広げたまま地面へ伏せてしまう。
静かに息を吐いたパウラは、ゆっくり近寄ると使役魔の背に刺さったままの矢を一息に引き抜いた。
嬉しそうにトンボの羽が、ジジジと鳴らされる。
うん、完全に懐いているな。
「すごー! やったね、パウさま!」
「あっぱれー!」
「くー!」
「これでやっと進めるな……。いつもいつも本当に助かるよ」
「過分にお褒めいただき、ありがとうございます」
俺たちの言葉に、駆け寄ってきた二匹を抱き上げながらパウラは口元をほころばせた。
その背後からも、称賛の声が上がる。
「お見事でしたね。パウラさん」
いつの間にか戻っていたエタンさんだ。
あっさりとトンボを従えたパウラも凄いが、一匹だけ獲物を誘き出してくれたエタンさんも十分に凄いな。
「エタンさんもお疲れさまでした。じゃあ次に行きますか」
湖畔を後にして俺たちが向かったのは、湖の西側の下流であった。
川幅が四、五メートルしかない上に、トンボも飛んでいない安全な場所である。
しかも手頃な木が川岸にそこそこ生えているのだ。
「うーん、この木はどうですか?」
「ええ、これなら十分届きそうですね」
樹木に詳しいエタンさんと吟味しながら、十本ほど見繕う。
後は仲間になってくれたばかりの剣尾トンボの出番だ。
「では少し下がっていただけますか」
「りょかー! ケンちゃんがんばれー!」
「しょうちー!」
「くー」
ミアたちの声援が通じたかどうかは分からないが、トンボのケンちゃんは少しだけ上空に舞い上がったかと思うと、急降下しつつ腹の剣を盛大に木の幹に叩きつけてみせた。
凄まじい音が響き渡り、魔物の腹部は木肌に深々と食い込む。
「うわぉ! す、すごくない?」
「俺たちだったら、間違いなく胴体真っ二つだな……」
「けんのんー!」
「くー!」
駆け寄ってきた毛玉と羽玉を抱っこしながら目を戻すと、トンボは再び木に斬りかかるとこであった。
またも大きな激突音が鳴り響き、今度はそこそこ太いはずの木が派手に揺れ動く。
そして三回目の<斬りつけ>に、とうとう頑丈な幹は屈してしまう。
メリメリと音を立てて倒れる木の姿に、俺たちはいっせいに歓声を上げた。
すぐに近寄って触れると、地面にぼたぼたと枝や葉が落ちて幹の部分だけが消え失せる。
予想通りアイテム一覧に現れてくれた丸太に、俺は安堵の息を吐いた。
地面から生えたままだと収容できないが、切り倒された木だと無事に木材として回収できるようだ。
生きたままでは駄目なのかとも考えたが、枝になっている果実やキノコなどはそのまま回収できたりするので、よく分からない区分があるみたいだ。
その後、目標の丸太十本を揃えた俺たちは、川幅の比較的狭い場所を選ぶ。
川岸で手を伸ばして、狙った場所に丸太を取り出す。
向こう岸にしっかりと渡されたのを確認して、隣にもう一本。
あとはエタンさんが、蔓でぎっちりと結び合わせていく。
これを繰り返すこと三回。
三本の支流をまたいだ立派な丸太橋の完成である。
「ふう、やっとか……」
「これで、ついに川向こうへ行けますね」
「うんうん、張り切っていこうー! でも、ちゃんと気を引き締めないと!」
「はい、その通りですね、ミア」
この階層にたどり着いて八日。
ようやく俺たちは、北エリアへ足を踏み入れることとなった。
だが五分も歩かないうちに、慌てて引き返す羽目となる。
その主たる原因は、巨大な蜂の群れの仕業であった。
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