虚しきこだま
八階の北奥。
鉄格子が下りた階段の前は、ポッカリと開けた空間となっていた。
柱のような大木たちもこの手前でいきなり途切れており、下草に覆われた地面だけが広がっている。
その広場の中央。
そこに座り込んでいたのは、黒い毛皮のひときわ大きな狼であった。
体高はゆうに俺の胸に届くくらいあり、立ち上がるとおそらく枝角鹿に匹敵するだろう。
その巨狼に寄り添うように、三匹の狼が寝そべっている。
こちらは見慣れたサイズのため、傍から見ると母子のように見えなくもない。
その四匹を大勢で襲いかかろうとする俺たちは、なんとなく密猟者の悪党といった風でもある。
なんとも、やりにくくなる演出だ。
と、余計なことを思いつつも、俺は安堵で胸を撫で下ろしていた。
「ふう、ボスが枝角鹿じゃなくて助かったな」
ここで十五匹の妖精たちにボイコットされると、ちょっと面倒だからな。
周囲を見回してから、飛び回る妖精に視線を戻すと首を縦に振られた。
どうやら森カラスなどの伏兵も皆無のようだ。
「始めますか? あなた様」
「よし作戦通りで行こう。落ち着いてやれば完勝できるはずだ」
ボスモンスターのレベルは階層に十五を足した固定値であるため、あのでっかい狼だとレベル23となる。
現在のクウとヨルのレベルは24で、パウラとミアは23。
青スライムたちでさえ22と、ボスとほぼ差はない。
むろんボスらしく体力などの数値は底上げしてあるが、それでも心配するような相手ではないだろう。
「しゅつじんー!」
スライムのスーにまたがったヨルが、愛らしい声で叫んだのが開戦の狼煙となった。
「くー!」
それに続くように、同じくスライムのラーにまたがったクウが元気よく声を張り上げる。
そのまま飛び跳ねる青スライムに乗って、二匹は巨狼へ一気に距離を詰めた。
即座に立ち上がった配下の狼たちだが、そこへ宙を貫く矢が連続で襲いかかる。
エタンさんの<連射>で、足を射抜かれた一匹があっさり地面へ伏せた。
残りの二匹は厄介な弓士へ牙を剥くが、今度は鋭い鞭の音が立ち塞がる。
さらに要所を狙った<風刃>も、巧みに狼たちの動きを邪魔してみせた。
「ふふーん、どうどう? あたしけっこう当てるの上手くなってない、パウさま?」
「ええ、素晴らしいですよ、ミア」
二人の手助けもあり、エタンさんは余裕を持って弓弦を強く振り絞る。
――<狙撃>。
放たれた矢は狙い違わず、見事に麻痺毒で動けない狼の眉間を貫いた。
うん、この調子なら後の二匹もすぐ終わるだろう。
広場の真ん中では、大きな狼を前に小柄なヨルたちが奮戦していた。
ちょこまかと動き回る獣っ子と、弾んで転がりまわる青スライムたち。
そして空中をすいすいと飛び回る鳥っ子。
目まぐるしく位置を変える毛玉らに、ボスの巨狼は的を絞れず苦戦しているようだ。
さらにもう一つ。
その背後に素早く回り込む妖精の集団が、次々と繰り出していたのは<妖精の接吻>である。
鼻も利く狼には、<目くらまし>は効果が薄い。
そこで混乱を付与する<妖精の接吻>を、絶え間なく浴びせるようお願いしておいたのだ。
状態異常の効きにくいボスだが、完全に無効化できるわけでもない。
それに妖精は、魔法攻撃力がダントツに高いからな。
魔力の消費量も半端ないが、事前に魔活回復薬を飲んでいるので、まあ安心だろう。
見ていると時々ボス狼の動きが止まったり、あらぬ方向に噛み付いたりしているので、ちゃんと効果は出ているようだ。
黒毛狼の特徴といえば集団を生かした波状攻撃であるが、それを逆に仕掛けられたボス狼は、なすすべもなく体に傷を増やしていく。
固くしなやかな黒い体毛があるとはいえ、手数をあれだけ重ねられたらどうしようもない。
と、パウラたちも無事に三匹の取り巻きを片付けたようだ。
「よーし、一気に片すか」
「お任せください、あなた様」
「りょかー!」
「うん、あと一息だね」
側近を倒され血に塗れつつあった巨狼だが、そこで逆転の一手を繰り出すことを決めたようだ。
不意に四肢を踏ん張り背を反った狼は、空へ向かって口を大きく開いた。
同時にその喉奥から、激しい吠え声が発せられる。
――<遠吠え>。
レベル20に達した黒毛狼が覚える特技で、自らのもとに仲間を呼び寄せるという技だ。
続けざまに、力強く吠え叫ぶ巨狼。
その声は木々の合間を抜け、階層中のあらゆる場所に響き渡っていく。
…………が、それだけだ。
ボスのピンチに駆け付けてくる黒い影は一頭たりとも見当たらない。
まあ配下の狼は全部、来る途中で倒しちゃったからね。
「ふっ、勝ったな」
意味もなく勝利宣言してみせた俺だが、数分も立たずにそれは言葉通りとなる。
最後は毒をくらい力尽きた狼の上で、尻尾を仕舞いながらヨルがいつもの調子で叫んでみせた。
「かちどきー!」
「くー!」
「キヒヒヒ!」
「お疲れ様、よく頑張ったな」
ご褒美に隠しておいた青すぐりを取り出しながら近づくと、豆を撒いた公園の鳩のごとく妖精たちが群がってきた。
ヨルとクウも目の色を変えて、俺の体を懸命によじ登ってくる。
ボス狼戦を余裕で超える猛攻っぷりに、果実は一瞬で消え失せてしまった。
なくなったことが信じられないのか、ヨルとクウは俺の手のひらを何度も覗き込んではペロペロと舐めだす。
くすぐったくて可愛い仕草だが、おねだりされてもないものはない。
二匹を地面に下ろし、俺は狼の死骸を眺めるエタンさんへ歩み寄った。
「ご苦労さまでした、エタンさん。うん、立派な毛皮が取れそうですね」
「ええ、上は冬だと言うのに、狼たちはちっとも痩せておりませんし、季節外れの青すぐりもよく実っている。ここは本当に奇妙な場所で……」
一息置いたエタンさんは、俺を見上げながら言葉を続けた。
「本当に興味深い場所ですね。できればずっとここに居たいような……」
「ええ、よかったらずっと一緒に探索しませんか?」
「……いいのですか?」
「はい、ぜひに」
俺と目を合わせた樹人種の青年は、静かに頷いてきた。
差し出された華奢な手を、がっしりと握りしめる。
握り返してきた力強さからして、失われた自信を完全に取り戻してくれたようだ。
ボス狼からは大きな毛皮と牙、赤い魔石塊が回収できた。
取り巻きからも同様に素材を回収して、俺たちは鉄格子が持ち上がった下りの階段へ向かう。
妖精の大半とは、ここでお別れである。
一応、斥候と明かりを兼ねて、一匹だけ<従属>してついてきてもらうことにした。
「じゃあ九階へ進みますか」
「はい、あなた様」
「ふぅ、ドキドキしますね」
「次はどんなとこかな? 楽しみだねー」
「まいるー!」
「くー!」
迷宮探索をそれぞれ満喫する俺たち。
しかしその頃、上の階ではとある騒動が持ち上がっていた。
(*´ω`*)おねだりネタ切れ中。




