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地中の塔


 

 それはまさしく、影そのものであった。

 厚みを持った黒い人の形をした何かが、人間そっくりに動いているのだ。


 こちらへ向かってくるあまりに不自然なその姿に、俺は思わず背筋を強張らせた。

 しかし、直後に心当たりを思い出す。


「ミア、撃て! <火弾>だ」

「えっえっ? い、いいの?」


 なまじっか人間っぽい造形が不味かったのか。

 少女は戸惑った顔で、俺と近づいてくる影を交互に見つめるだけで動こうとしない。

 ヨルとクウが毛を逆立てて臨戦態勢に入りかけるのを見た俺は、慌てて指示を飛ばした。


「下がれ、そいつに触れるな!」


 声を発した瞬間、俺の前に誰かが躍り出た。

 同時に空気を打ち抜く音が立て続けに響き、目では捉えられない速さで鞭が宙を行き交う。

 

 鋭く三連撃を振るわれた黒い影は、わずかに揺らいで輪郭が一瞬だけぼやけた。

 だが、それだけだ。


 手応えのなさに、警戒して足を止めるパウラ。

 そこへ影はいきなり手を伸ばした。


 数歩の距離は、普通の人間ならば届くはずもない。

 しかし影には、その制約はない。

 あり得ないほど長く伸びてきた手を、魔物使いは素早く鞭で打ち払う。


 が、結果は先ほどと同じである。

 空振りとなった鞭は床に強かにぶつかり、影の手は何事もなかったかのようにパウラの手首を掴んだ。


 とっさに振りほどくパウラだが、足をもつれさせたかと思うとその場に膝をついてしまう。

 そこへさらなる影の手が迫り――。


「ヨー、<目くらまし>だ!」


 信じ難い速さで脈打つ心臓をなんとか無視して、俺は妖精に大声で叫んだ。

 瞬間、まばゆい光が翅から放たれ、影は驚いたように身を反らした。

 生じた間隙を見逃さす、俺は再び少女の名前を呼ぶ。


「ミア!」


 今度は大丈夫だったようだ。

 パチッパチッパチッと、馴染みの指を鳴らす音が暗闇に鳴り響く。

 

 同時に闇を貫いた真っ赤な炎球たちが、続けざまに人型の影に命中する。

 一瞬で燃え上がった炎の渦は、魔物を巻き込んで赤々と光を放った。

 たちまち黒い闇の塊は、煙のように消え失せる。


 安堵の息を吐く暇もなく、俺は急いで床に倒れるパウラへ駆け寄った。

 しかし残念なことに、レベルの差はいかんともしがたい。


 俺をあっさり追い抜いたミアが、飛び込むようにパウラへ抱きつく。

 そして謝罪の言葉を、懸命に口にした。


「パウさま、ごめん! あたしがドジったせいで!」

「いいえ、ミアが倒してくれたのですね。ありがとう」


 そう言いながら手を伸ばすパウラだが、なぜかミアの顔ではなく何もない空中をさまよってしまう。

 その仕草に驚いた少女は慌ててパウラの顔を覗き込み、その目の焦点がおかしいことに気づく。


「パウさま、もしかして目が見えてないの!?」

「……ええ、何も」


 雷に打たれたように動きを止めるミア。

 その顔からは、完全に血の気が引いてしまっている。


「やるせなしー」

「くぅー」


 心配して寄ってきたヨルとクウも、しょんぼりした顔でパウラにしがみつく。


「あたしが、も、もっと早く……。あ、あたしのせいで……」

「大丈夫だ、ミア。こんな時のために俺がいるんだろ」


 唇を震わせながらつぶやく少女の頭を、俺はできるだけ優しく撫でて落ち着かせる。


「な、治るの? パウさまの目」

「ああ、一時的なものだからな。ちょっと時間を置くだけでいい」

「そう…………なんだ。よかったぁー」


 目尻に涙をためながら、ミアは心の底から安心した笑みを浮かべる。

 そして慌てて首を横にブルブルと振った。


「でも、あたしのせいでごめんなさい。センセの言う通りにしてたら、パウさまだって……」

「あのな、お前探索始めてまだ一週間も経ってないんだぞ。そんなテキパキ動けるわけがないだろ」

「え、うん、そ、そりゃそうだけど……」

「失敗して当たり前なんだから、そんな気にするな。今まで通りでいいんだよ」


 下手に萎縮されたり、先走られるほうが困るのだ。

 そもそも魔術士なんてのは、ちょっと慎重なほうが安全だったりするし。


「ええ、そうですよ、ミア。徐々に慣れていけばいいのです。焦ることはありません」


 目は見えなくても俺の意を汲み取ったのか、パウラも優しい声で口添えしてくれる。

 二人ががりの言葉にミアは目元を拭った後、大きく頷いてみせた。


「うん、わかった! いつもどおりだね!」

「そうそう。とりあえず、ここに居るのは不味いな。少し戻るか」


 そう言いながら俺は、床に座り込んだままのパウラの脇の下と膝裏に手を指し入れる。

 そして頑張って腰を伸ばし、一時的に視力を失った美女を強引に抱き上げた。


「あ、あなた様!」

「階段まで運ぶから、ちょっとだけ我慢してくれ」


 横抱きにしたパウラから伝わってくるむっちりとした肉の感触に焦りながら、俺は気取られないよう平静に言葉を返す。

 うん、やましい気持ちはあまりないぞ。皆無じゃないけど。


「いえ、その……、重くはありませんか?」

「むしろ軽すぎて驚いたよ」

「そうですか。お手数をおかけして申し訳ありません」


 頬を染めて目を伏せるパウラの耳元に、俺は少しトーンを落としてささやく。


「俺をかばってくれたんだろ。じゃあお互い様だ。でもな、あまり無茶はしないでくれ。心臓が止まるかと思ったぞ」


 その言葉にパウラはわずかに目を見開いた後、伸ばした両の手を俺の首に回してくる。

 そして甘い吐息とともにささやき返してきた。


「あなた様に心配いただいて、わたくしは本当に果報者です」

「…………次はちゃんと下がってくれ」


 返事はいつもの艶かしい微笑みだけであった。

 

 階段の段差にパウラを腰掛けさせた俺は、改めて先ほどの魔物の正体を解説する。


「今のはシャドウだな」

「しゃどうでございますか?」


 車の道みたいに聞こえるな。

 シャドウはいわゆるアンデッド系のモンスターである。


死人アンデッドの魔物は大きく分けて三種類あってな。一つ目は骸骨系。ほら、二階で出ただろ」

「あ、骨のわんちゃん?」

「それそれ。もう一つは屍肉系といって、肉の残った死体が動くタイプだな」

「えー、なにそれ。やばくない?」

「まだ体が残っているだけ扱いは楽なほうだぞ。で、最後が死霊系。今のやつだ」


 スケルトンなどの骸骨系は、動きも早く攻撃力も高いが、反面防御力が低くこちらの攻撃が通用しやすい。

 グールやゾンビなどの屍肉系は動きは鈍いものの、再生能力があり、また病気などに感染するリスクもある。

 あと例外的なやつも居て、侮ると痛い目に遭う場合も多い。


 そして死霊系。

 こいつらは実体を持たない存在のため、物理的な攻撃が通用しないのだ。

 一応ゲームでは祝福された武器でいけたが、そうそう手に入る物でもないしな。


 だがこちらが無理な場合は、あちらも当然無理である。

 死霊どもにいくら殴られたところで、俺たちの体に傷一つつくことはない。


 しかし物理攻撃力の数値が0の死霊系であるが、代わりに厄介な特性を持っていた。

 相手に触れるだけで、状態異常などがもたらされてしまうのだ。


「なるほど。それでわたくしの目が見えなくなったというわけですね」

「ああ、<暗闇の手>という特技だな」

「うわっ、それってけっこうしんどくない!?」

「他にも<吸精の手>や<吸魔の手>ってのもあるし、ちょっと面倒な相手なんだよ」


 ただしミア以外には、と注意書きがつくが。

 一見無敵に思える死霊系だが、実は魔術や魔法に弱いという明確な弱点が存在するのだ。

 まあこれも例外が居たりするが、少なくともこんな浅い層には出てこないしな。


「というわけで、ミアはあの影っぽいやつが出てきたら、ひたすら燃やせ」

「う、うん!」


 他に通用しそうな特技は妖精のヨーの<目くらまし>があるが、ダメージを与えるのは無理だしな。

 クウの<びりびり>も効きそうだが、魔力を食いすぎるので却下。

 あとはゴブっちのも……。いや、あれは封印だな。


 一度慣れてしまえば、後は楽というのが俺たちのいつものパターンだ。

 ヨーが動きを止めて、ミアが指を弾く。

 これでシャドウたちを一度も近づけることなく、探索は進んでいく。

 ちなみにドロップ品は黒魔石のみである。

 そういった点でも、面倒な相手だと言うしかない。


 

 そして三十分ほど石造りの通路を歩いた先。

 いきなり開けた広場のような場所にたどり着く。

 地図的には、ちょうどこの七階の中央に位置するようだ。


 そこにあったのは、地面からそそり立つ朽ちかけた古塔であった。

 地底の空間に突如現れた巨大な建築物を、俺たちは思わず呼吸を忘れて見上げる。

 そして塔の入り口らしき場所に視線を戻して、ほっと息を吐いた。


「……よかった。シャドウじゃないな」


 扉を守るように立っていたのは、二体の骸骨であった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 4ページでレベル48だかまで上がってたがここではレベル差がどうのってどんな設定なんだ?
[一言] 主人公はレベル上がってない? というか下積みでたんまり稼いだら経験値でここらじゃ上がらないのかと思ってたけどミアとレベル差で先を越される?
[良い点] なるほど死霊系はろくなもん落としてくれないと。 5階層が人々のメインの居住地になりそうですが、それでも胸中の構想からすると狭いのでは不安もあり。 もっと下の階層まで村人グループを連れて行く…
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