王都での取引 二日目
「ほほう、冷えた体に小鍋とはありがたいね」
「ああ、温まるな。ふぅふぅ……ンン!」
「おお、なんだこれは……。んぐぐっ、手が止まらんぞ」
「このねっとりとした汁がやけに美味いな! うん、ピリッと辛いのもたまらねぇ」
「そうだ。すげぇいいこと思いついたぜ。残った汁にこうやってパンをつけてだな。う、うんんん!」
「…………お前、天才か」
朝食に出された新メニューに舌鼓を打つ人たちの姿に、ハンスはにんまりと口ひげを持ち上げた。
目の色を変えておかわりを求める様は、上々どころではない評判のようだ。
スプーンを手にしたハンスも、さっそく小鍋を覗き込む。
赤海老に芽キャベツ、白きのこと彩りも鮮やかで見た目も申し分ない。
さっそくごろりと入っているキャベツをすくい、口に放り込む。
しっかりと煮込まれた野菜の甘味と、にんにくの旨味に赤辛子の辛味。
その三種が見事に溶け込んだ油が、口の中にじんわりと染み渡る。
派手ではない。
しかし後を引く美味しさであるのは間違いない。
「にんにくと翡翠油がこれほど相性がいいとは……。同じ場所で生まれたせいでしょうか。不思議なものですね」
半分に切って潰した迷宮大蒜と種をとった赤辛子を、翡翠油で少し煮込んで馴染ませる。
にんにくがほんのり色づいたら、しっかり下処理を済ませた野菜と海老を入れてさらに煮込むだけ。
コツは翡翠油に塩が溶けないので、具材にあらかじめ下味をつけておくことらしい。
なんとも簡単なレシピである。
ニーノの手紙に記してあった名前はアヒージョであったが、耳慣れないので翡翠油の小鍋煮となった。
まずは味を知っていただくために二日限定という触れ込みで提供してもらったが、このままではそうそうになくなってしまうだろう。
今回、持ち込めた翡翠油は三樽しかなく、この金熊亭には一樽のみしか渡せていないのだ。
次回はその数十倍は必要となりそうで、ハンスはまたも緩みそうになった頬を引き締めた。
じっくりと料理を味わいながら、心を静かに落ち着かせていく。
浮かれるのはまだ早い。今日の取引こそが本番なのだ。
最後の一滴まで味わい尽くしたハンスは、満足の吐息とともに立ち上がった。
「ごちそうさまでした。それではまた来月に」
「ありがとうございました」
「…………心からお待ちしてますぜ」
別れの挨拶とともに振り返ったハンスの目に映ったのは、忙しそうに立ち働きながらも、心からの笑みを浮かべる獣人種の夫婦の姿であった。
§§§
「失礼します。お荷物が届いております。工房長」
「誰からかね?」
「さあ、これを渡してほしいとだけ」
「ふむ、そこに置いといてくれたまえ。ご苦労だった」
受付係が退出したのを見届けたバルナバスは、深々とため息をついた。
この工房を支えていた大きな柱の一人が去って二十日間。
すでにその影響は、顕著に出始めていた。
「割り当て表の見直しが、いつまでたっても終わらんな」
錬成術はそれぞれの加護に応じたものしか使うことができない。
一つの品を作り上げるのに、最低でも三人から四人の手を通さなくてはならない分業制なのである。
これまでであったら、どの隙間でもぴたりとはまってくれる存在が居たのだ。
しかし彼が去った今、個々の作業には慢性的に三割ほどの遅延が発生しつつあった。
「こうなることは分かりきっていたが……」
手塩にかけて育てた秘蔵っ子を手放した時点で、ある程度の覚悟はしていた。
だが想定をあっさりと超えてきた事態に、改めて失ったものの大きさを思い知らされる。
こめかみを押さえたバルナバスは、机の上に積み上がっていく注文書を恨めしげに見つめた。
「今から、また汎人種の錬成術士を一から育ててみるか……。ふ、馬鹿なことを」
自分でも不可能だと分かりきっている言葉を、鬼人種の男性は自嘲気味に笑い飛ばした。
そして無意識にパイプを探して、四十回目の禁煙中であったことを思い出し舌打ちをする。
「どこかに予備を隠しておいたはずだが……」
部下たちの予定表を投げ出した工房長は、ごそごそと机の引き出しやキャビネットの中を漁り出す。
しかし彼の愛する妻は、生易しい相手ではなかったようだ。
この部屋から煙草に関係した品が徹底的に排除されてしまった事実に、バルナバスは小さく息を吐いてソファーにどっしりと腰を落とした。
そしてローテーブルの上に置かれた木箱をまじまじと見つめる。
「もしや、この中にはないか?」
すでに正常な判断力は失われているようだ。
木箱の蓋をもぎ取るように外したバルナバスは、現れた予想外の中身に驚きで目を見張る。
箱の中に詰め込んであったのは、五本のガラス瓶と白い大きな石を載せた台であった。
おそらく白照石であろう。
だがこれほど大きな石は、この工房でも滅多に扱える品ではない。
先ほどまでの疲れ切った表情が一瞬で消え失せ、その下から王立錬成工房をまとめる錬成術士の顔が現れる。
白照晶製の片眼鏡に魔力を注ぎ込んだバルナバスは、じっくり一つずつ鑑定しながら驚嘆のつぶやきを漏らした。
「魔活回復薬、等級は中級。しかも品質は優良品だと……。なんだと、こちらもか! いや、全部だと…………」
少なく見積もっても、金貨六枚から八枚相当の品である。
大きく息を吸って気持ちを落ち着けた名うての錬成術士は、まだ鑑定してない最後の品を恐る恐る持ち上げた。
片眼鏡を通さなくとも、その白い石の表面の凄まじい滑らかさは簡単に見て取れる。
生唾をごくりと呑み込んだバルナバスは、まじまじと手元の石を覗き込んだ。
そして正真正銘の白照石であることを確認し、驚きのあまり立ち上がりかけてスネをしたたかに机にぶつける。
痛みに顔をしかめながらも、工房長は深々と感嘆の息を吐いた。
「ど、どうやったら、こんな加工が……」
そこまでつぶやいて、バルナバスは弾かれたように身を起こした。
慌てて部屋から飛び出し、足を引きずりながら受付カウンターへと詰め寄る。
「この木箱を持ってきたのは、どんなやつだった?」
普段の紳士然とした物腰からはほど遠い工房長の口ぶりに、案内係の男性は戸惑ったように目をしばたたかせた。
「えーと、そう目立たない顔でしたよ。そ、そうですね……、あっ、口ひげを生やしてました」
「他には? 名前は名乗らなかったんだな?」
「はい、申し訳ありません。本当に特徴のない人で……」
「どっちに向かった?」
「それも……、すみません」
「いや、いいんだ。邪魔をして悪かったね」
憑き物が落ちたような顔に戻ったバルナバスは、軽く手を振って踵を返した。
問い詰めたところで、満足のいく答えは得られないだろう。
しかし工房長は直感的に、木箱の差出人の正体を察していた。
おそらく辺境に旅立った愛弟子の作品であると。
何かが起こり、彼はこの品々を生み出せる境地に至ったのだ。
腹の底から湧き上がってくる様々な感情に、バルナバスは背中を強張らせながら握りこぶしを作った。
「ああ、クソ! 最高に一服したい気分だな」
初めて耳する工房長の汚い言葉遣いに、錬成中であったアルノルトは動揺で乱れそうになった集中力を慌てて引き戻した。
手早く<浄化>を終わらせ、さっと顔を上げる。
先ほど受付係が薄汚い木箱を工房長室へ持っていってから五分足らず。
バルナバスの過剰な反応から見るに、よほどの何かが入っていたに違いない。
音もなく作業机から離れた鬼人種の青年は、受付カウンターを通り過ぎ工房の外まで足を伸ばした。
暇そうな門衛たちに顎をしゃくり、物陰に呼びつける。
「今、木箱を持った男が来たか?」
「へい。そいつがどうかしましたか? 坊っちゃん」
「探せ。見つけた奴には金貨五枚だ」
法外な報酬に、男二人の目の色が一瞬で変わる。
頷きあったかと思うと、一人が慌てて駆け出した。
知り合いのごろつきどもにでも声をかけるのだろう。
人を一番効率よく動かせるのは、結局は金である。
侮蔑の眼差しを微笑みで隠したアルノルトは、自分に与えられた狭いスペースに戻った。
顔を思い出すだけでも喉元に叫びが込み上げてくる元同僚の行方だが、遅々として明らかになっていない。
出向であれ、転勤であれ、それを通達した書類が必ず存在するはずである。
しかし書類係に鼻薬を嗅がせて調べさせたが、それらしいものは一切出てこなかった。
おそらくバルナバスが、巧妙に隠しているのだろう。
さすがにそうなると、アルノルトでも手が出せない。
だが、工房長の今しがたの慌てぶりからして、とうとう弱みを握れるかもしれない。
「どこに隠れようとも、絶対見つけ出してやるぞ、凡人君」
§§§
美しい光沢を放つ黒檀の机に、黒豹の毛皮を使ったソファー。
床には分厚い絨毯が敷き詰められ、壁には恐ろしい魔物の頭部の剥製が並ぶ。
まさに絵に描いたような豪奢な一室に、不釣り合いな男が座っていた。
衣服は粗末だが身だしなみには気を使っているようで、袖のほつれや汗染みは全く見受けられない。
髪や口ひげもきちんと整えられ、不快となる要素はみじんもないようだ。
さらにその穏やかでありながら、好奇心を含んだ眼差し。
一介の行商人ごときであれば、この部屋に通された瞬間、圧倒されまごついてしまうはずだ。
だが目の前の人物は、平然と腰掛け落ち着き払っている。
部屋の主であるレオカディオは、この不意の来客の正体を計りかねていた。
「手紙を預かっているとお聞きしましたが」
「はい、こちらになります。どうぞお改めください」
秘書が言っていた通り、封蝋の刻印は見慣れたアルヴァレス家のものだ。
差出人の名はパウラ。
先月、勝手に家を飛び出してしまった可愛い姪の行方が知れたことに、レオカディオは内心で静かに安堵の息を漏らした。
真銀製のペーパーナイフで封を開け、軽く息を整えてから慎重に目を通す。
もし姪の身に何かあったのなら、兄や甥たちに八つ裂きにされるくらいでは済まないだろう。
お健やかにお過ごしでしょうかと定形の挨拶の言葉が目に入り、レオカディオはひとまず胸を大きく撫で下ろす。
だが、そのまま近況の報告が続くかと思われたが、予想はあっさりと裏切られる。
次に書かれていたのは、この一言であった。
「まずは光らせてください、話はそれからです……だと?」
思わず漏らしてしまった声に、ハンスと名乗った男は口ひげを持ち上げ笑みを形作った。
そしてあまり綺麗ではない木箱から、おもむろに何かを取り出す。
それはコウモリの羽をあしらった、いわくありげな置物であった。
レオカディオの視線が注がれていることを確認した行商人の男は、もったいぶることなく羽を左右に開いて中身を明らかにする。
「ほう、なかなかの大きさですな」
中から現れたのは、そこそこ大きな白照石であった。
珍しい品ではあるが、この部屋に備え付けられた家具からすれば、そう高いものでもない。
期待がしぼんでいくのを隠しながら、立ち上がったレオカディオは置物へ近づく。
そしてわずかに目を見張った。
表面の仕上がりが異常であると気づいたからだ。
思わず伸びた指が、白い光沢を放つ石に触れる。
そして図らずも魔力が流れ込んでしまった。
次の瞬間、溢れ出した信じがたい輝きが、レオカディオの網膜に突き刺さる。
「な、なんだ!」
魔人種特有の整った容貌と豪胆な取引の手腕から、王都では知らぬ者はいないといわれるほどの豪商レオカディオ。
その男が狼狽しきった声を張り上げる。
「なんなんだ、これは!」
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